Santa Lab's Blog


カテゴリ:落窪物語( 80 )



「滝口入道」無常(その4)

後の日を約して小走りに帰り行く男の影をつくづく見送りて、滝口は枯れ木の如く立ちすくみ、いづこともなく見詰むる目の光ただならず。「二郎、二郎とは何人なんびとならん」。独りごちつつ首傾けてしばし思案の様なりしが、たちまち眉上がりまなこ鋭く「さては」とばかり、面色めんしよく見る見る変はりて握り詰めしこぶしぶるぶる震ひぬ。何に驚きてか、垣根の虫、はたと泣き止みて、空に時雨るる落ち葉散る響きだにせず。ややありて滝口、顔色やはらぎて握りし拳も自ら緩み、ただただ吐息のみ深し。「何事も今の身には還らぬ夢の、恨みもなし。友を売り人をいつはる末の世と思へば、我がために善智識ぞや、まことなき人を恋ひしも憂き世の習ひと思へば少しも腹立たず」。




後の日を約束し小走りに帰り行く男の影をじっと見送って、滝口(斉藤時頼ときより)は枯れ木のように立ちすくみ、どこを見つめるのか目の輝きは尋常ではありませんでした。「二郎、二郎とは誰のことだろう」。独り言を言いながら滝口はしばらく考えているようでしたが、たちまちに眉は上がり目は鋭くなって「さては」とばかり、顔色は見る見るうちに変わって握りしめたこぶしはぶるぶると震えていました。何に驚いたのか、垣根の虫は、ぱったりと鳴き止んで、空から降る時雨に落ちる落ち葉の音さえしませんでした。しばらくして滝口は、顔色もやわらいで握りしめた拳も緩み、ただただ深く吐息をつきました。「何事も今の身には還らない夢であれば、恨みにも思うまい。友を売り人を偽る末の世と思えば、わたしには善智識([人を仏道へ導く機縁となるもの])だったということか、想いを寄せることもない人に恋したのも憂き世の習いと思えば少しの腹も立たない」とつぶやきました。


続く


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by santalab | 2014-03-06 12:28 | 落窪物語 | Comments(0)


落窪物語

巻四
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by santalab | 2013-10-08 11:01 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その72)

落窪おちくぼ物語四巻、難波人海北かいほう若冲じやくちゆうに借りて写し侍る。延享えんきやう三の年寅の春如月きさらぎ


柏亭かしはてい真直まつだた


(終)




以上落窪物語四巻を、難波人(大阪人)である海北若冲(江戸中期の国学者)に借りて写し取りました。延享三年(1746)寅の春如月([陰暦二月])


柏亭真直


(終)


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by santalab | 2013-10-01 06:57 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その71)

この落窪おちくぼの物語四巻は、伝写のことわり重からず、巻の数もいと心許なけれど、古くは顕昭けんせうの色葉和歌集にその名見えて、近くは人の物に引きせうすれば、友の元にあり、さいはひと書写し侍ける後、る人の、持てるにて見合せたらん、よかなりと、またその人の知れるが元にもぞ、一つに借りこせたれば、かれこれあはせ見れば、そなたこなたもよろしく、ことば続き心とほりて、嬉しく、ありとあること、一つ漏らさで、後の便りと書きに書き付け侍るなりけり。時は長月二十日余りの頃、難波の海人あま苫屋とまやにて。




この落窪物語四巻は、伝写の正統も定かでなく、巻数も怪しいものですが、古くは顕昭(平安末・鎌倉初期の歌人・歌学者)の色葉和歌集(『和歌色葉』。上覚じようかく=平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての真言宗の僧。が著した歌学書で顕昭に批判を乞うため示し、その後第八十二代後鳥羽院に奉った)にその名が見えて、最近では落窪物語の文章を引いて誉める者がいたので、友人の手元にたまたまあったのを、これ幸いと書き写しましたが、その者の、持っているものと比べては、どうかと、またその者を知る人に、一部借りたいと人を遣って、わたしのものと合わせて見れば、それはいい具合に、言葉がつながり意味が理解できたので、とてもうれしくて、書かれているすべてを、一つもらさず、後の頼りとなると思って書き付けたものなのです。時は長月([陰暦九月])二十日を過ぎた頃、難波の海人の苫屋([粗末な漁夫の家])にて。


続く


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by santalab | 2013-09-30 07:08 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その70)

