Santa Lab's Blog


カテゴリ:増鏡( 465 )



「増鏡」あすか川(その11)

一院は、御本意ほいを遂げ給はん事をやうやう思す。その年の九月十三夜、白河殿にて月御覧ずるに、上達部・殿上人、例のおほまゐり集ふ。御歌合はせありしかば、内の女房ども召されて、色々の引き物、源氏五十四帖の心、様々の風流ふりうにして、上達部・殿上人までも分かち賜はす。院の御製、

我のみや 影も変はらん あすか川 同じふち瀬に 月はすむとも

かねてより 袖も時雨て 墨染めの 夕べ色ます 峰の紅葉葉

この御歌にてぞ、御本意の事思し定めけりと、皆人、袖を絞りて、こゑも変はりけり。あはれにこそ。民部卿入道為家ためいへ、判ぜさせられけるにも、「身を責め心を砕きて、掻き遣る方も侍らず」とかや奏しけり。




一院(第八十八代後嵯峨院)は、本意(出家)を遂げようと思われるようになられました。その年(文永五年(1268))の九月十三夜に、白河殿(現京都市左京区)で月をご覧になられましたが、上達部・殿上人が、いつものようにいつものように多く参られました。歌合わせがございました、内裏の女房どもを召されて、色々の引き物、源氏五十四帖の心、様々の風流([趣向を凝らす])を尽くされて、上達部・殿上人まで下されました。院の御製([天皇や皇帝、また皇族が手ずから書いたり作ったりした文章・詩歌・絵画など])、

我のみが姿を変えることになるのであろうか。飛鳥川に映る月はかつてと同じ月であるが。

(出家を前にして)袖も時雨れて、峰の紅葉葉のように墨染めの色を濃くしているぞよ。

この歌により、本意を思い定められたと、皆人は、袖を絞り、声も変わりました。悲しいことでした。民部卿入道為家(藤原為家)が、歌を判じて、「身を責める悲しみを思えば、振り払うこともできません」とか奏上されたとか。


[PR]
by santalab | 2016-04-25 18:09 | 増鏡 | Comments(0)


「増鏡」あすか川(その10)

かくて、今上の若宮、六月二十六日親王しんわうの宣旨ありて、同じき八月二十五日、坊に給ひぬ。かく華やかなるにつけても、入道殿は浅ましく思さる。故大臣おとどの先立ち給ひし歎きにしづみてのみ物し給へど、「かかる世の気色を、賢く見給はぬよ」と思し慰む。中宮は、御ぶくの後も御まゐり給はず。御よろづ引き変へ、物怨めしげなる世の中なり。




入道殿(西園寺実兼さねかね。第九十代亀山天皇中宮、西園寺嬉子きしの兄)は残念に思いました。故大臣(西園寺公相きんすけ。西園寺実兼・嬉子の父。太政大臣)の先立たれて悲しみに沈んでおりましたが、「このような世の様を、賢くも見ずに済んだことよ」と思って慰めておりました。中宮(西園寺嬉子)は、喪が明けた後も参りませんでした。世の移り変わりは、(西園寺家にとっては)恨めしいものでした。


続く


[PR]
by santalab | 2016-04-24 08:45 | 増鏡 | Comments(0)


「増鏡」あすか川(その9)

かやうに聞こゆるほどに、蒙古むくりの軍と言ふ事起こりて、御賀止まりぬ。人々口惜しく、本意ほいなしと思すこと限りなし。何事もうちさましたるやうにて、御修法みしゆほふや何やと、公家・武家、ただこの騒ぎなり。されども、ほどなくしづまりて、いとめでたし。




そうこうするところに、蒙古の軍が起こって(1268年、高麗の第二回使節団が大宰府に到来した。元寇はこの後、文永の役(1274)、弘安の役(1281)のこと)、御賀は中止となりました。人々は残念がって、たいそうがっかりしておりました。華やかさは消えて、御修法や何やと、公家・武家は、騒いでおりました。けれども、ほどなく鎮まって、元通りとなりました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-04-23 08:35 | 増鏡 | Comments(0)


「増鏡」あすか川(その8)

