Santa Lab's Blog


カテゴリ:平家物語( 926 )



平家物語

巻第一
祇園精舎殿上闇討禿髪吾身栄花祗王二代后額打論清水寺炎上東宮立殿下乗合鹿谷俊寛沙汰鵜川軍願立御輿振内裏炎上

巻第二
座主流一行阿闍梨之沙汰西光被斬小教訓少将乞請教訓状烽火之沙汰新大納言流罪阿古屋之松新大納言死去徳大寺厳島詣山門滅亡同衆合戦山門滅亡善光寺炎上康頼祝言卒塔婆流蘇武

巻第三
赦文足摺御産公卿揃大塔建立頼豪少将都帰有王僧都死去旋風医師問答無文灯炉之沙汰金渡大臣流罪行隆之沙汰法皇被流城南之離宮

巻第四
厳島御幸還御源氏揃鼬之沙汰信連合戦高倉宮園城寺入御山門牒状南都牒状大衆揃橋合戦宮御最後若宮御出家三井寺炎上

巻第五
都遷新都月見物怪之沙汰早馬朝敵揃咸陽宮文覚荒行勧進帳文覚被流福原院宣富士川五節沙汰都還奈良炎上

巻第六
新院崩御紅葉葵前小督廻文飛脚到来入道死去築島慈心坊祇園女御嗄声横田河原合戦

巻第七
北国下向竹生島詣火打合戦木曽願書倶利伽藍落篠原合戦実盛最期玄昉木曽山門牒状山門返牒平家山門連署主上都落惟盛都落聖主臨幸忠度都落経正都落青山沙汰一門都落福原落

巻第八
山門御幸名虎緒環太宰府落征夷将軍院宣猫間水島合戦瀬尾最期室山合戦鼓判官法住寺合戦

巻第九
生食沙汰宇治川先陣河原合戦木曽最期樋口被斬六箇度合戦三草勢揃三草合戦老馬一二之懸二度之懸逆落越中前司最期忠度最期重衡生捕敦盛最期知章最期落足小宰相身投

巻第十
首渡内裏女房八島院宣請文戒文海道下千手前横笛高野槇維盛出家熊野参詣維盛入水三日平氏藤戸

巻第十一
逆櫨勝浦継信最期那須与一弓流志度合戦壇ノ浦合戦遠矢先帝身投能登殿最期内侍所都入一門大路被渡文之沙汰副将被斬腰越大臣殿被斬重衡被斬

巻第十二
大地震紺掻之沙汰平大納言被流土佐坊被斬判官都落吉田大納言之沙汰六代泊瀬六代六代被斬

灌頂巻
女院御出家大原入大原御幸六道之沙汰女院死去
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by santalab | 2014-01-19 08:41 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」重衡被斬(その10)

北の方この由を聞き給ひて、たとひかうべをこそ刎ねらるるとも、むくろは定めて捨て置いてぞあるらん。取り寄せて孝養けうやうせんとて、輿こしを迎ひに遣はされたりければ、げにも骸は河原かはらに捨て置きてぞありける。これを取つて輿に入れ、日野へ舁いてぞかへりける。昨日きのふまでは、さしも由々しげにおはせしかども、かやうに暑き頃なれば、いつしかあらぬ様にぞなられける。これを待ちうけて見給ひける北の方の心の内、推し量られてあはれなり。首をば、大仏のひじり俊乗房しゆんじようばうにかくとのたまへば、大衆に請ひ受けて、やがて日野へぞ送られける。さてしもあるべきことならねば、その辺近き法界ほふかい寺と言ふ山寺に入れ奉り、首も骸もけぶりになし、こつをば高野かうやへ送り、墓をば日野にぞせられける。北の方やがて様を変へ、濃き墨染めにやつれ果てて、かの後世ごせ菩提をとぶらひ給ふぞ哀れなる。




