Santa Lab's Blog


カテゴリ:義経記( 458 )



義経記

巻第一
義朝都落の事常盤都落ちの事牛若鞍馬入りの事聖門の事牛若貴船詣の事吉次が奥州物語の事遮那王殿鞍馬出の事

巻第二
鏡の宿吉次が宿に強盗の入る事遮那王殿元服の事阿野禅師に御対面の事義経陵が館焼き給ふ事伊勢三郎義経の臣下にはじめて成る事義経秀衡にはじめて対面の事義経鬼一法眼が所へ御出の事

巻第三
熊野の別当乱行の事弁慶生まるる事弁慶山門を出づる事書写山炎上の事弁慶洛中にて人の太刀を奪ひ取る事弁慶義経に君臣の契約す事頼朝謀反の事

巻第四
頼朝義経対面の事義経平家の討手に上り給ふ事腰越の申し状の事土佐坊義経討手に上る事義経都落の事住吉大物二箇所合戦の事

巻第五
判官吉野山に入り給ふ事静吉野山に棄てらるる事義経吉野山を落ち給ふ事忠信吉野に留まる事忠信吉野山の合戦の事吉野法師判官を追ひかけ奉る事

巻第六
忠信都へ忍び上る事忠信最期の事忠信が首鎌倉へ下る事判官南都へ忍び御出ある事関東より勧修坊を召さるる事静鎌倉へ下る事静若宮八幡宮へ参詣の事

巻第七
判官北国落の事大津次郎の事愛発山の事三の口の関通り給ふ事平泉寺御見物の事如意の渡にて義経を弁慶打ち奉る事直江の津にて笈探されし事亀割山にて御産の事判官平泉へ御着きの事

巻第八
継信兄弟御弔の事秀衡死去の事秀衡が子供判官殿に謀反の事鈴木の三郎重家高館へ参る事衣河合戦の事判官御自害の事兼房が最期の事秀衡が子供御追討の事
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by santalab | 2014-03-02 09:08 | 義経記 | Comments(0)


「義経記」静若宮八幡宮へ参詣の事(その26)

母の禅師ぜんじも慰め兼ねて、いとど思ひ深かりけり。明け暮れ持仏堂ぢぶつだうに引き籠り、きやうを読み、仏の御名を唱へてありけるが、かかる憂き世に永らへても何かせんとや思ひけん、母にも知らせず、髪を切りて、剃りこぼし、天龍寺てんりゆうじの麓に草のいほりを結び、禅師もろともに行ひ澄ましてぞありける。姿心、人に勝れたり、しかるべき年ぞかし、十九にて様を変へ、次の年の秋の暮れには思ひや胸に積もりけん、念仏まうし、往生わうじやうをぞ遂げにける。聞く人貞女の心ざしを感じけるとぞ聞こえける。




母である禅師(磯禅師)もどうして慰めていいのか分からず、静御前の悲しみは募るばかりでした。明け暮れには持仏堂([仏間])に引き籠り、経を読み、仏の御名を唱へいましたが、このような憂き世に命永らへえても仕方ないと思って、母にも知らせず、髪を切り、剃り落とし、天龍寺(現京都市右京区嵯峨にある寺)の麓に草庵([粗末な小屋])を結び、磯禅師とともに勤行に励みました。姿心は、人に勝れて、惜しむべき年でした、十九で様を変え、次の年の秋の暮れには思いが胸に積もったのか、念仏を唱えて、往生を遂げました(静御前の死については諸説あり不明)。これを聞く者は貞女を全うしたのだと申しました。


続く


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by santalab | 2014-03-02 09:06 | 義経記 | Comments(0)


「義経記」静若宮八幡宮へ参詣の事(その25)

鎌倉殿、「白拍子しらびやうしは興醒めたるものにてありけるや。今の舞ひやう、歌の歌ひ様、しからず。頼朝田舎人ゐなかうどなれば、聞き知らじとて歌ひける。『しづのをだまき繰り返し』とは、頼朝が世尽きて九郎が世になれとや。あはれおほけなく思えし人の跡絶えにけりと歌ひたりければ、御簾みすを高らかに上げさせ給ひて、軽々しくも讚めさせ給ふものかな」。二位にゐ殿より御引出物色々賜はりしを、判官はうぐわん殿御祈りの為に若宮の別当べつたうまゐりて、堀の藤次とうじ女房にようばうもろともに打ち連れてぞかへりける。明くれば都にとて上り、北白川きたしらかはの宿所に帰りてあれども、物をもはかばかしく見入れず、憂かりし事の忘れ難ければ、問ひ来る人も物憂しとて、ただ思ひ入りてぞありける。