実冬さねふゆ今日けふは、花田裏山吹の狩衣、二重ふたへ萌黄もえぎなど、思ひ思ひ心々に、さきには皆引き替へて、様々尽くしたり。基俊もととしの少将、この度は、桜萌黄の五重の狩衣・紅のにほひの五つぎぬ、打衣は遣り尽き、山吹の匂ひ、浮き織物の三重みへひとへ・紫の綾の指貫さしぬき、中に勝れてけうらに見え給へり。この度は、おほ緑苔ろくたいの衣を着たり。万歳楽を吹きて楽人・舞人まひびとまゐる。池のみぎはほこを立つ。春鴬囀・古鳥蘇ことりそ後参ごさん輪台りんだい・青海波・落蹲らくそんなどあり。日暮らし面白く罵りて、かへらせ給ふほどに、赤地あかぢの錦の袋に御琵琶入れて奉らせ給ふ。刑部卿の君、御簾みすの中より出ださる。右大将取りて、院の御前に気色ばみ給ふ。胡飲酒こんじゆの舞は、実俊さねとし中将ちゆうじやうと兼ねては聞こえしを、父大臣おとどの事に止まりにしかば、近衛殿このゑどのさきの関白殿の御子三位中将と聞こゆる、未だわらはにて舞ひ給ふ。別して、この試楽より先なりしにや、内々白河殿にて試みありしに、父の殿も御簾の内にて見給ふ。若君いと美しう舞ひ給へば、院愛でさせ給ひて、舞の師忠茂ただもち、禄賜はりなどしけり。




実冬(滋野井実冬)は、この日は、縹色([薄青色])裏は山吹の狩衣に、二重内萌黄など、思い思心々に、前(第八十八代後嵯峨院の五十賀)とは装いを替えて、様々着飾っていました。基俊少将(堀川基俊)は、この度は、桜萌黄の五重の狩衣・紅色の五つ衣、打衣([表地に光沢や張りをだす処理を施した衣])を尽くし、山吹色に、浮織物([文様の部分の糸を浮かせた織物])の三重の単・紫の綾の指貫([袴])でしたが、中でも勝れて美しうございました。この度は、数多く緑苔([綾織の一])の衣を着ておりました。万歳楽([舞楽の一。左方=左方唐楽。に属する新楽])を吹きながら楽人・舞人が参りました。池の汀に桙を立てました。春鴬囀([舞楽の一。左方唐楽])・古鳥蘇([雅楽の一。右方=右方高麗楽。に属する、壱越いちこつ調の高麗楽])・後参([後参の舞。高麗楽])・輪台([舞楽の一])・青海波([雅楽の一。左方の新楽])・落蹲([舞楽の一])などがございました。日暮らし面白く騒がれて、お帰えりになられるほどに、赤地の錦の袋に琵琶を入れて贈られました。刑部卿(藤原博子ひろこ。第八十九代後深草天皇の琵琶の師だったらしい)の君(覚助かくじよ法親王?)が、御簾の中より出されました。右大将(花山院通雅みちまさ)が取って、院(後嵯峨院)の御前にお持ちしました。胡飲酒の舞([左方])は、実俊中将(橋本実俊)とかねてより聞いておりましたが、父大臣(西園寺公相きんすけ。太政大臣)の喪中でしたので、近衛殿前関白殿(近衛兼経かねつね)の子三位中将(近衛基平もとひら。左大将)と申して、まだ童でございましたが舞われました。と申しますのも、この試楽の前のことでしたか、内々白河殿(現京都市左京区)で試み([雅楽の試演。試楽])がございましたが、父の殿も御簾の内で見ておられました。若君がとても美しく舞われましたので、院(後嵯峨院)は感心されて、舞の師忠茂(おほの忠成)は、禄を賜わったということでございます。


続く


[PR]
by santalab | 2016-04-22 07:35 | 増鏡 | Comments(0)


「増鏡」あすか川(その7)

同じ二月十七日に、また、新院富小路殿にて舞御覧。そのあした、大宮院先づ忍びて渡らせ給ふ。一院の御幸は、日長けてなる。冷泉殿よりただ這ひ渡るほどなれば、楽人・舞人まひびと今日けふ装束しやうぞくにて、上達部など皆歩み続く。ひさしの御車にて、御随身みずいじん十二人、花をり錦を立ち重ねて、声々こゑごゑ、御さき華やかに追ひ罵りて、近くさぶらひつる、二なく面白し。新院は、御烏帽子えぼし直衣なほし・御袴きはにて、中門にて待ち聞こえさせ給ひつるほど、いとえんにめでたし。御車中門に寄せて、関白殿、御佩刀はかせ取りて、御匣みくしげ殿に伝へ給ふ。二重ふたへ織物の萌黄の御几帳きちやう帷子かたびらを出だされて、色々の平文ひやうもんの衣ども、物の具はなくて押し出ださる。今日けふは正親町の院も御堂の隅の間より御覧ぜらる。大臣・上達部かんだちめ、ありしに変はらず。なほまゐくははる人はおほけれど、洩れたるはなし。




