Santa Lab's Blog


カテゴリ:源氏物語( 140 )



「源氏物語」蜻蛉(その3)

宮にも、いと例ならぬ気色ありし御返り、「いかに思ふならむ。我を、さすがにあひ思ひたる様ながら、あだなる心なりとのみ、深く疑ひたれば、他へ行き隠れむとにやあらむ」と思し騷ぎ、御使ひあり。ある限り泣き惑ふほどに来て、御文もえ奉らず。「いかなるぞ」と下衆女に問へば、「上の、今宵、にはかに亡せ給ひにければ、物も思え給はず。頼もしき人もおはしまさぬ折なれば、さぶらひ給ふ人々は、ただ物に当たりてなむ惑ひ給ふ」と言ふ。心も深く知らぬ男にて、詳しう問はで参りぬ。「かくなむ」と申させたるに、夢と思えて、「いと怪し。いたくわづらふとも聞かず。日来、悩ましとのみありしかど、昨日の返り事はさりげもなくて、常よりもをかしげなりしものを」と、思し遣る方なければ、「時方、行きて気色見、確かなること問ひ聞け」とのたまへば、「かの大将殿、いかなることか、聞き給ふこと侍りけむ、宿直する者おろかなり、など戒め仰せらるるとて、下人の罷り出づるをも、見咎め問ひ侍るなれば、言伝ことづくることなくて、時方罷りたらむを、物の聞こえ侍らば、思し合はすることなどや侍らむ。さて、にはかに人の亡せ給へらむ所は、論なう騒がしう、人繁く侍らむを」と聞こゆ。「さりとては、いとおぼつかなくてやあらむ。なほ、とかくさるべき様に構へて、例の、心知れる侍従などに会ひて、いかなることをかく言ふぞ、と案内せよ。下衆は僻事ひがことも言ふなり」とのたまへば、いとほしき御気色も忝くて、夕つ方行く。




匂宮(今上帝の三の宮)にも、いつもとは違った返事がありましたので、「どういうことであろうか。このわたしを、愛していると思っていたのだが、実を結ぶことのないものと、深く疑って、余所へ身を隠したのでは」と慌てて、使いを遣りました。しかし女房たちが泣き惑うているところに訪ねたので、文さえも差し上げることができませんでした。「何があったのか」と下衆女に訊ねると、「上(浮舟)が、今宵、急にお亡くなりになりましたので、騒ぎになっております。頼りになるお方もおりませんので、お仕えしておりました女房どもは、慌てふためいております」と答えました。気が回らない男でしたので、詳しく訊ねることなく帰って行きました。「こう申しておりました」と申すと、匂宮は夢かと思えて、「まさかそのようなことが。ひどく患っておるとは聞いておらぬが。日来、具合が悪いと申していたが、昨日の返事はそのような感じもなく、いつもにまして趣きがあったものを」と、まるで事情が呑み込めないので、「時方よ、訪ねて様子を見て、確かなことを訊ねよ」と申すと、「大将殿(薫)が、どういうことか、こう申していると聞いたことがございます。宿直の者がなおざりである、など戒め申されて、下人が殿を退出するのさえ、あれこれ訊ねるということでございます、言伝てもなく、時方が訪ねることを、噂にも聞いたなら、何があったのかと気付くこともありましょう。さておき、にわかに人が亡くなったということですれば、定めて騒ぎになっておりましょうし、人目も多くございます」と答えました。匂宮は「とはいえ、このままあやふやにしてはおけまい。やはり、何かと理由を付けて、いつものように、気心知れる侍従(侍従の君。浮舟の女房)にも会って、どういうことがあったのかと、訊ねよ。下衆が出任せを申しているやも知れぬ」と申せば、悲しそうな顔を見てはおられず、夕方に出発しました。


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by santalab | 2016-04-17 18:41 | 源氏物語 | Comments(0)


「源氏物語」蜻蛉(その2)

