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「とりかへばや物語」巻一(その41)

中納言は、華々と見れども飽くまじうにほはしく、こぼるばかりの愛行、似るものなきに、もてなし有様も、さはいへどなごやかにたをたうをと、いとなつかしきほどの、人にこよなく優れて目も綾なるを、御方々の人々をかしと見るに、宮の宰相は、いささかも人の気配けはひするところはただにも過ぎず、かならず立ち止まり物など言ふを、中納言は見る目にたがひて、宰相の行きも遣らずとどこほりがちなるを、後目に見こせつつ過ぎぬるを檜熊川ひのくまがはならば、「しばし水かへ」とうち出でつべく、皆見送らるる中にも、染みていみじと思ふ人ありけり。




中納言【姫君】は、華やかで見飽きないほどに魅力的でした、こぼれんばかりの愛嬌は、似るものがないほどで、身のこなしも、凛々しいながらも柔和にして、目を惹くほどに、他人が及ばないほど優れて目に眩しいほどでした、宮方の女房たちは好意を寄せておりましたが、宰相中将もまた、わずかも女房たちのいる所は素通りせず、必ず立ち止まって話しかけておりました、中納言【姫君】はまったく異なり、宰相中将が立ち止まりがちなのを、横目で見遣って通り過ぎようとするので女房たちは檜熊川(『ささのくま 檜熊川に 駒とめて しばし水かへ 影をだに見む』=『檜熊川=現奈良県高市郡明日香村檜前ひのくま付近を流れる川。で馬を止めて、しばらく水をあげてください。その間だけでもあなたの姿を見ていたいから』。『古今和歌集』)ならばと残念がっておりました、宰相中将を見送る中に、とりわけ中納言を想っている者がありました。


続く


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by santalab | 2014-09-30 08:53 | とりかへばや物語 | Comments(0)


「とりかへばや物語」巻一(その40)

その年の五節に、中院の行幸ありければ、皆人々小忌をみにて参る中に、宰相中将・権中納言の青摺、いとどいみじう見ゆ。宰相は、いとそそろかに雄雄しく鮮やかなる様して、なまめかしう由あり、色めきたる気色いとおかしう見ゆ。




その年の五節([大嘗祭・新嘗祭に行われた五節の舞を中心とする宮中行事])に、中院(朱雀院。[中院]=[上皇が同時に三人以上いる時、本院の次の上皇をさす称])の行幸がございました、皆人は小忌衣([ 大嘗祭・新嘗祭などの大祭に、官人が行った厳しい斎戒に着用する衣])で参る中に、宰相中将・権中納言【姫君】の青摺りの衣([物忌みのしるしとして、白地に山藍の葉などで模様を青く型摺りにした衣])が、とてもりっぱに見えました。宰相中将は、たいそうそそろか([背が高いさま])でどっしりとされていながらも、どこか婀めいて、色めき立っておりました。


続く


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by santalab | 2014-09-30 08:48 | とりかへばや物語 | Comments(0)


「増鏡」叢時雨(その26)

かやうの事どもも、例の早馬はやむまにてあづまへ告げ遣りぬ。ただ今の将軍は、昔式部卿しきぶきやう久明親王しんわうとて下り給へりし将軍の御子なり。守邦もりくに親王しんわうとぞ聞こゆる。相模のかみ高時たかときと言ふは、病ひによりて、いまだ若けれど、一年ひととせ入道して、今は世の大事どもいろはねど、鎌倉の主にてはあんめり。心ばへなどもいかにぞや、うつつなくて、朝夕あさゆふ好む事とては、犬いぬ喰ひ・田楽などをぞ愛しける。これは最勝園寺さいしようゑんじ入道貞時さだときと言ひしが子なれば、承久の義時よしときよりは八代に当たれり。




これらの事を、いつものように早馬で東国に告げ知らせました。この時の将軍は、昔式部卿久明親王(鎌倉幕府第八代将軍。第八十九代後深草天皇の第六皇子)と申して下られた将軍の子でございました。守邦親王(鎌倉幕府第九代将軍)と申されました。相模守高時(北条高時。鎌倉幕府第十四代執権)と申す人は、病ひいにより、まだ若うございましたが、一昨年入道されて、今は世の大事に関わられることはございませんでしたが、鎌倉の主でございました。心持ちもどういうわけか、聡明でなく、朝夕に好む事としましては、犬喰ひ([闘犬])・田楽([初め民間の農耕芸能から出て、平安時代に遊芸化された芸能])などを好まれました。高時は最勝園寺入道貞時(北条貞時。鎌倉幕府第九代執権)と申す人の子でしたので、承久の義時(北条義時。鎌倉幕府第二代執権)より八代に当たられました。