女御の君の御家司けいしに和泉の守なりて、御徳いみじう見えければ、昔の阿漕あこき、今は典侍ないしのすけになるべし。典侍は二百まで生けるとや。




和泉守(阿漕あこきの叔母の夫)は女御([中宮])の家司([親王家・内親王家・摂関家および三位以上の家に置かれ、家政をつかさどった職])になって、たいそう徳を受けたので、昔阿漕と呼ばれていた落窪の君の女房は、典侍([内侍司=後宮の礼式などを司ったの次官])になったに違いありません。典侍(阿漕)は二百歳まで生きたということです。


続く


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by santalab | 2013-09-29 06:49 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その69)

そちは、この殿の御徳に、大納言になり給へり。


面白は、病重くて法師になりにければ、音にも聞こえぬなるべし。


かの典薬の助は、蹴られたりし病ひにて、死にけり。「これ、かくておはするも、見ずなりぬるぞ、口しき。などて、あまり蹴させけむ。しばし生けておいたらんものを」とぞ、男君のたまひける。




帥(四の君の夫)は、太政大臣殿の徳によって、大納言になりました。


面白の駒は、病を重らせて法師になったので、消息も分からなくなってしまいました。


典薬助は、蹴られて病気になり、死んでしまいました。「落窪の君が、わたしの妻でこうしていることを、見せずに終ったのが、悔しい。どうして、あれほど強く蹴ったのだろう。しばらく生かしておけばよかった」と、太政大臣は申しました。


続く


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by santalab | 2013-09-28 08:06 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その68)

右衛門は宮の尚侍ないしのかみになりにけり。後々のことは、次々、出で来べし。


この少将の君たち、一よろひになむ、なり上がり給ひける。祖父おほぢ大臣おとど、失せ給ひにけれども、「我思はば、ななし落しそ」と、返す返すのたまひたまひける。左大将、右大将にてぞ、続きてなり上がり給ひける。母北の方、御さいはひ、言はずともげにと見えたり。




右衛門(三河守の妻)は中宮尚侍([内侍司の長官])となりました。後々の栄えが、あることでしょう。


太政大臣の子である少将たち(長男と次男)は、一緒に、昇進しました。少将たちの祖父であった大臣(故太政大臣)は、亡くなられていましたが、「わしを思うのなら、次男の昇進を遅らせるではない」と、何度も申しておりました。太政大臣は子どもたちを、長男を左大将、次男を右大将に、順に昇進させました。母である北の方(落窪の君)が、たいそうよろこんだことは、申すまでもありませんでした。


続く


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by santalab | 2013-09-27 07:30 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その67)

三の君を、中宮の御匣みくしげ殿になむなし奉り給へりける。


そちは任果てて、いとたひらかに四の君の来たるを、北の方、うれしと思したり。ことわりぞかし。かく栄え給ふを、よく見よとや神仏も思しけむ、とみにも死なで七十余りまでなむ、いましける。大臣おとどの北の方「いといたく老い給ふめり。功徳を思はせ」とのたまひて、尼に、いとめでたくてなし給へりけるを、喜びのたまひ、いますかりける。「世にあらむ人、継子憎むな。うれしきものはありける」とのたまひて、また、うち腹立ち給ふ時は、「魚の欲しきに、我を尼になし給へる、生まぬ子は、かく腹汚かりけり」となむのたまひける。るに給ひて後も、ただ大臣のいかめしうし給ひける。




太政大臣殿は三の君を、中宮の御匣殿([御匣殿=内蔵寮で調進する以外の天皇の衣服などの裁縫をする所。の女官の長])にさせました。


帥(四の君の夫)は任務を終えて、無事に四の君が帰って来たので、(故大納言の)北の方は、うれしく思いました。当然のことでした。こうして故大納言の子どもたちは栄えて行くのを、よく見ておきなさいと神仏が思ったのか、北の方はにわかに亡くなることもなく七十歳余りまで、生きました。太政大臣の北の方(落窪の君)は「母上はとても年老いました。功徳([現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行])をなされませ」と申して、尼に、とてもめでたくさせてあげたので、故大納言の北の方はとてもよころんで、仏門に入ったのでした。「世の人は、継子を憎んではなりません。継子を大事にすればよいことがあります」と申して、他方、腹を立てた時には、「魚が食べたいのに、どうしてわたしを尼にしたのですか、わたしが生んだのでない子(継子)は、本当に意地が悪い」と申ししていました。北の方が往生した後には、太政大臣が盛大に法要を執り行いました。


続く


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by santalab | 2013-09-26 07:08 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その66)