北の方は重衡が斬られたことを聞いて、たとえ首は刎ねられるとも、骸はどこかに捨て置かれていることでしょう。持ち帰り孝養([ねんごろに弔うこと])しなくてはと申して、輿を遣わすと、やはり骸は河原に捨て置かれていました。重衡の骸を腰に乗せて、日野に担いで帰りました。あれほどもりっぱな人でしたが、暑い頃だったので、いつの間にか思いもかけない姿になっていました。重衡の骸を待って見られた北の方の心の内が、推し量られてかわいそうでした。重衡の首は、大仏(東大寺)の聖である、俊乗房(重衡によって焼き払われた東大寺、興福寺を再建した立役者だそうです)に願い出て、俊乗房が僧に要請したので、すぐに日野に送られてきました。そのままというわけにはいかないので、ほど近い法界寺(今の京都市伏見区日野にある寺院)に入れて、首も骸も煙にして、遺骨は高野山に送り、墓を日野に作りました(今も日野に重衡の墓と伝えられている史跡が残っているそうです)。北の方はやがて様を変えて仏門に入り、濃い黒染めの僧衣に替えてやつれ果て、重衡の後世([来世の安楽])菩提([死後の冥福])を弔いましたが悲しいことでした。


続く


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by santalab | 2014-01-19 08:40 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」重衡被斬(その9)

後悔こうくわい千万せんばん、悲しんでもなほあまりあり。ただし三宝さんばう境界きやうがいは、慈悲心を以つて心とするゆゑに、済度さいど良縁りやうえんまちまちなり。唯縁楽意ゆゐゑんげうい逆即是順ぎやくそくぜじゆん、このもん肝に銘ず。一念弥陀仏、即滅そくめつ無量罪むりやうざい、願はくは逆縁ぎやくえんを以つて順縁じゆんえんとし、ただ今の最期の念仏によつて、九品くほん托生たくしやうぐべし」とて、首を伸べてぞ討たせらる。日来の悪行あくぎやうはさることなれども、ただ今の御有様を見奉るに、千人の大衆だいしゆも、守護の武士どもも、皆よろひの袖をぞ濡らしける。首をば般若はんにや寺の門のまへに、釘付けにこそしたりけれ。これはんぬる治承ぢしようの合戦の時、ここに討つ立つて、伽藍を焼き滅ぼし給ひたりし故とぞ聞こえし。




後悔すること数知れず、悲しんでも悲しみきれない。それでも三宝([仏、法、僧])の境界([善悪の報いによって各人が受ける境遇])は、慈悲([仏、菩薩が人々をあわれみ、苦しみを取り除くこと])を以って心とするが故に、済度([仏が迷い苦しんでいる人々を救って、悟りの境地に導くこと])の良縁([極楽往生ができるよい因縁])は人それぞれである。唯縁楽意(ただ縁を信じて心を安らかに)、逆即是順(逆縁もこれすなわち順縁となる)、この文を肝に銘じよう。阿弥陀仏だけを信じて、数知れない罪がただちに滅ぶこと、願わくは逆縁([悪行がかえって仏道に入る機縁となること])を以って順縁([仏道に入る縁となる善事])となるように、この最期の念仏によって、九品托生([九品]=[九品浄土]=[西方浄土]で生きながらえること)を遂げさせよ」と言ってから、首を延べて討たれました。これまでの日頃の悪行はいうまでもないことでしたが、この有様を見て、数千人の大衆([僧])も、護衛の武士たちも、皆鎧の袖を涙で濡らしました。重衡の首は般若寺(今の奈良市にある寺)の門の前に、釘付けにされました。これは去る治承の合戦(源平合戦)の時、ここに重衡が討ち入って、伽藍([大きな寺、寺院の建物])を焼き滅ぼしたからだということです(『奈良炎上』)。


続く


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by santalab | 2014-01-18 09:00 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」重衡被斬(その8)

中将これを控へつつ、仏に向かひ奉て申されけるは、「伝へ聞く、調達でうだつ三逆さんぎやくを作り、八万ざう聖教しやうげうを、焼き滅ぼし奉りしも、つひには天王てんわう如来によらい記別きべつあづかり、所作の罪業ざいごふまことに深しと言へども、聖教に値遇ちぐせし逆縁朽ちずして、かへつて得道とくだういんとなる。今重衡が逆罪ををかすこと、まつたく愚意ぐい発起ほつきにあらず。ただ世のことわりを存ずるばかりなり。しやうを受くる者、たれ王命わうめい蔑如べつじよせん。命を保つ者、誰か父の命を背かん、かれと申しこれと言ひ、辞するにところなし。理非りひ仏陀の照覧せうらんにあり。されば罪報ざいはうたちどころに報い、運命すでにただ今を限りとす。