続く


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by santalab | 2014-09-30 08:42 | 増鏡 | Comments(0)


「とりかへばや物語」巻一(その39)

今とてもわづらはしき思ひあるまじきならねば、宮の宰相も離れず。中々厳しき窓の内に籠もり給へりしほどこそ、思ひおよぶ方なかりしか、中々かかる方に立ち出で給へるはいとうれしくて、夜昼宣耀殿のわたりを離れず、大方の気色をも見るに、気高うもてなしたる様、大方の覚え世にもいみじきを、いかならん世に我思ひ叶えんとのみぞ思ひける。




尚侍【若君】が参内して都合がよいことと、宮の宰相【宰相中将】もそばから離れることはありませんでした。殿の内に籠もっていた時には、どうすることもできませんでしたが、参内するようになったことがとてもうれしくて、昼夜宣耀殿([後宮で女御・更衣などの居所])から離れず、機会を窺っておりました、尚侍【若君】の気高さは、世にないほどでしたので、いつかきっと願いを叶えようと思っておりました。


続く


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by santalab | 2014-09-29 18:03 | とりかへばや物語 | Comments(0)


「とりかへばや物語」巻一(その38)

昼なども、やがて上の御局にさぶらひ給ひて、手習ひ・絵描き・琴弾きなど、起き臥しもろともに見奉るに、よろづ慎ましく、恥づかしきものと埋もれしほどのつれづれよりは、何事も紛るる心地し給ふ。




尚侍【若君】は昼間も、上【女一の宮】の局にいて、手習い([習字])・絵描き・琴弾きなど、寝起きを共にして、何事も一緒でした、尚侍【若君】は自分が恥ずかしくて部屋に籠もっていた頃より、何事にしても気が紛れるような気がするのでした。


続く


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by santalab | 2014-09-29 17:46 | とりかへばや物語 | Comments(0)


「増鏡」叢時雨(その25)

六波羅より、御門ここにおはしますと心得て、武士どもおほまゐり囲む。山法師やまほふしも戦ひなどして、海東かいとうとかや言ふつはもの討たれにけり。「事の初めに、東失せぬる、めでたし」などぞ言ふめる。かかれども、御門笠置かさぎにおはします由、ほどなく聞こえぬれば、計られ奉りにけるとて、山の衆徒しゆと少々せうせう心変はりしぬ。宮々も逃げ出で給ひて笠置へぞまうで給ひける。大納言は都へ紛れおはすとて、夜深く志賀の浦を過ぎ給ふに、有明の月隈なく澄み渡りて、寄せかへる波の音もさびしきに、松吹く風の身に染みたるさへ、取り集め心細し。

思ふこと なくてぞ見まし ほのぼのと 有明の月の 志賀の浦波

その後、からうじてぞ、笠置かさぎへはたどりまゐられける。




六波羅探題は、帝(第九十六代後醍醐天皇)が比叡山におられると聞いて、武士どもを数多く参らせて取り囲みました。山法師([延暦寺の僧])も応戦して、海東とかいう兵を討ち捕りました。「事の初めに、東国の兵を討ち取ったのは、めでたいこと」などと言い合っておりました。けれども、帝(後醍醐天皇)は笠置(現京都府相楽郡笠置町)におられることを、ほどなく聞いて、騙されたと、比叡山の衆徒([僧])も徐々に心変わりするようになりました。宮々も比叡山を逃げ出して給ひて笠置寺に参りました。大納言(花山院師賢もろかた)は都へ隠れておられましたが、夜深に志賀の浦(現滋賀県大津市)を過ぎて行かれました、有明の月が曇りなく澄み渡り、寄せ返す波の音もさびしくて、松吹く風が身に染みて、何もかもが心細く思われるのでございました。

思い悩むことがない時に見ておればどれほど感動したことか。ほのぼのと有明の月が志賀の浦に寄せる波に映っている。なんとも美しい。

その後、やっとのことで、笠置へたどり着いたのでございます。


続く


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by santalab | 2014-09-29 09:01 | 増鏡 | Comments(0)


「とりかへばや物語」巻一(その37)

春宮は梨壺におはしませば、御局は宣耀せんえう殿にせられたり。しばしは夜々上りて、一つ御帳に御殿籠とのごもるに、宮の御気配けはひ手当たり、いと若く、あてにおほどかにおはしますを、さこそいみじう物恥ぢし、慎ましき御心なれど、何心なくうち解けたる御らうたげさには、いと忍び難くて、夜々御宿直のほど、いかがさし過ぎ給ひけん、宮は、いと浅ましう、思ひの外に思さるれど、見る目気配はいささか疎ましげもなく、世になくおかしげにたをたをとある人様なれば、さるやうこそはと、ひとへによき御遊び仇と思しまとはしたる、世になくあはれに思え給ひけり。