泣く泣くこの文を開けたれば、「いとおぼつかなさに、まどろまれ侍らぬけにや、今宵は夢にだに打ち解けても見えず。物に襲はれつつ、心地も例ならずうたて侍るを。なほいと恐ろしく、物へ渡らせ給はむことは近くなれど、そのほど、ここに迎へ奉りてむ。今日は雨降り侍りぬべければ」などあり。昨夜の御返りをも開けて見て、右近いみじう泣く。「さればよ。心細きことは聞こえ給ひけり。我に、などかいささかのたまふことのなかりけむ。幼かりしほどより、露心置かれ奉ることなく、塵ばかり隔てなくて習ひたるに、今は限りの道にしも、我を後らかし、気色をだに見せ給はざりけるがつらきこと」と思ふに、足摺りと言ふことをして泣く様、若き子どものやうなり。いみじく思したる御気色は、見奉り渡れど、かけても、かく並べてならずおどろおどろしきこと、思し寄らむものとは見えざりつる人の御心様を、「なほ、いかにしつることにか」とおぼつかなくいみじ。乳母は、中々物も思えで、ただ、「いかさまにせむ。いかさまにせむ」とぞ言はれける。




泣く泣く母の文を開けると、「いつの間にか、うとうとしていた時のことでしょうか、今宵は夢さえも恐ろしくて。物に襲われて、気分が悪くて仕方ありません。それ以上にとても恐ろしい夢でした、都に移られるのも近くなりましたが、そなたのことが心配です、すぐに迎えを遣りましょう。今日は雨が降りそうですから」と書いてありました。昨夜の御返りも開けて見て、右近(浮舟の女房)はひどく泣いておりました。「やはりそうでございましたか。心細く思われていることを知っておられたのですね。でもどうしてこのわたしに、何も言ってはくれなかったのです。幼ない頃より、露ほども心置くこともなく、塵ばかりの隔てもなくお仕えして参りましたのに、今は限りの道にしても、わたしを残して、気色さえお見せにならなかったことがつらくて」と思って、足摺りをして泣く様は、まるで幼い子どものようでした。右近はたいそう悩んでおられた姿を、常々見ておりましたが、それにしても、まさかそのような大それたことを、思っておられたとは見えなかった人の心を、「でも、どうしてそのようなことを」と思えば悲しくて仕方ありませんでした。乳母は、何も思えず、ただ、「どうしましょう。どうしましょう」と言うばかりでした。


続く


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by santalab | 2016-04-11 08:17 | 源氏物語 | Comments(0)


「源氏物語」手習(その3)

山籠もりの本意深く、今年は出でじと思ひけれど、「限りの様なる親の、道の空にて亡くやならむ」と驚きて、急ぎ物し給へり。惜しむべくもあらぬ人様を、みづからも、弟子の中にもしるしあるして、加持し騒ぐを、家主人聞きて、「御獄精進みたけさうじしけるを、いたう老い給へる人の、重く悩み給ふは、いかが」と後ろめたげに思ひて言ひければ、さも言ふべきことぞ、いとほしう思ひて、いと狭くむつかしうもあれば、やうやうて奉るべきに、中神なかがみ塞がりて、例住み給ふ方は忌むべかりければ、「故朱雀院の御領にて、宇治の院と言ひし所、この渡りならむ」と思ひ出でて、院守、僧都知り給へりければ、「一、二日宿らむ」と言ひに遣り給へりければ、「初瀬になむ、昨日皆詣りにける」とて、いと怪しき宿守の翁を呼びて率て来たり。