同じ(文永五年(1268))二月十七日に、また、新院(第八十九代後深草院)は富小路殿(現京都市中京区。持明院統歴代の御所)で舞をご覧になられました。その朝、大宮院(第八十八代後嵯峨天皇の中宮・皇太后、西園寺姞子きつし。後深草天皇・第九十代亀山天皇の生母)がまず忍んで渡られました。一院(後嵯峨院)の御幸は、日が長けてからでございました。冷泉殿(冷泉富小路殿。現京都市中京区)より這い渡るほど近くでございますれば、楽人・舞人は、今日の舞装束、上達部なども皆歩み続きました。(後嵯峨院は)庇の車(檳榔びらう庇の車=檳榔毛の車の物見の上と車箱の前後に庇がついているもの。上皇・親王・摂政関白・大臣などが乗用した。か?)に召されて、御随身([貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人])が十二人、花を折り錦を着飾、声々に、見目華やかに先払いしながら、進まれる様は、他になく面白うございました。新院(後深草院)は、烏帽子に直衣・袴と装いを極められて、中門で待たれておられましたが、なんとも美しうございました。車を中門に寄せて、関白殿(近衛基平もとひら)が、御佩刀を取って、御匣殿(藤原房子ふさこ。後深草院の宮人)に手渡しました。二重織物([浮き織物の地文の上に別糸で縫取織ぬいとりおりをして文様を織り出したもの])の萌黄の几帳の帷子([几帳  や帳 とばり)などに用いて垂らす絹])が立てられて、色々の平文([装束に用いた、種々の色で染めたり織り出したりした文様])の衣を、物の具([礼装])はなく出されておりました。この日は正親町院(第八十三代土御門天皇の皇女、覚子かくし内親王)も御堂の隅の間よりご覧になられました。大臣・上達部は、ありし(後嵯峨院の五十賀)に変わりませんでした。加えて参る人は多くおりましたが、参らぬ人はおりませんでした。


続く


[PR]
by santalab | 2016-04-21 08:12 | 増鏡 | Comments(0)


「増鏡」あすか川(その6)

茂通もちみち隆康たかやすしやう公秋きみあき宗実むねざね篳篥ひちりき兼行かねゆき、太鼓は教実のりざね鞨鼓かこはあきなり、三の鼓つづみはのりより、左万歳楽まんざいらく、右地久、陵王りようわう輪台りんだい青海波せいがいは、太平楽、入綾いりあや実冬さねふゆいみじく舞ひ澄まされたり。右落蹲らくそん、左春鴬囀しゆんあうてん、右古鳥蘇ことりそ後参ごさん賀殿かてんの入綾も実冬舞ひ給ひしにや。暮れかかるほどにて、何の文目あやめも見えずなりにき。御たかだか宮たち、あかれ給ひぬ。




笛は茂通(藤原茂通)・隆康(四条隆康)、笙は公秋(室町公秋)・宗実(中御門宗実)、篳篥は兼行(藤原兼行)、太鼓は教実、鞨鼓([雅楽で使われる打楽器で、鼓の一種])はあきなり(藤原顕成?)、三の鼓([雅楽で用いる膜鳴楽器])はのりより、左([左方唐楽])は万歳楽([雅楽の曲名。唐楽、平調])、右([右方高麗楽])は地久([雅楽の一])、陵王([左方に属する壱越いちこつ調の一人舞])、輪台([雅楽の曲名。唐楽、盤渉 ばんしき)調で新楽の中曲])、青海波([左方の唐楽の一、盤渉調])、太平楽([唐楽。太食 たいしき)調で新楽の中曲])、入綾([舞人全員がうしろ向きとなり、舞いながら中央によって縦に一列となり、降台する舞人以外は舞い続けて下臈の舞人から順次退場する様式])、実冬(滋野井実冬)は見事に舞われました。右方落蹲([雅楽の舞楽で、二人舞の納曽利なそりを一人で舞うときの呼称])、左方春鴬囀([唐楽、壱越調])、右方古鳥蘇([高麗楽。高麗壱越調の大曲。舞は六人または四人舞])、後参(後参の舞)、賀殿([左方の平舞。緩やかでやわらかな舞])の入綾も実冬(滋野井実冬)が舞われたとか。暮れかかるほどになり、何の文目([見分け])も見えずなりました。宮たちは、おかえりになられました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-04-18 08:23 | 増鏡 | Comments(0)