春宮【女一の宮】は梨壺([昭陽せうやう舎])におられたので、尚侍【若君】の局([部屋])は宣耀殿([後宮で女御・更衣などの居所])に決められました。しばらくの間は夜毎に梨壺に上って、同じ御帳で眠りましたが、宮【女一の宮】の気配が感じられて、とても若く、気品があっておだやかな感じがして、尚侍【若君】はとても恥ずかしく、慎ましくしておりましたが、そのうちに心が通うようになるととてもかわいくて、隠しておくこともできず、夜毎の宿直を重ねるほどに、尚侍【若君】が男であることを知りました。春宮はたいそう驚いて、考えてもみなかったことと思われましたが、尚侍【若君】を見る目は変わることなく、世にないほどに優しく穏やかな性格でしたので、きっと訳あってのことと思われました、親しく好ましい遊び相手としていつも一緒でしたので、尚侍【若君】も愛おしく思っておりました。


続く


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by santalab | 2014-09-28 20:58 | とりかへばや物語 | Comments(0)


「増鏡」叢時雨(その24)

その日は、大納言も、大塔だいたふさきの座主の宮も、うるはしき武士もののふ姿に出で立たせ給ふ。花威はなをどしよろひ鍬形くはがたの兜奉り、大矢おほや負いてぞおはする。妙法院の宮は、生絹すずしの御衣の下に、萠黄もえぎの御腹巻とかや着給へり。大納言は、から香染かうぞめの薄物の狩衣に、結縁けちえんに赤き腹巻をすかして、さすがに蒔絵まきゑの細太刀をぞ佩き給ひける。




その日は、大納言(花山院師賢もろかた)も、大塔の前の座主の宮(護良もりよし親王)も、凛々しい武士姿での出で立ちでございました。卯の花威([白糸威、白の唐綾威])の鎧に鍬形([前立て])の兜をかぶられ、大矢([普通より長い矢])負っておいででございました。妙法院の宮(宗良むねよし親王)は、生絹([生糸で織った練られていない絹織物])の衣の下に、萠黄([青黄色])の腹巻([鎧])を着ておられました。大納言(花山院師賢)は、唐織りの香染め([黄色味を帯びた薄茶色])の薄物の狩衣([公家が常用した略服])に、結縁(目印)として赤色の腹巻を着けて、さすがに蒔絵の細太刀([装飾用の太刀])を身に付けておられました。


続く


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by santalab | 2014-09-28 08:33 | 増鏡 | Comments(0)


「とりかへばや物語」巻四(その8)

暮れぬるにぞ、大将参り給ひてかみの君に対面し給へれば、忍びて、宮の御有様、宣旨の憂へつる事ども、聞こえし様などのたまへば、大将もうち泣き給ひて、宵など過ぐるほどに、人静まりぬるにぞ、いとよく紛らはして宮に対面せさせ奉り給へる。かたみに夢の心地して、聞こゆべき言の葉も思えねど、さてのみはあるべき事ならねば、事の心もくはしく聞こえ知らせたりとも、めづらしき世語りにのたまはせ出でなどすべきならねば、何かは隔て聞こえんと思して、初めよりの事を細かに聞え知らせ給ふにぞ、珍らかに浅ましうも、また、さは我が御事をば、またなくえ去り難うは思ほさざりけり、あはれとも思し給はましかば、かう立ち離るる事なく習ひて、かくわりなく心憂き様になりにけるを、さばかり見知りながら、かけ離れ出で交らひて、人にゆづり、よそよそに思ひなし給ふべしや、また、などかその折、しかしかとのたまはざらん、人にうち出でかかる事など言ふべきにもあらねば、日来のほどなども、おぼつかなう恋しくも恨めしくも思ひ出で聞こえて、なつかしうあはれと思えしも、まことにさて埋もれ籠もり給ふべき身ならねば、つゐにはさこそあらめど、このほどの有様をともかくも人に譲らず見扱ひ給ふべかりけるを、たとしへなく心憂き様を見給へ捨ててけるよと、人の御つらさも、身の心憂く恥づかしさも、つくづくと思ほし知られて、涙のみこぼれて、御答へものたまはせぬを、しか思さるるにこそとことはりにあはれにて、日来のをこたりなど泣く泣く聞こえ給へど、聞き入れ給ふべうもあらず。