僧都は山籠もり([山寺などにこもって修行すること])の決意が固かったので、今年は里に出まいと思っていましたが、「年老いた母親を、道中で亡くすのはつらい」と驚いて、急ぎ母の許にやって来ました。命を惜しむべきもない高齢の母でしたが、自らも、また弟子の中で験([加持祈祷の効き目])ある者を用いて、加持([神仏の加護を受けて、災いをはらうこと])を執り行うのを、家の主人が聞いて、「御嶽精進([吉野の金峰山に参詣する人が、その前に五十日から百日の間精進すること])をしておるが、たいそう高齢であるお方が、病い重らせて(亡くなりでもすれば)は、精進もままならぬ」と不安に思って言いました、僧は誰しもそう思うことだろう、迷惑がっているに違いないと思い、とても狭くむさくるしいところでもあり、母をなんとかして連れ出そうとしましたが、中神([陰陽道(おんようどう)で、八方を運行し、吉凶禍福をつかさどるとされる神])塞がりで、僧都が住んでいる方角は忌むべきであったので、「故朱雀院の御領([皇室所有の土地])で、宇治院と言う所が、このあたりにあったはず」と思い出し、院守のことも、僧都は知っていたので、「一、二日泊りたい」と伝えに使いを遣りました、使いは「院守は初瀬(奈良県桜井市にある長谷寺)に、昨日皆参詣に出かけました」と言って、とても怪しい宿守の老人を呼んで連れて来ました。


続く


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by santalab | 2016-04-10 21:21 | 源氏物語 | Comments(0)


「源氏物語」手習(その4)

「おはしまさば、早や。いたづらなる院の寝殿にこそ侍るめれ。物詣での人は、常にぞ宿り給ふ」と言へば、「いとよかなり。公所おほやけどころなれど、人もなく心安きを」とて、見せに遣り給ふ。この翁、例もかく宿る人を見習ひたりければ、おろそかなるしつらひなどして来たり。




宿守は「お出でになられるのなら、お急ぎください。何もない院の寝殿でございますが。参詣の人たちが、いつも泊っておられますから」と言ったので、僧都は「それはありがたいこと。公所([朝廷の所有地])ではあるが、人がいないのはかえって気が楽じゃ」と言って、宿守に様子を見に行かせました。宿守の老人は、いつもこうして泊る人に馴れていたので、簡素な準備をして戻って来ました。


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by santalab | 2016-04-10 21:18 | 源氏物語 | Comments(0)


源氏物語



蜻蛉
手習
夢浮橋
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by santalab | 2016-04-10 20:45 | 源氏物語 | Comments(0)


「源氏物語」蜻蛉(その1)

かしこには、人々、おはせぬを求め騒げど、甲斐かひなし。物語の姫君の、人に盗まれたらむ明日のやうなれば、詳しくも言ひ続けず。京より、ありし使ひの帰らずなりにしかば、おぼつかなしとて、また人こせたり。「まだ、鶏の鳴くになむ、出だし立てさせ給へる」と使ひの言ふに、いかに聞こえむと、乳母よりはじめて、あわて惑ふこと限りなし。思ひ遣る方なくて、ただ騷ぎ合へるを、かの心知れるどちなむ、いみじく物を思ひ給へりし様を思ひ出づるに、「身を投げ給へるか」とは思ひ寄りける。




宇治では、女房たちが、浮舟がいなくなったので騒いで捜し回っておりましたが、どこにもいませんでした。物語(『伊勢物語』)の姫君が、人に盗まれた朝のように、はっきりとしたことは知れませんでした。母は京より、遣わした使いが帰らないので、どうしたことかと、また人を遣わしました。使いは「まだ、鶏が鳴くうちに、出発したいのですが」と言うけれども、どう返事したものやら、乳母を初めて、あわて騒ぐこと限りありませんでした。ただ途方に暮れて、ただ騒ぎ合うだけでしたが、浮舟の気持ちを知る女房たちは、たいそう悲しんでおられた様を思い出して、「身を投げられたのでは」と思うのでした。


続く


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by santalab | 2016-04-10 20:44 | 源氏物語 | Comments(0)


「源氏物語」手習(その2)

睦ましうやむごとなく思ふ弟子の阿闍梨を添へて、仏経供養ずること行ひけり。事ども多くして帰る道に、奈良坂と言ふ山越えけるほどより、この母の尼君、心地悪しうしければ、「かくては、いかでか残りの道をもおはし着かむ」ともて騷ぎて、宇治の渡りに知りたりける人の家ありけるに、止めて、今日ばかり休め奉るに、なほいたうわづらへば、横川に消息したり。




