Santa Lab's Blog


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「承久記」新院宮々流され給ふ事(その1)

同じき二十日の日、新院佐渡の国へ流され給ふ。御供には、定家さだいへの卿の息、冷泉中将為家ためいへ、花山の院少将義氏よしうぢ、甲斐の左兵衛のすけ教経のりつね上北面じやうほくめんには藤の左衛門の大夫安光やすみつ、女房には左衛門の佐殿・帥の佐殿以下三人なり。




同じ七月二十日に、新院(第八十四代順徳院)は佐渡国に配流となりました。供は、定家卿(藤原定家)の子息である、冷泉中将為家(藤原為家)花山院少将義氏、甲斐左兵衛佐教経、上北面([北面の武士のうち、四位または五位の者])には藤左衛門大夫安光、女房は左衛門の佐殿・帥の佐殿以下三人でした。


続く
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by santalab | 2014-05-31 07:08 | 承久記 | Comments(0)


「太平記」師賢登山の事付唐崎浜合戦の事(その4)

さるほどに、六波羅勢すでに戸津とづの宿の辺まで寄せたりと坂本の内騒動さうだうしければ、南岸の円宗院ゑんしゆうゐん中坊なかのばう勝行房しようぎやうばう逸雄はやりを同宿どうしゆくども、取る物も取り敢へず唐崎の浜へ出で合ひげる。その勢皆徒立かちだちにてしかも三百人には過ぎざりけり。海東かいとうこれを見て、「敵は小勢なりけるぞ、後陣ごぢんの勢の重ならぬさきに懸け散らさでは叶ふまじ。続けや者ども」と云ふままに、三尺四寸の太刀を抜いて、よろひの射向けの袖をさしかざし、敵のうず巻いて控へたる真ん中へ懸け入り、敵三人斬り伏せ、波打際なみうちぎはに控へて続く御方をぞ待ちたりける。




そうこうしているうちに、六波羅勢はすでに戸津の宿(現滋賀県大津市下坂本)の辺まで攻めて来たと坂本の内は騒動となって、南岸の円宗院・中坊の勝行房・逸り雄([血気にはやる者])の同宿([同じ寺に住み、同じ師について修行する僧])どもが、取るものも取りあえず唐崎の浜(現滋賀県大津市)へ出て行きました。その勢皆は徒立ちでしかも三百人を越えてはいませんでした。海東(海東左近将監)はこれを見て、「敵は小勢だ、後陣の勢が付く前に駆けちらすぞ。続けや者ども」と言うや、三尺四寸の太刀を抜いて、鎧の射向け([左手])の袖をさしかざし、敵が渦巻いて控える真ん中へ駆け入り、敵三人を斬り伏せ、波打際に控えて続く味方を待ちました。


続く
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by santalab | 2014-05-30 18:50 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」師賢登山の事付唐崎浜合戦の事(その3)

搦め手へは佐々木の三郎判官はんぐわん時信ときのぶ海東かいとう左近の将監しやうげん・長井丹後のかみ宗衡むねひら・筑後の前司貞知さだとも波多野はだの上野かうづけの前司宣道のぶみち・常陸の前司時朝ときともに、美濃・尾張をはり・丹波・但馬の勢を差し添へて七千余騎、大津、松本を経て、唐崎の松の辺まで寄せ懸けたり。坂本には兼ねてより相図あひづを指したる事なれば、妙法院めうほふゐん大塔おほたふの宮両門主もんじゆよひより八王子はちわうじへ御上がりあつて、御旗を被揚たるに、御門徒の護正院ごしやうゐん僧都そうづ祐全いうぜん妙光坊めうくわうばうの阿闍梨玄尊げんそんを始めとして、三百騎五百騎ここかしこより馳せ参りけるほどに、一夜のあひだに御勢六千余騎に成りにけり。天台の座主を始めて解脱同相げだつどうさうの御衣を脱ぎ給ひて、堅甲利兵けんかふりへいの御かたちに替はる。垂跡和光すゐじやくわくわうみぎりたちまちに変じて、勇士守禦しゆぎよの場と成りぬれば、神慮もいかがあらんと計り難くぞ思えたる。