日が暮れて、右大将【若君】が参り督の君【姫君】と会いました、忍んで、春宮【女一の宮】の様子、宣旨【母后の乳母子】が悲しんで、話したことを伝えると、右大将も泣いて、宵が過ぎるほどに、人も静まって、たいそう用心して春宮と対面させました。春宮右大将ともに夢の心地がして、話す言葉も失っておりましたが、黙ったままでもいられませんでしたので、右大将【若君】は思いの丈を残らず話そうと思いました、不思議な話を口外することもないと、隠し事はやめようと思い、初めより詳しく話しましたが、春宮【女一の宮】はまったく思いもしないことと聞きながら、一方で、事情はともかくこのわたしのことを、何よりも去り難くは思っていなかったのかと悲しく思われました、わたしのことをあわれに思っていたならば、ここを去ることなく今まで通り尚侍でいてくれたはず、あなたがいなくなればどれほどわたしが悲しむことかを、知っていながら、ここを去り、人に尚侍を任せ、他人のように思っているのかしら、なぜ、事情があったなら、わたしに正直に話してくれなかったのか、今でも、不安で恨めしく思い出していたのに、会えばなつかしく悲しい話とは思えど、いつまでも女として暮らすとは思いもしなかったし、いつかは男として生きると覚悟はしていたけれど、今しばらくはわたしのそばで一緒にいてほしかったのに、どれほど悲しんでいたわたしを見捨て捨ててしまうとは、尚侍【若君】のつらさ、我が身の悲しみ恥ずかしさを、痛いほどに思い知らされて、ただ涙ばかりこぼれて、何も答えませんでした、右大将【若君】は恨まれて当然のことと思い春宮【女一の宮】が不憫で、今までのことを泣く泣く謝罪申し上げましたが、春宮は何を申し上げても返事はございませんでした。


続く


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by santalab | 2014-09-27 17:04 | とりかへばや物語 | Comments(0)


「とりかへばや物語」巻四(その9)

泣く泣くこしらへて慰めて、明け行く気色なれば出で給ひなんとするにも、朝夕起き臥し馴れし御あたりは、立ち離れ難ういとあはれにて、

「忍びつつ 行きかよへやとや 朝夕に なれにし君が あたりともなく

さらなる事にも侍らず。ただかくて侍らばや。怪しと思ふ人侍るとも、誰も誰もさまでかたはには思されざらまし。いと後ろ安き御後ろ見とこそ思し召さめ」と聞こえ給へば、
「かくばかり かき絶えましや 朝夕に なれしあたりと 思はましかば

今さらもて出でて、憂き名をさへ流しはて給はんこそあひなく」とても、うち泣かせ給へるも、中々言多く言ひ続けて恨みんよりもことはりわづらはしければ、「よしよし、聞こゆるもあいなかりけり。かばかりの対面は今よりも難う侍るまじけれど、ただ朝夕起き臥し見馴れ奉りしを、よそよそならんがいぶせう侍るぞや。ところき御位ならで、心安き様にておはしまさば、内侍のかみの所縁疎からぬ御後ろ見なる様にて、いとよう仕うまつりなん」など聞こえ給ふほどに、いたく明かくなれば出で給ひぬ。




右大将【若君】はようように春宮【女一の宮】を慰めて、夜が明けようとしたので出て行こうとしましたが、朝夕臥し起き慣れ親しんだ所でしたので、別れ難く悲しくて、

「尚侍【姫君】に会う時は、春宮の目を忍んで通われよと申されるのですね。朝夕慣れ親しんだ春宮のおそばに参るというのに。

わたしは春宮と別れるつもりはございません。これからもここを訪ねたいと願っております。怪しく思う人もおりましょうが、誰もこれほどの事情があるとは思わないでしょう。ただよい後ろ見だと思うはずです」と申し上げると、
「もしそれほどにこのわたしのことを思っていたならば、突然いなくなったりしましょうか。朝夕慣れ親しんだこのわたしの目の前から。

今さら訪ねて来られて、かえって妙な噂でも出てきては迷惑なことです」と申して、泣かれました、右大将は恨み言を重ねられるのは当然としてもこれほどまでに拒絶されるとは思っていなかったので、「仕方ございません、春宮【女一の宮】はわたしの申し上げることはお聞きになられないと申すのですね。こうして春宮にお会いすることは難しいことでしょうが、今まで朝夕臥し起きに慣れ親しんだあなたを、ただ遠くより見守るほかないと思えば悲しくてなりません。あなたが春宮という位でなく、もっとご自由なお立場であられたならば、尚侍【姫君】に所縁疎からぬわたしですから後ろ見として、お仕えすることもできますのに」などと申して、すっかり夜が明けてから出て行きました。


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by santalab | 2014-09-27 17:01 | とりかへばや物語 | Comments(0)

    

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