「増鏡」あすか川(その5)

堀川ほりかはの少将基俊もととし基具もとともの大納言の子、唐織物、裏山吹、三重みへの狩衣、柳だすきをあをく織れる中に桜を色々に織れり。萌黄もえぎ打衣うちぎぬ、桜をだみ付けにして、輪違へを細くかねもんにして、色々の玉を付く。にほひつつじの三つぎぬくれなゐの三重のひとへ、これも箔散らす。二条の中将ちゆうじやう経良つねよし良教よしのりの大納言の御子なり、これも唐織物の桜萌黄・紅の衣・同じ単なり。皇后宮権のすけ中将実守さねもり、これも同じ色の樺桜かばざくらの三つ衣・紅梅のにほひの三重みへの単、右馬頭隆良たかよし隆親たかちかの子にや、緑苔ろくたいの赤色の狩衣、玉のくくりを入れ、あを魚綾ぎよれう表着うはぎ・紅梅の三つ衣・同じ二重ふたへの単・薄色の指貫さしぬき、少将実継さねつぐ、松がさねの狩衣・くれなゐの打衣・紫の二つ衣、これも色々の縫ひ物・置物など、いと細かになまめかしくなしたり。陵王りようわうわらはに、四条の大納言の子、装束しやうぞく常のままなれど、紫の緑苔の半尻、かねもん赤地あかぢの錦の狩衣、青き魚綾の袴、笏木しやくぎ皆彫みなゑり骨、紅の紙に張りて持ちたる用意気色、いみじくもて付けて、めでたく見え侍りけり。




堀川少将基俊(堀川基俊)は基具大納言(堀川基具。後太政大臣)の子でござました、唐織物、裏山吹、三重の狩衣に、柳襷([文様の一])を青く織った中に桜を色々に織っておりました。萌黄の打衣([表地に光沢や張りを出す処理を施した衣])に、桜を不揃いに付けて、輪違い(輪違い文様)を細く金の文にして、色々の玉を付けておりました。匂いつつじ(オレンジがかったピンク色らしい)の三つ衣に、紅の三重の単、これも金箔が散らしてありました。二条中将経良(粟田口経良)は良教大納言(粟田口良教)の子でございました。これも唐織物の桜萌黄・紅の衣・同じ紅の単でした。皇后宮権亮中将実守(三条実盛)も、同じ色の樺桜(淡い赤褐色らしい)の三つ衣・紅梅色の三重の単、右馬頭隆良(鷲尾隆良)は隆親(四条隆親)の子でしたか、緑苔([綾織の一])の赤色の狩衣、玉括りを入れ、青色の魚綾([紋織物の一])の表着・紅梅の三つ衣・同じ紅梅の二重の単・薄色([薄紫色])の指貫([袴])、少将実継は、松襲([表は萌葱もえぎ、裏は紫])の狩衣・紅の打衣・紫の二つ衣、これも色々の縫い物([刺繍])・置物([衣服につけて、飾りにする物])など、とても細やかに美しくされておりました。陵王([左方=唐楽。に属する壱越いちこつ調の一人舞])の童に、四条大納言(四条隆親たかちか)の子が参りました、装束は舞装束でしたが、紫の緑苔の半尻([狩衣の一。後ろの丈が前身より短いもの。貴族の子どもが着用した])、金の紋、赤地の錦の狩衣、青色の魚綾の袴、笏木([イチイ科])の皆彫骨([扇骨に透かし彫りのある扇])に、紅の紙を張って持った心を尽くした姿は、何一つ不足なく、りっぱに見えました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-04-17 10:02 | 増鏡 | Comments(0)


「増鏡」あすか川(その4)