搦め手([城の裏門や敵陣の後ろ側を攻める軍勢])へは佐々木三郎判官時信(佐々木時信=六角時信)・海東左近将監・長井丹後守宗衡(長井宗衡)・筑後前司貞知(小田貞知)・波多野上野前司宣道(波多野宣道)・常陸前司時朝(北条時朝?)に、美濃・尾張・丹波・但馬の勢を差し添えて七千余騎、大津(現滋賀県大津市)、松本(現滋賀県大津市松本)を経て、唐崎の松(現滋賀県大津市にある唐崎神社)の辺まで寄せました。坂本(現滋賀県大津市)にはあらかじめ知らせていたので、妙法院(宗良むねよし親王。第九十六代後醍醐天皇の皇子)・大塔の宮(護良もりよし親王。同じく後醍醐天皇の皇子)両門主は、宵より八王子(現滋賀県大津市にある日吉大社)へ上られて、旗を上げると、門徒の護正院僧都祐全・妙光坊阿闍梨玄尊をはじめとして、三百騎五百騎があちこちより馳せ参り、一夜の間に勢は六千余騎になりました。天台座主をはじめ解脱同相([袈裟])の衣を脱いで、堅甲利兵([非常に強い兵力のこと])の姿に変わりました。垂跡和光([仏・菩薩などが衆生救済のため、威光を和らげ別の姿をとってこの世に現れること])の場所はたちまち、勇士守禦([守り防ぐこと])の場となって、神慮のほどもどうかと思われました。


続く
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by santalab | 2014-05-30 09:02 | 太平記 | Comments(0)


「承久記」一院隠岐の国へ流され給ふ事(その9)

都に、定家さだいへ家隆いへたか有家ありいへ雅経まさつねさしもの歌仙たち、この御歌の有様を伝へ承りて、ただもだへ焦れ泣き悲しみ給へども、罪に恐れて御返事をも申されず。されども従三位家隆いへたか、便宜に付けて、恐れ恐れ御歌の御返事を申されけり。

寝覚めして きかぬを聞きて 悲しきは 荒磯波の 暁の声




都では、定家(藤原定家)・家隆(藤原家隆)・有家(藤原有家)・雅経(飛鳥井雅経)といった錚々たる歌仙([優れた歌人])たちが、鳥羽院の歌の様子を伝え聞いて、ただ悲しみにもだえて泣き悲しみましたが、罪を恐れて返事も返しませんでした。けれども従三位家隆(藤原家隆)は、便宜([よい機会])に合わせて、恐る恐る歌の返事を申されました。

目が覚める度に聞こえないはずの音が聞こえて悲しくなります。それは、後鳥羽院がお聞きになられているであろう、暁の荒磯波の音なのです。


続く
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by santalab | 2014-05-30 08:28 | 承久記 | Comments(0)


「承久記」一院隠岐の国へ流され給ふ事(その8)

かくて日数重なりければ、八月五日、隠岐の国海部あま郡へぞ着かせ給ふ。これなん御所とて、入れ奉るを御覧ずれば、浅ましげなる苫葺とまぶきの、こもの天井・竹の簀の子なり。自ら障子の絵などに、かかる住まひ描きたるを御覧ぜしより外は、いつか御目にも懸かるべき。ただこれは生を変へたるかと思し召すもかたじけなし。

我こそは 新島守よ 隠岐の海の 荒き波風 心して吹け




こうして日数が重なって、八月五日に、隠岐国の海部郡(現島根県隠岐郡)に着きました。これが御所ですと申して、後鳥羽院が入られるのを見れば、驚くことに苫葺き([むしろ屋根])に、薦([マコモ=イネ科の多年草。を粗く編んだむしろ])の天井・竹の簀の子([簀の子張りの床または縁])でした。後鳥羽院は描かれた障子の絵などに、このような住まいが描かれているのをご覧になったことはありましたが、ほかに目にしたこともありませんでした。まるで生まれ変わったのかと思うほど粗末な御所でした。

わたしこそが、隠岐島の新しい島守ぞ。隠岐の海の激しい波風よ、どうか手荒く吹くな。


続く
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by santalab | 2014-05-29 09:02 | 承久記 | Comments(0)