重衡はそれを手に持って、仏に向かって申すには、「伝え聞くことですが、調達([調婆達多]=[提婆達多]。ちなみにこの名前を聞くと「レインボーマン」を思い出すのは僕だけではないはず)が三逆([提婆達多が犯した三種の罪。阿羅漢を殺すこと、仏の体を傷つけて出血させること、教団を分裂させること])を作り、八万蔵の聖教([仏教の経典])を焼き滅ぼしました、最期は天王如来([提婆達多が未来に悟りを開いて仏となる時の名])の記別([仏が、弟子たちの来世の悟りの内容を予言すること])を得て、調達が行った罪業([罪となる悪い行い])は罪深いものとはいえ、聖教([釈迦の説いた教え])に縁あってめぐり会い逆縁([悪行がかえって仏道に入る機縁となること])朽ちることなく、かえって得道([仏道を修行して悟りを開くこと])の因([原因])となったそうです。今の世にわたしが逆罪([理にそむく、きわめて重い罪])を犯したのは、決してわたし自身が思い立ったことではありません。ただ世の中にその理([理由])があったからなのです。この世に生を受けた者、誰が帝の命令を疎かにできましょう。命を授かった者、誰が父の命令に背くことはできません、あれと命じられこうせよと命じられれば、辞退することなど思いもよらぬことなのです。理非([道理にかなっていることと外れていること])はすべて仏陀の照覧([神仏が御覧になること])するところです。ならば罪報([罪のむくい])を受けて、運命を今を限りとするのも悔やむことはありません。


続く


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by santalab | 2014-01-17 08:21 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」重衡被斬(その7)

ここに三位中将の年来の侍に、木工むく右馬むまじよう知時ともときと言ふ者あり。八条女院に兼参けんざんにてさふらひけるが、御最期を見奉らんとて、むちを打つてぞ馳せたりける。すでに斬り奉らんとしけるところに馳せ着いて、急ぎむまより飛んで下り、千万ひとの立ち囲うだる中を、押し分け押し分け、三位の中将の御そば近うまゐつて、「知時こそ御最期を見奉らんとて、参つて候へ」とまうしければ、中将、「心ざしのほどまことに神妙しんべうなり。いかに知時、あまりに罪深う思ゆるに、最期に仏ををがみ奉て、斬らればやと思ふはいかに」とのたまへば、知時、「易いほどの御事ざふらふ」とて、守護しゆごの武士にまうし合はせて、その辺近き里より、仏を一体いつたい迎へ奉て参りたり。さいはひに阿弥陀にてぞましましける。河原かはら砂子いさごうへに据ゑ奉り、知時が狩衣かりぎねの袖の括りを解いて、仏の御手みてにかけ、中将に控へさせ奉る。




三位中将(平重衡。清盛の五男)の侍([家臣])に、木工右馬允知時という者がいました。八条女院(八条院。鳥羽天皇の皇女暲子しようし内親王)にも仕えていましたが、重衡の最期を見取ろうとして、馬に鞭打って馳せてきました。すでに斬られようとしているところに着いて、急いで馬から飛んで下りて、大勢の人が立ち囲んだ中を、押し分け押し分け、重衡のそば近くまでやって来て、「知時こそは最期を見届けようと、やってまいりました」と申せば、重衡は、「心ざしまとこにりっぱなことだ。知時よ、あまりにわたしは罪深く思えるので、最期に仏を拝んでから、斬られたいと思うのだが」と言えば、知時は、「お易いご用でございます」と言って、護衛の武士に相談して、そのあたりの近い里から、仏を一体借りてきました。幸いにも阿弥陀仏でした。仏を河原の砂の上に据えて、知時が狩衣([着物])の袖の括り([狩衣の裾口に通したひも])を解いて、一方仏の手にかけ、もう片方を重衡に持たせました。


続く


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by santalab | 2014-01-17 08:19 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」重衡被斬(その6)