僧都は親しくして重用している弟子の阿闍梨([密教で、修行を完了し、伝法灌頂を受けた僧])を供に付けて、仏経供養を執り行わせることにしました。仏事を多くなし終えて帰る途中、奈良坂(奈良市の北から京都府木津川市木津に出る坂道)と言う山を越えていると、僧都の母である尼君の、具合が悪くなって、「この具合では、とても残りの道を歩くことはできそうもありません」と大騒ぎになりました、宇治(京都府宇治市)のあたりに知る人の家があったので、そこに落ち着いて、今日ばかりは休ませることにしましたが、なおも苦しさは治まらず、横川(僧都)に知らせることにしました。


続く


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by santalab | 2016-04-10 09:53 | 源氏物語 | Comments(0)


「源氏物語」手習(その1)

その頃、横川よかはに、なにがし僧都とか言ひて、いと尊き人住みけり。八十余りの母、五十ばかりの妹ありけり。古き願ありて、初瀬に詣でたりけり。




その頃、横川([比叡山延暦寺の三塔の一。根本中堂の北方の横川谷の峰にある諸堂塔の総称])に、某の僧都とかと言う、とても尊い僧が住んでいました(恵心僧都=源信がモデルと言われている)。八十過ぎの母と、五十ばかりの妹がいました。母(大尼)と妹は昔の願のお礼参りに、初瀬(奈良県桜井市にある長谷寺)に参詣に出かけました。


続く


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by santalab | 2016-04-10 09:47 | 源氏物語 | Comments(0)


「源氏物語」夢浮橋(その22)

いつしかと待ちおはするに、かくたどたどしくて帰り来たれば、すさまじく、「中々なり」と、思すこと様々にて、「人の隠し据ゑたるにやあらむ」と、我が御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置き給へりし習ひに、とぞ本に侍るめる。




薫大将は小君(浮舟の弟)の帰りを今か今かと待っていましたが、小君が気落ちして帰って来たので、甲斐がなかったのだと知って、「行かせなければよかった」と、思ったりしました、一方では「誰かが浮舟を隠し置いているのではないか」と、心の及ぶ限り思い続けたのは、薫大将に何か心行かぬものがあってのことと、本に書かれてありました。


(終)


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by santalab | 2016-04-09 09:11 | 源氏物語 | Comments(0)


「源氏物語」夢浮橋(その21)

所に付けてをかしき饗応などしたれど、幼き心地は、そこはかとなくあわてたる心地して、「わざと奉れさせ給へるしるしに、何事をかは聞こえさせむとすらむ。ただ一言をのたまはせよかし」など言へば、「げに」など言ひて、かくなむ、と移し語れど、物ものたまはねば、甲斐かひなくて、「ただ、かく、おぼつかなき御有様を聞こえさせ給ふべきなめり。雲の遥かに隔たらぬほどにも侍るめるを、山風吹くとも、またも必ず立ち寄らせ給ひなむかし」と言へば、すずろに暮らさむも怪しかるべければ、帰りなむとす。人知れずゆかしき御有様をも、え見ずなりぬるを、おぼつかなく口惜しくて、心行かずながら参りぬ。




尼君は所にふさわしい饗応([もてなし])をしましたが、小君(浮舟の弟)の幼い心ながら、何となく気は急かされて、尼に「わざわざ訪ねて来たのです、姉(浮舟)から何か返事をいただかなくては。ただ一言でかまいません何か申すように申してください」と言うと、尼君は「困りましたね」と言うばかりでした、小君は薫大将殿がこう申しておりました、とそのままに伝えましたが、姉からの返事はありませんでした、尼君はこのままではどうにもならないと思って、「ただ、遠くのあの雲のように、心許なく暮らしているとお伝えください。ここはあの雲のように遥か遠くではございません、山風が吹くとも、必ずまたお立ち寄りください」と言いました、小君はこのまま日暮れまでここにいても姉には会えないと思って、帰ることにしました。小君(浮舟の弟)は心底なつかしみ思う姉(浮舟)に会いたいと願っていましたが、会えずじまいになったことを、ただなんとも言えず残念に思いながら、仕方なく帰って行きました。


続く


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by santalab | 2016-04-09 09:05 | 源氏物語 | Comments(0)

    

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