鎌倉殿(源頼朝)は、「白拍子([平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞])はつまらん。今の舞、歌にしろ、まったくこのわたしをばかにしておる。この頼朝を田舎人だと、聞いたこともないと思って歌ったのだろう。『賎のをだまき繰り返し』とは、頼朝のが尽きて九郎(源義経)の世になればよいのにということか。ああ立派なお方でしたのに今はいずこにと歌えば、頼朝は御簾を高らかに上げさせて、あんな奴(源義経)のことを誉めるとは」と申しました。二位殿(北条政子)より引出物を色々賜わりましたが、判官殿(義経)祈念のために若宮(現神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮若宮)の別当に参らせてて、堀藤次(堀親家ちかいへ)の女房たちとともに帰りました。夜が明ければ都に帰ると申して上り、北白川の宿所に帰りましたが、ただぼんやりと眺め暮らして、悲しみを忘れることもできず、訪ね来る人と会うのもつらいと、ただふさぎ込んでいました。


続く


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by santalab | 2014-03-02 08:43 | 義経記 | Comments(0)


「義経記」静若宮八幡宮へ参詣の事(その24)

二位にゐ殿はこれを御覧じて、「去年の冬、四国の波のうへにて揺られ、吉野の雪に迷ひ、今年は海道かいだうの長旅にて、せ衰へ見えたれども、しづかを見るに、我がてうに女ありとも知られたり」とぞおほせられける。静その日は、白拍子しらびようしおほく知りたれども、殊に心に染むものなれば、しんむじやうの曲と言ふ白拍子の上手じやうずなれば、心も及ばぬ声色こはいろにて、はたと上げてぞ歌ひける。上下あと感ずるこゑ雲にも響くばかりなり。近きは聞きて感じけり。こゑも聞こえぬもさこそあるらめとてぞ感じける。しんむしやうの曲半なからばかり数へたりけるところに祐経すけつね心なしとや思ひけん、水干の袖をはづして、責めをぞ打ちたりける。静「君が代の」と上げたりければ、人々これを聞きて、「情けなき祐経かな、今一折舞はせよかし」とぞまうしける。詮ずるところ敵のまへまひぞかし。思ふ事を歌はばやと思ひて、

しづやしづ 賎のをだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな

吉野山 嶺の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき

と歌ひたりければ、鎌倉殿御簾みすをざと下ろし給ひけり。




二位殿(北条政子)は静御前を見て、「去年の冬は、四国の波の上で揺られ、吉野(現奈良県吉野郡吉野町)の雪に迷い、今年は東海道の長旅で、痩せ衰えているように思っていましたが、静御前を見て、我が朝にもこのような女がいるにかと思いました」と申しました。静御前はその日、白拍子を数多く知っていましたが、とりわけ気に入る、しんむじやう(新無常?)の曲という白拍子の上手でしたので、思いもしないような声色を上げてで、見事に舞い歌いました。上下の者たちが思わずあっと上げる声は雲にも響くほどでした。近くの者は声を聞いて感動しました。声も聞こえぬ者でさえきっとすばらしい声なのだろうと感動しました。しんむしやうの曲の半ほどで祐経(工藤祐経)はまずいと思ったのか、水干の袖を外して、責め([終曲近く])に持ち込みました。静御前が「君が代の」と声を上げると、者たちはこれを聞いて、「情けはないのか祐経よ、もうしばらく舞わせよ」と申しました。よくよく思えば敵の前での舞でした。静御前は思うままに歌おうと思って、

静よ静よ、布を織るのにおだまき([つむいだ麻糸を巻いて中空の玉にしたもの])を何度となく繰り返し繰るように、昔のままに今あなたに会いたくて。

吉野山の嶺の白雪を踏み分けて、山深く入って行かれたあの人(義経)の跡を見る度に恋しく思い出すわ。

と歌ったので、鎌倉殿(源頼朝)は御簾をざっと下ろしました。


続く


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by santalab | 2014-03-02 08:39 | 義経記 | Comments(0)


「義経記」静若宮八幡宮へ参詣の事(その23)