「契りあらば、後の世には必ずまれ逢ひ奉るべし。一つはちすにと祈り給へ。日もけぬ。奈良へもとほさふらへば、武士どもの待つらんも心なし」とて、出でられければ、北の方、中将のたもとにすがり、「いかにやしばし」とて引きとどめ給へば、中将、「心の内をばただ推し量り給ふべし。されどもつひには永らへ果つべき身にもあらず」とて、思ひ切つてぞ立たれける。まことにこの世にてあひ見んことも、これぞ限りと思はれければ、今一度立ちかへりたくは思はれけれども、心弱うては叶はじとて、思ひ切つてぞ出でられける。北の方は御簾みすほかまでまろび出で、をめき叫び給ひける御こゑの、かどの外まではるかに聞こえければ、中将涙に暮れて、行く先も見えねば、駒をもさらに早め給はず。中々なりける見参げんざんかなと、今は悔しうぞ思はれける。北の方やがて走りも出でておはしぬべうは思はれけれど、それもさすがなればとて、引きかづいてぞ伏し給ふ。さるほどに南都の大衆だいしゆ、三位の中将受け取り奉て、いかがすべきと詮議せんぎす。「そもそもこの重衡のきやう大犯だいぼんの悪人たるうへ、三千五刑の内にも漏れ、修因しゆいん感果かんくわ道理だうり極上ごくじやうせり。仏敵ぶつてき法敵ほつてき逆臣ぎやくしんなれば、すべからく東大寺興福こうぶく両寺りやうじ大垣おほがきを廻らして、掘り首にやすべき、またのこぎりにてや斬るべき」と詮議す。 老僧らうそうどもの詮議しけるは、「それも僧徒のほふには穏便をんびんならず。ただ武士にうで、粉津こつの辺にて斬らすべし」とて、つひに武士の手へぞかへされける。武士これを受け取つて、粉津がははたにて、すでに斬り奉らんとしけるに、千人の大衆、守護の武士、見る人幾千万と言ふ数を知らず。




重衡(平重衡。清盛の五男)「契りがあれば、後の世に必ず生まれて逢うことができよう。同じ蓮([極楽浄土])に行けますようにと祈りなさい。日も暮れようとしている。奈良への道も遠ければ、武士たちもいつまでも待ってはくれない」と言って、出ていこうとすると、重衡の北の方は、中将(重衡)の袂にすがって、「もう少しだけ」と言って引きとどめようとしました、重衡は、「お前の心の内はよくわかっている。けれども末長く一緒にいられる身ではないのだから」と言って、思い切って出ていきました。もうこれっきりこの世で逢うことも、これで最後と思えば、もう一度戻りたいと思いましたが、決心が弱くなってしまうからと、思い切って出て行きました。北の方は御簾の外まで転がり出て、”喚き叫ぶ声が、門の外まで遠く聞こえたので、重衡は涙に暮れて、行く先も見えず、馬を止めることもできませんでした。満足ではない再会だったと、今となっては悔しく思われました。北の方はすぐにでも走り出ようと思いましたが、それもさすがに無理なことだと、着物を被って倒れ込んでしまいました。その後奈良の大衆([僧])が、重衡を受け取って、どうすべきか相談しました。「重盛卿は大罪を犯した悪人であるから、三千五刑(古代中国の刑罰らしい)でも裁くことができない、修因感果([修行によって悟りを得ること])の道理の極上をもって対処すべきである。仏敵([仏教の敵])法敵([仏敵]に同じ)の逆臣([主君に背く家来])であるから、当然東大寺興福寺の大垣を引き回して、掘り首([地中に生き埋めにして首を切り落とす刑])にすべき、のこぎりで首を落とすべき」と相談しました。老僧たちが意見するには、「それは僧徒の法([規範])としていかがなものか。武士に返して、粉津(今の京都府相楽郡木津町らしい)のあたりで斬らせよう」と言って、武士に返されました。武士が重衡を受け取って、粉津川(木津川)の河原で、斬ろうとするところに、数千人の僧、護衛の武士たち、見物の者たちが数知れず集まりました。


続く


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by santalab | 2014-01-15 08:39 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」重衡被斬(その5)

北の方、「あまりに御姿のしをれてさぶらふに、たてまつり替へよ」とて、あはせの小袖に浄衣じやうえを添へて出だされたり。中将これを着替へつつ、もと着給ひたる装束しやうぞくをば、「これをも形見に御覧ぜよ」とて奉り給へば、北の方、「それもさる御事にてはさぶらへども、はかなき筆の跡こそ、後の世までの形見にて候へ」とて、御すずりをい出されたり。中将泣く泣く一首の歌をぞ書き給ふ。