御娘の女御、后に給ひぬ。宮のすけに少将を中将になしてなむ、せさせたまひける。兵衛のすけたち、皆喜びし給ふ。太郎の兵衛の佐、左近衛の少将になり給ひぬ。祖父おほぢ大臣おとど「我が兵衛の佐、遅くなし給ふ」とのたまへば、「いとわりなきこと。おのれは、子の限りを、事の始めには、いかがし侍らむ」と申し給へば、「これは御子かは。翁の五郎に侍れば、何かは人のそしりにならむ。先には、御太郎、左近、のつかさにはなりにしかば、こたみは右近衛の少将をなせ。叔父にて、甥になり劣るやうやはある」とのたまひて、「よしよし、しぶしぶに思ひ給ふめり」と、内裏にせちに奏せさせ給ひて、右近衛の少将になし給ひて、「かうてこそ見め。この子く生まれたらましかば、かれにぞ、我が官爵も譲らまし」とぞのたまひける。愛しうし給ふとは、世の常なりや。大臣おとどの北の方、御さいはひを、「めでたしとは古めかしや。落ち窪にひとへの御袴のほどは、かく太政大臣の御北の方、后の母と見え給はざりき」とぞ、なほ昔の人々は、言ひけるに、みそか事とも言ひける。




太政大臣の娘である女御([皇后・中宮に次ぐ位])は、皇后になりました。宮の亮(太政大臣の長男)は少将に故大納言の三男を中将に、それぞれ昇進させました。兵衛佐(太政大臣の次男)たちも、皆昇進しました。兵衛佐の祖父である前の太政大臣が「どうしてわしが大事にしておる兵衛佐の出世を、遅らせるのじゃ」と申したので、太政大臣は「仕方のないことです。わたしの、子を全員、事始めに、昇進させることはできません」と答えると、「あれはお前の子か。わしの五郎(五男)ならば、誰に非難されることもない。先に太郎(太政大臣の長男)を、左近(少将)の、位に就けたのならば、次男を右近衛少将にせよ。叔父(前太政大臣の五男で太政大臣の次男)が、甥(太政大臣の次男)に位が劣っていてどうする」と申しました。太政大臣は「仕方ありませんね、なんとかしましょう」と、内裏に強く奏して、右近衛少将にさせました、前太政大臣は「それでよいのじゃ。この子が先に生まれていたならば、この子に、わしの官爵([官職と爵位])を譲ったことじゃろう」と申しました。子をかわいがるのは、世の常でした。太政大臣の北の方は、この幸せを、「めでたいと言うのも言い古された言葉ですが。落ち窪([家の中で、普通の床より一段低い所])に住んで単衣の袴([裏の付いていない袴])を履いていた頃は、こうして太政大臣の北の方、皇后の母になるとは夢にも思いませんでした」と、落窪の君が申した通り古い者たちは、言い合ったので、若い者たちさえひそひそ話しをしたのでした。


続く


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by santalab | 2013-09-25 07:30 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その65)

かかるほどに、大臣おとど、御心地悩み給ひて、太政大臣返し奉り給へど、帝、さらに用ひ給はねば、「いといたう老いた侍れど、朝廷おほやけを見奉り侍らざらむが悲しさに、今まで参り侍りつるなり。今年なむ、慎むべき年に侍れば、このり侍らむと思ひ給ふるに。この族にては、朝廷のやむごとなからむまつりごとに参らせでは、便びんなかるべし。辞し奉る代りには、左大臣をなさせ給へ。ざえしうは侍らざめり。されば、翁よりも御後見はいとよろしく侍りなむ」と、后の宮して、せめて申させ給ひければ、帝「何かは。生きて物し給はむこそ、うれしからめ」とて、左の大臣おとどを太政大臣には、なし奉り給ふ。世の人「まだ四十になり給はで、位を定め奉ることよ」と驚き合へり。




やがて、太政大臣(左大臣の父)が、病気になって、太政大臣の位を下りようとしましたが、天皇は、まったく許されなかったので、太政大臣は「たいそう年老いましたが、参内できなくなることが悲しくて、今までお仕えしてきました。今年は、喪に服す年でもありますので、この折りに位を下りようと思っているのです。太政大臣であるわたしが、朝廷にとって大事な政治に関わらなくなれば、不都合もございましょう。わたしが位を下りる代わりに、我が子左大臣を太政大臣になさいませ。才能は、決して劣ることはございません。そうなされば、わたしなどより後見([家長・主人などの後ろだてとなって補佐すること])の心配はまったくございません」と、后の宮([皇后])から、強く申すように勧めたので、天皇は「承知した。太政大臣が生きているだけで、うれしく思うのだから」と申して、左大臣を太政大臣に、就けました。世の人は「まだ四十にもならないうちに、一番の位に就かれるとは」と驚き合いました。


続く


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by santalab | 2013-09-24 06:40 | 落窪物語 | Comments(0)

    

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