しづかこれを見て、よくぞ辞退したりける。同じくは舞ふとも、斯かる楽党がくたうにてこそ舞ふべけれ、心軽くも舞ひたりせば、如何に軽々しくあらんとぞ思ひける。禅師を呼びて、まひ装束しやうぞくをぞしたりける。松に懸かれる藤の花、池のみぎはに咲き乱れ、空吹く風は山霞、初音はつねゆかしき時鳥ほととぎすこゑも、折知をりしかほにぞ思えける。静がその日の装束しやうぞくには、白き小袖一襲ひとかさね、唐綾をうへに引き重ねて、白き袴踏みしだき、割菱わりひし縫ひたる水干に、丈なる髪高らかに結ひなして、このほどの歎きに面瘠おもやせて、薄化粧うすげしやう眉細やかに作りなし、皆紅みなぐれなゐあふぎを開き、宝殿に向かひて立ちたりける。さすが鎌倉殿の御前にてのまひなれば、面映おもはゆくや思ひけん、舞ひ兼ねてぞ躊躇やすらひける。




静御前はこれを見て、辞退した甲斐はあったかしら。同じ舞うことになるなら、このような楽党あってこそ舞うべきだわ、心も軽く舞えば、どれほど舞も冴えることでしょうと思いました。磯禅師(静御前の母)を呼んで、舞の装束に着替えました。松にかかる藤の花、池の汀([水際])に咲き乱れ、空吹く風山霞も、初音に心惹かれる時鳥の声も、時を知っているように思えました。静御前のその日の装束は、白い小袖を一襲、唐綾を上に引き重ねて、白色の袴を踏みながら、割菱(武田氏の家紋)を縫った水干に、丈ほどもある髪を高く結い、悲しみに瘠せて、薄化粧して眉を細く作り、皆紅の扇([地紙全体が紅色の扇])を開き、宝殿([本殿])に向かって立ちました。さすがに鎌倉殿(源頼朝)の御前での舞でしたので、罰悪く思ったのか、舞い兼ねていました。


続く


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by santalab | 2014-03-02 08:32 | 義経記 | Comments(0)


「義経記」静若宮八幡宮へ参詣の事(その22)

梶原かぢはら紺葛こんくずの袴に山鳩色やまばといろの水干、立烏帽子、南鐐なんりやうを以つて作りたる黄金こがねの菊形打ちたる銅拍子とびやうしに、啄木たんぼくを入れて、祐経すけつねが右の座敷になほりて、つづみ手色ていろに従ひて、鈴虫などの鳴くやうに合はせて、畠山を待ちけり。畠山は幕のほころびより座敷のていを差し覗きて、別して色々しくも出で立たず、白き大口おほくちに、白き直垂ひたたれ紫革むらさきかはの紐付けて、折烏帽子をりえぼしの片々をきつと引き立てて、松風と名付けたる漢竹の横笛やうでうを持ち、袴のそば高らかに引き上げて、幕ざと引き上げ、づと出でたれば、大のをとこの重らかに歩みなして舞台に上り、祐経が左の方にぞなほりける。名を得たる美男なりければ、あはれやとぞ見えける。その年二十三にぞなりける。鎌倉殿これを御覧じて、御簾みすの内より「あはれ楽党がくたうや」とぞ讚めさせ給ひける。時に取りては、おくゆかしくぞ見えける。




梶原(梶原影時かげとき)は紺葛の袴に山鳩色([鈍い黄緑色])の水干、立烏帽子、南鐐([精錬した上質の銀])で作った黄金の菊形を打った銅拍子([中央が椀状に突起した青 銅製の円盤二個を両手に持って打ち合わせるもの])に、啄木([啄木組]=[白・萌黄・紫などの色糸をまだらに組む紐の組み方])の緒を入れて、祐経(工藤祐経)の右の座敷に座り、鼓の手色(調子)に従い、鈴虫などが鳴くように音を合わせて、畠山(畠山重忠しげただ)を待ちました。畠山(重忠)は幕の間より座敷の様子を差し覗いて、わざと色の付いた衣を身に付けず、白色の大口(大口袴)に、白い直垂([衣])に紫革の紐を付けて、折烏帽子の端を引き立てて、松風と名付けた漢竹の横笛を持ち、袴の稜を高く引き上げて、幕をざっと引き上げ、進み出ると、大男が重そうに床を踏み鳴らしながら舞台に上り、(工藤)祐経の左側に腰を下ろしました。名を得た美男でしたので、目立って見えました。年は二十三でした。鎌倉殿(源頼朝)はこれを見て、御簾の内より「みごとな楽党ではないか」と讚めました。この時に至って、舞の準備が調いました。


続く


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by santalab | 2014-03-02 08:29 | 義経記 | Comments(0)


「義経記」静若宮八幡宮へ参詣の事(その21)