堰かねて 涙のかかる 唐衣 のちの形見に 脱ぎぞかへぬる

北の方の返事に、
脱ぎかふる 衣も今は なにかせむ 今日をかぎりの 形見とおもへば




重衡の北の方は、「あまりにも着物が萎れておりますから、着替えなさいませ」と言って、袷([裏地をつけて仕立てた着物])の小袖([装束の下に着る白絹の下着])に浄衣([神事、祭祀などに着用する白地の着物])を添えて出しました。中将(重衡。清盛の五男)はこれに着替えて、もともと着ていた装束を、「これも形見にせよ」と言って北の方に差し出せば、北の方は、「これも形見にさせていただきますが、筆の跡を、後の世までの形見にしたいのです」と言って、硯を出しました。重衡は泣きながら一首の歌を書きました。

堰止めることができないで、涙に濡れたこの衣を、後の形見とするために、着替えることにしよう。

北の方の返事は、
あなたが脱ぎ替えた衣も、今となっては悲しみを抑えることはできません。ただ今日を限りの、形見だと思えばさらに悲しさが募るばかりです。


続く


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by santalab | 2014-01-14 08:59 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」重衡被斬(その4)

ややあつて、北の方涙を抑へてのたまひけるは、「二位にゐ殿、越前ゑちぜんの三位のうへのやうに、みづの底にもしづむべかりしかども、まさしうこの世におはせぬ人とも聞かざりしかば、変はらぬ姿を今一度、見もし見えばやと思ひてこそ、憂きながら今日けふまでも永らへたれ。今まで永らへつるは、もしやと思ふ頼みもありつるものを、さては今日けふを限りにておはすらんことよ」とて、昔今のことどものたまひ交はすにつけても、ただ尽きせぬものは涙なり。




ややあって、北の方が涙を抑えて申すには、「二位殿(清盛の継妻で重衡の生母、時子ときこ、越前三位の上(越前三位通盛みちもりの妻、小宰相。通盛は清盛の異母弟教盛のりもりの嫡男)のように、水の底に沈めばよかったものを、確かににあなたがこの世にいない人とは聞いておりませんでしたので、変わらぬ姿をもう一度、見てみたいと思って、悲しみながらも今日まで生きてきました。今まで生きてこられたのも、もしかしたらと思う望みがあったからです、それも今日限りのことになってしまいました」と言って、昔や今のことを話し合いましたが、ただ尽きることのない涙なのでした。


続く


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by santalab | 2014-01-13 08:59 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」重衡被斬(その3)

北の方御簾みすきは近いく出でて、「いかにやいかに、夢かやうつつか。これへ入らせ給へ」とのたまひける御こゑを、聞き給ふにつけても、ただ先立つものは涙なり。大納言のすけ殿は、目も暮れ心も消え果てて、しばしはものものたまはず。三位の中将御簾うちかづき、泣く泣くのたまひけるは、「去年こぞの春津の国一の谷にて、いかにもなるべかりし身の、せめての罪の報いにや、生きながら捕らはれて、きやう鎌倉はぢさらすのみならず、果ては南都の大衆だいしゆの手へ渡されて、斬らるべしとてまかり候ふ。あはれいかにもして、変はらぬ姿を今一度、見もし見え奉らばやとこそ思ひつるに、今は憂き世に思ひ置くことなし。これにてかしらを剃り、形見に髪をもまゐらせたう候へども、かかる身に罷りなつて候へば、心に心をも任せず」とて、ひたひの髪を掻き分け、口の及ぶ所を少し喰ひ切つて、「これを形見に御覧ぜよ」とて奉り給へば、北の方、日頃おぼつかなう思しけるより、今一入ひとしほ思ひの色や増さられけん、引き被いてぞ伏し給ふ。