「太平記」師賢登山の事付唐崎浜合戦の事(その2)

懸かりけれども、六波羅にはいまだかつてこれを知らず。夜明けければ東使両人とうしりやうにん内裏へ参じて、先づ行幸ぎやうがうを六波羅へ成し奉らんとて打ち立ちけるところに、浄林房じやうりんばうの阿闍梨豪誉がうよが許より、六波羅へ使者を立て、「今夜の寅の刻に、主上山門を御頼みあつて臨幸成りたる間、三千の衆徒しゆとことごとく馳せ参り候ふ。近江あふみ越前ゑちぜんの御勢を待ちて、明日みやうにちは六波羅へ被寄べき由評定ひやうじやうあり。事のおほきに成り候はぬ先に、急ぎ東坂本へ御勢を被向候へ。豪誉後詰め仕りて、主上をば取り奉るべし」とぞまうしたりける。りやう六波羅大きに驚いて先づ内裏へ参じて見奉るに、主上は御坐なくて、ただ局町つぼねまち女房にようばうたちここかしこに差し集ひて、泣く声のみぞしたりける。「さては山門へ落ちさせ給ひたる事子細なし。勢付かぬさきに山門を攻めよ」とて、四十八箇所しじふはつかしよかがりに畿内五箇国の勢を差し添へて、五千余騎追手おふて寄手よせてとして、
赤山せきさんの麓、下松さがりまつの辺へ差し向けらる。




けれども、六波羅はまだこれを知りませんでした。夜が明けて東使両人(二階堂高元たかもと・長井遠江守)が内裏に参り、まず後醍醐天皇をへ移そうと立ちところに、浄林房阿闍梨豪誉の許より、六波羅へ使者を立てて、「今夜の寅の刻(午前四時頃)に、主上(第九十六代後醍醐天皇)が山門(比叡山)を頼られて臨幸され、三千の衆徒([僧])は一人残らず馳せ参りました。近江・越前の勢を待って、明日は六波羅へ攻め寄せるとの評定がありました。一大事にならぬ前に、急ぎ東坂本(現滋賀県大津市)に勢を向かわせられますよう。豪誉も後詰め([敵の背後に回って攻めること])として、主上(後醍醐天皇)を捕らえましょう」と申しました。両六波羅(北方・南方)はたいそう驚いてまずは内裏に参って見れば、主上はおられず、ただ局町の女房たちがあちらこちらに集まって、泣く声を上げているばかりでした。「さては山門へ落ちられたのは間違いない。勢が付かぬ前に山門を攻めよ」と、四十八箇所の篝火に畿内五箇国の勢を差し添えて、五千余騎追手の寄せ手として、赤山(現京都市左京区)の麓、下松の辺へ差し向けました。


続く
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by santalab | 2014-05-29 08:57 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」師賢登山の事付唐崎浜合戦の事(その1)

ゐんの大納言師賢もろかたきやうは、主上の内裏を御出ぎよしゆつありし夜、三条河原さんでうがはらまで被供奉たりしを、大塔おほたふの宮より様々被仰つる子細あれば、臨幸りんかうの由にて山門へ登り、衆徒しゆとの心をも窺ひ、また勢をも付けて合戦を致せと被仰ければ、師賢法勝寺ほつしやうじの前より、袞竜こんりよう御衣ぎよいを着して、腰輿えうよに乗り替へて山門の西塔院さいたふゐんへ登り給ふ。四条しでうの中納言隆資たかすけ二条にでう中将ちゆうじやう為明ためあきら中院なかのゐん左中将さちゆうじやう貞平さだひら、皆衣冠いくわん正しうして、供奉ぐぶてい相従あひしたがふ。事の儀式まことしくぞ見へたりける。西塔さいたふ釈迦堂しやかだう皇居くわうきよと被成、主上山門を御頼みあつて臨幸りんかう成りたる由披露ありければ、山上さんじやう・坂本はまうすに及ばず、大津おほつ・松本・戸津とづ比叡辻ひえつじ仰木あふぎ衣川きぬがは和邇わに堅田かただの者までも、我先にと馳せ参まゐる。その勢東西両塔りやうたふに充満して、雲霞の如くにぞ見へたりける。