畠山にこの仔細を「御諚ごぢやうにてさうらふ」とまうしければ、畠山、「君の御内きりせめたる工藤左衛門ざゑもんつづみ打ちて、八箇国はつかこくさぶらひの所司梶原かぢはら銅拍子とびやうし合はせて、重忠しげただが笛吹きたらんずるは、俗姓ぞくしやう正しき楽党がくたうにてぞあらんずらむ」と打ち笑ひ、おほせに従ひまゐらすべき由を申し給ひつつ、二人の楽党は所々より思ひ思ひに出で立ち出でられけり。左衛門さゑもんじようは、紺葛こんくずの袴に、木賊色とくさいろの水干に、立烏帽子、紫檀の胴に羊の皮にて張りたるつづみの、六つの調しらを掻き合はせて、左の脇に掻い挟みて、袴のそば高らかに差し挟み、うへの松山廻廊くわいらう天井てんじやうに響かせ、手色ていろ打ち鳴らして、残りの楽党がくたうを待ちかけたり。




畠山(畠山重忠しげただ)にこのことを「鎌倉殿(源頼朝)の御諚([命])でございますれば」と申せば、畠山(重忠)、「君(源頼朝)の身内で一番の工藤左衛門が鼓を打ち、八箇国の侍の所司([鎌倉幕府の侍所の次官])であられる梶原(梶原影時かげとき)が銅拍子([中央が椀状に突起した青 銅製の円盤二個を両手に持って打ち合わせるもの])を合わせて、わたし(畠山)重忠が笛を吹けば、由緒正しい楽党となりましょう」と微笑んで、命に従い参ると申したので、二人の楽党は所々より思い思いに出で立ち出でました。左衛門尉(工藤祐経ゆうすけ)は、紺葛の袴に、木賊色([黒みを帯びた緑色])の水干に、立烏帽子、紫檀の胴に羊皮を張った鼓の、六つ緒の調べを合わせて、左脇に挟み、袴の稜を高く差し挟み、上の松山廻廊の天井に響かせ、手色([調子])よく打ち鳴らして、残りの楽党を待ちました。


続く


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by santalab | 2014-03-02 08:12 | 義経記 | Comments(0)


「義経記」静若宮八幡宮へ参詣の事(その20)

かねたれかあるべきとおほせられける。「長沼の五郎こそさうらへ」とまうしければ、「たづね打たせよ」と仰せければ、「眼病に身を損じて、出仕仕らず」と申しければ、「さ候はば、景時かげとき仕りて見候はばや」と申せば、「なんぼうの、梶原かぢはら銅拍子とびやうしぞ」と左衛門さゑもんに御たづねあり。「長沼に次いでは梶原こそ」と申したりければ、「さては苦しかるまじ」とて、鉦の役とぞ聞こえける。佐原の十郎じふらう申しけるは、「時の調子てうしは大事の物にてさうらふに、誰にか音取ねとりを吹かせばや」と申せば、鎌倉殿「誰か笛吹きぬべき者やある」と仰せられければ、和田の小太郎こたらう申しけるは、「畠山こそゐんの御感に入りたりし笛にて候へ」と申しければ、「如何でか畠山の賢人第一の、異様いやう楽党がくたうにならんは、仮初めなりともよも言はじ」と仰せられければ、「御諚ごぢやうと申して見候はん」とて、畠山の桟敷さじきへ行きけり。




鉦は誰が務めると申しました。「長沼五郎(長沼宗政むねまさ)がおります」と申しました、「探して打たせよ」と申せば、「眼病を患って、出仕しておりません」と申したので、梶原が「ならば、この景時が務めましょう」と申せば、頼朝が「どうして、梶原(景時)が銅拍子([中央が椀状に突起した青 銅製の円盤二個を両手に持って打ち合わせるもの])なのだ」と左衛門(工藤祐経ゆうすけ)に訊ねました。梶原(影時)が「長沼(宗政)に次ぐのはこの梶原しかおりません」と申すと、頼朝は「ならばよかろう」と申して、梶原(景時)が鉦の役に決まりました。佐原十郎(佐原義連よしつら)が申すには、「調子は大事ですれば、誰に音取りを吹かせるべき」と申せば、鎌倉殿(頼朝)は「誰か笛を吹く者はおるか」と申せば、和田小太郎(和田義盛よしもり)が申すには、「畠山(畠山重忠しげただ)こそ院(後白河院)がお感じになられた笛を吹きます」と申したので、頼朝は「どうして賢人第一である畠山(重忠)が、場違いにも楽党になろう、この場限りのことといえ言えない」と申せば、「御諚([命令])だと申してみましょう」と申して、畠山(重忠)の桟敷へ行きました。


続く


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by santalab | 2014-03-02 08:07 | 義経記 | Comments(0)


「義経記」静若宮八幡宮へ参詣の事(その19)