北の方は御簾の際近くまで出て、「いったいどういうことかしら、夢でしょうかそれとも現実のこと。ともかくもこちらにお入りなさいませ」と言う声を、聞くだけでも、重衡しげひら(平重衡。清盛の五男)はただ先に涙が流れてきました。大納言佐殿(北の方)も、目もくらみ動揺して、しばらく何も言えませんでした。重衡は御簾で頭を覆いながら、泣いて申すには、「去年の春に摂津の国一の谷で、斬られるところを、罪の報いなのか、生きて捕らわれて、京鎌倉に恥を晒すのみならず、最期は奈良の大衆([僧])に渡されて、斬られることになって連れてこられたのだ。ああなんとかして、変わらない姿をもう一度、見てもらうために会いたいと思っていたが、もうこれでこの世に思い残すことはない。ここで頭を剃って、形見に髪を残そうと思うけれども、このような身になってしまえば、心の思うままにならない」と言って、額の髪を掻き分けて、口が届くところを少し喰いちぎって、「これを形見にせよ」と言って与えると、北の方は、日頃から不安に思っていましたが、今は特段に思いが募って、着物を引きかぶったまま伏してしまいました。


続く


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by santalab | 2014-01-12 08:12 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」重衡被斬(その1)

さるほどに、本三位中将重衡しげひら卿をば、狩野かのすけ宗茂むねしげあづけられて、去年より伊豆国におはしけるが、南都の大衆だいしゆしきりに申ししければ、「さらば遣はさるべし」とて、源三位げんざんみ入道孫、伊豆蔵人大夫頼兼よりかねおほせて、つひに奈良へぞ渡されける。今度は都の内へは入れられず、大津おほつより山科やましなどほりに、醍醐路だいごぢを経て行けば、日野は近かりけり。この北の方とまうすは、鳥飼とりかひ中納言ちうなごん伊実これざねの娘、五条ごでうの大納言邦綱くにつな養子やうじ、先帝の御乳母、大納言のすけの局とぞまうしける。中将一の谷にて、生け捕りにせられ給ひて後は、先帝に付きまゐらせてましましけるが、壇の浦にて海にしづみ給ひしかば、もののふの荒けなきに捕らはれて、旧里きうりかへり、姉の大夫だいぶ三位に同宿どうしゆくして、日野と言ふ所にぞましましける。三位の中将の露の命、草葉のすゑにかかつて、いまだ消え遣り給はぬと聞き給ひて、あはれいかにもして、変はらぬすがたを、今一度見もし、見えばやとは思はれけれども、それも叶はねば、ただ泣くよりほかの慰みなくて、明かし暮らし給ひけり。




その後、本三位中将重衡卿(平重衡。清盛の五男)は、狩野介宗茂(源頼朝の家臣)に預けられて、去年(1184)より伊豆国にいましたが、奈良の大衆([僧])がしきりに寄こせと言うので、「ならば遣わす」と言って、源三位入道(源頼政よりまさ)の孫、伊豆蔵人大夫頼兼(源頼兼)に命じて、奈良へ連れていくことになりました。今度は都の中へは入らず、大津(今の滋賀県大津市)より山科(今の京都市山科区)を通って、醍醐路(今の京都市伏見区から滋賀県大津市に至る道らしい)を通ったので、日野(今の京都市伏見区日野)は近くでした。重衡の北の方(正室)というのは、鳥飼中納言伊実(藤原伊実)の娘で、五条大納言邦綱(藤原邦綱)の養女(おそらく実子だったといわれています)、先帝(安徳天皇)の乳母、大納言佐の局と呼ばれていました(藤原輔子すけこ)。重衡が一の谷で、生け捕りにされた後は、安徳天皇の供に付いていましたが、壇の浦で海に沈んだものの、源氏の兵に荒っぽく捕らわれて、故郷に帰り、姉の大夫三位(藤原成子しげこ。成子は六条天皇の乳母でした。同じく姉妹の邦子くにこは高倉天皇の乳母、輔子は安徳天皇乳母でしたから、乳母姉妹なのです)のところに住んで、日野という所にいました。北の方は、重衡のはかない命も、風前のともしびとなったものの、まだ消えずにいると聞き及んだので、ああどうにかして、変わらないすがたを、もう一度見てみたい、会ってみたいと思っていましたが、それも叶わなく、ただ泣くよりほかに慰めもなくて、日々を送っていました。


続く


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by santalab | 2014-01-11 08:29 | 平家物語 | Comments(0)

    

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