尹大納言師賢卿(尹師賢)は、主上(第九十六代後醍醐天皇)が内裏を御出した夜、三条河原まで主上の供に付いていましたが、大塔の宮(護良もりよし親王)から様々仰せがあり、臨幸の振りをして山門(比叡山)に登り、衆徒([僧])の心を量り、 また勢を付けて合戦をせよと申されたので、師賢は法勝寺(現京都市左京区にあった寺)の前より、袞竜の御衣([天皇が着用した中国風の礼服])を着て、腰輿([前後二人でながえを手で腰の辺りに持ち添えて運ぶ乗り物])に乗り替えて山門の西塔院へ登りました。四条中納言隆資(四条隆資)・二条中将為明(二条為明)・中院左中将貞平(中院貞平)、皆衣冠([貴族や官人の宮中での勤務服])正しくして、供奉の体で相従いました。臨幸の儀式そのものに見えました。西塔の釈迦堂を皇居に定め、主上(後醍醐天皇)が山門を頼りにして臨幸されたことを披露すると、山上・坂本(現滋賀県大津市)は申すまでもなく、大津(現滋賀県大津市)・松本(現滋賀県大津市松本)・戸津(現滋賀県大津市)・比叡辻(現滋賀県大津市比叡辻)・仰木(現滋賀県大津市仰木町)・衣川(現滋賀県大津市衣川)・和邇(現滋賀県大津市)・堅田(現滋賀県大津市)の者までもが、我先にと馳せ参りました。その勢東西は両塔(東塔、西塔)に充満して、雲霞の如くに見えました。


続く
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by santalab | 2014-05-28 20:38 | 太平記 | Comments(0)


「承久記」一院隠岐の国へ流され給ふ事(その7)

「かの保元の昔、新院の御いくさ破れて、讃岐の国へ遷されさせ給ひしも、ここを御通りありけるとこそ聞け。御身の上とは知らざりしものを」と思し召す。「それは王位を論じ位を望み給ふ御事なり。これはされば何事ぞ」とぞ思し召しける。美作みまさか伯耆はうきの中山を越えさせ給ふに、向かひの峰に細道あり。いづくへ通ふ道にや」と問はせ給ふに、「都へ通ふ古き道にて、今は人も通はず」と申しければ、

都人 誰踏みそめて 通ひけむ 向ひの道の なつかしきかな

出雲の国大浦と言ふ所に着かせ給ふ。三尾が崎と言ふ所あり。それより都へ便りありければ、修明門院しゆめいもんゐんに御消息あり。
知るらめや 憂目を三尾の 浜千鳥 しましま絞る 袖のけしきを




「保元の昔(保元の乱(1156))、新院(崇徳院)が軍に敗れて、讃岐国に配流になった時も、明石の浦を通ったと聞いたことがある。まさか我が身のことだとは思わなかったが」と思いました。「崇徳院(第七十五代天皇)は王位について論争し子に帝位を継がせたいと望んでのことだ。だがわたしは何故に」とも思いました。美作国と伯耆国の中山を越えている時、「向こうの山に細道がある。どこへ続く道なのか」と訊ねられましたが、「都へ通じる古道でございます、今は人も通いません」と申せば、

いったいどんな都人が、あの道を踏みしめて通っていたのだろう。なぜかあの道に、心惹かれるのだ。

後鳥羽院は出雲国の大浦(現島根県邑智おおち郡)に着きました。三尾崎という所がありました。後鳥羽院はそこから都への便りを出し、修明門院(藤原重子しげこ。後鳥羽院の后)に文を届けました。
そなたは知らないと思うが、わたしはここ三尾浜の浜千鳥のように、袖をしわが行くほどに絞り泣きながら、流され行く島々の景色を眺めている。


続く
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by santalab | 2014-05-28 07:33 | 承久記 | Comments(0)


「太平記」諸国宮方蜂起の事(その2)