時なりて、舞人まひびとどもまゐる。実冬さねふゆ中将ちゆうじやう、唐織物の桜の狩衣、紫の濃き薄きにて桜を織れり。赤地あかぢの錦の表着うはぎ・紅のにほひの三つ衣・同じひとへ・しじらの薄色の指貫さしぬき、人よりは少しねびたりしも、あな清げと見えたり。大炊御門おほひのみかど中将冬輔ふゆすけと言ひしにや、装束さうぞく先のに変はらず。狩衣は唐織物なりき。花山院の中将家長いゑなが、右大将の御子、魚綾ぎよれうの山吹の狩衣、柳桜を縫ひ物にしたり。紅の打衣うちぎぬかかやくばかりかへして、萌黄もえぎの匂ひの三つ衣・紅の三重みへの単、浮織物うきおりものの紫の指貫に、桜を縫ひ物にしたる、めづらしく美しく見ゆ。花山院の少将忠季ただすゑ師継もろつぐの御子なり、桜の結び狩衣、白き糸にて水を隙なく結びたるうへに、桜柳を、それも結びて付けたる、なまめかしくえんなり。赤地あかぢの錦の表着、かねもんを置く。紅の二つ衣・同じ単・紫の指貫、これも柳桜を縫ひ物に色々の糸にてしたり。中宮の権亮少将公重きんしげ実藤さねふぢの大納言の子、唐織物の桜萌黄の狩衣・紅の打衣・紫の匂ひの三つ衣・紅の単、指貫例の紫に桜を白く縫ひたり。




(第八十八代後嵯峨院の五十賀の)日になって、舞人どもが参りました。実冬中将(滋野井実冬)は、唐織物の桜の狩衣に、紫の濃薄の糸で桜を織っておりました。赤地の錦の表着・紅色の三つ衣・同じ紅の単・しじら織り([織物で、縦横どちらかの糸を縮ませ、織物の表面に作り出した細かい縮みじわ。また、そのような織り方や織物])の薄色([薄い紫色])の指貫([袴])、人より少し大人びて、とても美しうございました。大炊御門中将冬輔(大炊御門冬輔)と申す人でございましたか、装束は実冬中将に劣るものではありませんでした。狩衣は唐織物でございました。花山院中将家長(花山院家長)は、右大将(花山院通雅みちまさ)の子(長男)でございましたが、魚綾([紋織物の一])の山吹の狩衣に、柳桜を縫い物([刺繍])にしておりました。紅の打衣([表地に光沢や張りをだす処理を施した衣])を輝くばかりにてからせて、萌黄色の三つ衣・紅の三重の単、浮織物の紫の指貫に、桜を縫い物にして、珍しいほどに美しうございました。花山院少将忠季(花山院忠季)は師継(花山院師継)の子でございましたが、桜の結び狩衣([狩衣の袖括そでぐくりを飾り結びとして、造花の糸花などを加えたもの。若者用])、白糸で水引([花結び])を隙なく結んだ上に、桜柳を、それも結び付けておりましたが、若々しくて美しうございました。赤地の錦の表着には、金の紋が付いておりました。紅の二つ衣・同じ紅の単・紫の指貫、これにも柳桜を縫い物が色々の糸でしてありました。中宮権亮少将公重(四辻公重)は実藤大納言(四辻実藤)の子でございましたが、唐織物の桜萌黄の狩衣・紅の打衣・紫色三つ衣・紅の単、指貫は同じく紫に桜を白く縫っておりました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-04-16 09:53 | 増鏡 | Comments(0)


「増鏡」あすか川(その3)

御前の簀子すのこには、関白殿を始めて、右大臣基忠もとただ・内大臣家経いへつね・兵部卿隆親たかちか・二条の大納言良教よしのり・源大納言通成みちなり・花山院の大納言師継もろつぐ・右大将通雅みちまさ・権大納言基具もととも・一条の中納言公藤きんふぢ・花山院の中納言長雅ながまさ・左衛門督通頼みちより・中宮権大夫隆顕たかあき大炊御門おほひのみかどの中納言信嗣のぶつぐさきの源宰相さいしやう有資ありすけ・衣笠宰相の中将ちゆうじやう経平つねひら・左大弁の宰相経俊つねとし・新宰相の中将具氏ともうぢ・別当公孝きんたか堀川ほりかはの三位中将具守とももり
富小路三位中将公雄きんを、皆御階みはしひんがしに着き給ふ。西の第二の間より、また、前の左大臣実雄さねを・二条の大納言経輔つねすけ・前の源大納言雅家まさいへ・中宮大夫雅忠まさただ・藤大納言為氏ためうじ・皇后宮大夫定実・四条の大納言隆行・そちの中納言経任、この外の上達部、西東の中門のらう、それより下様しもざま透渡すきわた殿・打橋うちはしなどまで着き余れり。皆、直衣なほしに色々の衣重ね給へり。