鎌倉殿も聞こし召して、「世間せばき事かな。鎌倉にて舞はせんとしけるに、鼓打つづみうちがなくて、つひに舞はざりけりと聞こえん事こそはづかしけれ。梶原かぢはらさぶらひどもの中に鼓打つべき者やある。たづねて打たせよ」とおほせられければ、景時かげときまうしけるは、「左衛門さゑもんじようこそ小松殿の御時、内裏うち御神楽みかぐらに召されてさうらひけるに、殿上てんしやうに名を得たる小鼓こつづみ上手じやうずにてさうらふなれ」とまうしたりければ、「さらば祐経すけつね打ちて舞はせよ」と仰せかうぶりて申しけるは、「余りに久しく仕らでつづみ手色ていろなどこそ思ふほどに候ふまじけれども、御諚ごぢやうにて候へば仕りてこそ見候はめ。ただし鼓一ちやうにては叶ふまじ、かねの役を召され候へ」と申したり。




鎌倉殿(源頼朝)もこれを聞いて、「世間は狭いものよ。鎌倉で静御前に舞わせようとしておるのに、鼓打ちがいなくて、遂に舞わなかったと言われるのは恥ずかしいことだ。梶原(梶原影時かげとき)よ、侍どもの中に鼓を打つ者はおるか。探し出して打たせよ」と命じました、景時が申すには、「左衛門尉(工藤祐経ゆうすけ)こそ小松殿(平重盛しげもり。義経の嫡男)の御時(重衡は義経より先に亡くなった)、内裏の御神楽([神をまつるために奏する舞楽。宮中の神事芸能])に呼ばれましたが、殿上に名を得た小鼓の上手だ」と言われました、頼朝は「ならば(工藤)祐経に打たせて舞わせよ」と命じられて祐経が申すには、「あまりに久しく鼓を打っておりませんので思われるようには参りませんが、御諚([命令])ならば務めましょう。ただし鼓一つではどうにもなりませぬ。鉦の役を探して下され」と申しました。


続く


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by santalab | 2014-03-02 08:02 | 義経記 | Comments(0)


「義経記」静若宮八幡宮へ参詣の事(その18)

しづか、人の振る舞ひ、幕の引きやう如何様いかさまにも鎌倉殿の御参詣と思えたり。祐経すけつね女房にようばうすかして、鎌倉殿の御前おまへにて舞はすると思ゆる。あはれ何ともして、今日けふまひを舞はでかへらばやとぞ千種ちくさに案じたりける。左衛門さゑもんじようを呼びてまうしけるは、「今日は鎌倉殿の御参詣と思えさうらふ。都にて内侍所ないしどころに召されし時は、内蔵頭くらのかみ信光のぶみつに囃されて舞ひたりしぞかし。神泉苑しんぜんえんの池の雨乞ひの時は、四条しでうのきすはらに囃されてこそ舞ひてさうらひしか。この度は御不審の身にて召し下され候ひしかば、鼓打つづみうちなどをも連れても下り候はず。母にて候ふ人の型の如くの腕差かひなざしを法楽ほふらくせられ候はば、我々は都へ上り、またこそ鼓打ち用意して、わざと下りて法楽に舞ひ候はめ」とて、やがて立つ気色に見えければ、大名だいみやう小名せうみやうこれを見て、興醒めてぞありける。




静御前は、人の振る舞い、幕の引き様を見て、間違いなく鎌倉殿(源頼朝)の参詣と思えました。祐経(工藤祐経)の女房の口車に乗せられて、鎌倉殿(頼朝)の御前で舞わせようとしたのだと思いました。ああ何としてでも、今日の舞を舞わずに帰ろうとあれこれ案を廻らせていました。左衛門尉(工藤祐経ゆうすけ)を呼んで申すには、「今日鎌倉殿(頼朝)が参詣されていると思えます。都で内侍所([温明殿うんめいでんにあり、内侍が奉仕した所])に召された時は、内蔵頭信光に乗せられて舞いました。神泉苑(現京都市中京区にある寺院)の池の雨乞いの時は、四条のきすはら(清原?)に囃されて舞うことになりました。この度はご不審の身で召し下されましたので、鼓打ちなどを連れて下っておりません。母(磯禅師)が型通り腕差し([神前で歌い舞うこと])の法楽([経を読誦したり、楽を奏し舞をまったりして神仏を楽しませること])をいたしましたから、わたしどもは一旦都へ上り、次の機会には鼓打ちを用意して、必ず下り法楽に舞いましょう」と申して、すぐに出て行こうとしたので、大名小名はこれを見て、興も醒めてしまいました。


続く


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by santalab | 2014-03-02 07:57 | 義経記 | Comments(0)

    

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