金谷かなや治部ぢぶ大輔たいふ経氏つねうぢ、播磨の東条とうでうより打ち出で、吉川きつかは・高田が勢を付けて、丹生にふの山陰に城郭じやうくわくを構へ、山陰の中道を差し塞ぐ。遠江のの介は、妙法院めうほふゐんの宮を取り立て参らせて、奥の山に立て籠もる。宇都宮治部の大輔入道は、紀清きせい両党五百余騎を卒して、吉野へ馳せまゐりければ、旧功を捨てざる心ざしを君殊に叡感あつて、すなはちこれを還俗げんぞくせさせられ四位しゐ少将せうしやうにぞなされける。この外四夷しい八蛮はちばん、ここかしこよりこるとのみ聞こへしかば、先帝旧労きうらうの功臣、義貞よしさだ恩顧の軍勢ら、病雀びやうじやく花を喰らうて飛揚ひやうの翼を伸べ、轍魚てつぎよ雨を得てげんぐうのくちびるを湿ほすと、悦び思はぬ人もなし。




金谷治部大輔経氏(金谷経氏)は、播磨の東条(現兵庫県加東市)より打ち出て、吉川・高田の勢を付けて、丹生(現神戸市北区にある丹生山)の山陰に城郭(丹生山城)を構え、山陰の中道を塞ぎました。遠江井介(井伊道政みちまさ)は、妙法院の宮(後醍醐天皇の皇子宗良むねよし親王の子、尹良ゆきよし親王?)を擁して、奥の山(現静岡県浜松市にあった井伊城)に立て籠もりました。宇都宮治部大輔入道(宇都宮公綱きんつな)は、紀清両党([宇都宮氏の家中の精鋭として知られた武士団])五百余騎を卒して、吉野(現奈良県吉野郡吉野町)へ馳せ参りました、旧功を捨てざる心ざしを君(南朝初代後醍醐天皇)はたいそう感じられて、すぐにこの者を還俗させて四位少将にされました。この外四夷八蛮([中国の周辺地域に存在する異民族。東夷,北狄,南蛮,西戎])が、あちらこちらより蜂起すると聞こえたので、先帝(第九十六代後醍醐院)旧労の功臣、義貞(新田義貞)恩顧の軍勢たちは、病雀が花を食べて飛揚の翼を伸ばし、轍魚([わだちの水たまりで苦しんでいる魚の意])が雨を得て、唇を湿おすと、よろこばない者はいませんでした。


続く
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by santalab | 2014-05-27 23:03 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」諸国宮方蜂起の事(その1)

主上しゆしやう山門より還幸くわんかうなり、官軍くわんぐん金崎かねがさきにて皆討たれぬと披露ありければ、今は再び皇威に復せん事、近き世にはあらじと、世挙つて思ひ定めけるところに、先帝また三種さんじゆ神器じんぎを帯して、吉野へ潜幸せんかうなり、また義貞よしさだ朝臣すでに数万騎すまんぎの軍勢を卒して、越前ゑちぜんの国に打ち出でたりと聞こへければ、山門より降参したりし大館おほたち左馬の助氏明うぢあきら、伊予の国へ逃げ下り、土居どゐ得能とくのうが子どもと引き合つて、四国を討ち従へんとす。江田兵部ひやうぶの大夫行義ゆきよしも丹波の国に馳せ来たつて、足立・本庄ほんじやうらを相語あひかたらつて、高山寺かうせんじに立て籠もる。




主上(北朝初代光厳くわうごん天皇)は山門(比叡山)より戻られて、官軍が金崎(現福井県敦賀市にあった金ヶ崎城)で皆討たれたと聞かれました、今は再び皇威に返ることは、近い世にはないと、世の者は思っていましたが、先帝(第九十六代天皇後醍醐院)はまた三種の神器を帯して、吉野(現奈良県吉野郡吉野町)へ潜幸されました、また義貞朝臣(新田義貞)がすでに数万騎の軍勢を卒して、越前国に打ち出たと聞こえたので、山門より降参した大館左馬助氏明(大舘氏明)は、伊予国へ逃げ下り、土居・得能の子どもと協力して、四国を討ち従えようとしていました。江田兵部大夫行義(江田行義)も丹波国に馳せ来て、足立・本庄らを味方に付けて、高山寺(現京都市右京区にある寺)に立て籠もりました。


続く
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by santalab | 2014-05-27 22:40 | 太平記 | Comments(0)

    

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