御前の簀子縁には、関白殿(近衛基平もとひら)をはじめ、右大臣基忠(鷹司基忠)・内大臣家経(一条家経)・兵部卿隆親(四条隆親)・二条大納言良教(粟田口良教=藤原良教)・源大納言通成(中院通成)・花山院大納言師継(花山院師継)・右大将通雅(花山院通雅)・権大納言基具(堀川基具)・一条中納言公藤(一条公藤)・花山院の中納言長雅(花山院長雅。花山院通雅の弟)・左衛門督通頼(中院通頼。中院通成の子)・中宮権大夫隆顕(四条隆顕)・大炊御門中納言信嗣(大炊御門信嗣)・前源宰相有資(源有資)・衣笠宰相中将経平(衣笠経平)・左大弁宰相経俊(吉田経俊)・新宰相中将具氏(源具氏)・別当公孝(徳大寺公孝。検非違使別当)・堀川三位中将具守(堀川具守。堀川基具の子)・富小路三位中将公雄(小倉公雄。洞院実雄の近衛)、皆御階の東に並んでいました。西の第二の間よりは、また、前左大臣実雄(洞院実雄)・二条大納言経輔(?)・前源大納言雅家(北畠雅家)・中宮大夫雅忠(源雅忠)・藤大納言為氏(二条為氏)・皇后宮大夫定実・四条の大納言隆行・そちの中納言経任、このほかの上達部は、西東の中門の廊、それより下様の、透渡殿([寝殿造りで、寝殿と対屋とをつなぐ、 両側に壁のない渡り廊下])・打橋([殿舎と殿舎との間に渡して、取り外しのできるようにした板の橋])まで続いておりました。皆、直衣([公家の平常服])に色々の衣を重ねておりました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-04-12 08:32 | 増鏡 | Comments(0)


「増鏡」あすか川(その2)

寝殿の御はしの間に、一院の御座おましまうけたり。その西に寄りて、新院の御座を設く。ひんがしは大宮院・東二条院、皆白き御袴に、二御衣ふたつおんぞ奉れり。聖護院の法親王・円満院などまゐり給ふ。土御門の中務なかづかさの宮もまゐり給ふ。上達部・殿上人、数多あまた御供し給へり。仁和寺の御室おむろ梶井かぢゐの法親王なども、すべて残りなく集ひ給ふ。月華門院・花山院の准后などは、大宮院のおはします御座に御几帳きちやう押し退けて渡らせ給ふ。寝殿の第四の間に、袖口ども心ことにて押し出ださる。大納言の二位殿・南の御方など、やむごとなき上臈じやうらふは、院のおはします御簾みすの中に、引き下がりてさぶらひ給ふ。いづれも、白き袴に二衣ふたつぎぬなり。ひんがしの隅の一間は、大宮院・月華門院の女房どもまゐり集ふ。西の二間には、新准后候ひ給ふ。




寝殿の階の間([階隠しの間]=[階を上った上段、簀子に面する庇 ひさしの間 ])に、一院(第八十八代後嵯峨院)の座が設けてございました。その西側に、新院(第八十九代後深草院)の座が設けられました。東には大宮院(後嵯峨天皇の中宮で皇太后、西園寺姞子きつし)・東二条院(後深草天皇の中宮、西園寺公子きみこ。姞子の同母妹)、皆白い袴に、二つ衣([うちき)を二枚重ねたもの])を着ておられました。聖護院法親王(後嵯峨天皇の皇子、忠助ちゆうじよ法親王)・円満院(後嵯峨天皇の皇子、浄助じようじよ法親王)などが参られました。土御門の中務宮(後嵯峨天皇の第二皇子、宗尊むねたか親王)も参られました。上達部・殿上人が、数多くお供しておりました。仁和寺の御室(後嵯峨天皇の第六皇子、性助しようじよ入道親王)・梶井法親王(後嵯峨天皇の皇子、最助さいじよ法親王)なども、すべて残りなく集まられました。月華門院(後嵯峨天皇の第一皇女、綜子そうし内親王)・花山院准后(五辻忠子ちゆうし。後醍醐天皇の生母。平高輔たかすけの娘で花山院師継もろつぐの養女。談天門院)などは、大宮院のおられます座に几帳を押し下げて渡られました。寝殿の第四の間に、袖口を格別に押し出しておられました。大納言二位殿・南の御方など、高位の上臈([身分の高い女房])は、院のおられる御簾の中に、引き下がって伺候しておりました。いずれも、白い袴に二つ衣でございました。東の隅の一間には、大宮院(西園寺姞子)・月華門院(綜子内親王)の女房どもがおりました。西の二間には、新准后(西園寺公相きんすけの次女、西園寺相子)がおられました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-04-11 08:10 | 増鏡 | Comments(0)

    

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