Santa Lab's Blog


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「宇津保物語」藤原の君(その87)

今宮、

七夕の 会ふと聞くを 天の川 浮かべる星の 名にこそありけれ




今宮(朱雀帝の娘一の宮)は、

七夕の日に、逢うと聞く天の川に輝くのは、その名にまさる美しい星ですね。


続く


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by santalab | 2015-03-31 12:37 | 宇津保物語 | Comments(0)


「宇津保物語」藤原の君(その86)

中将殿の御方、

七夕の まれに会ふ夜の しののめは 見る人さへも 惜しくもあるかな




中将殿(源実頼さねより)の御方(左大将藤原正頼まさよりの四女)、

七夕に、年に一度会う夜の、しののめ([東雲]=[明け方])は、見る者さえ、忍びなく思うものです。


続く


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by santalab | 2015-03-31 08:50 | 宇津保物語 | Comments(0)


「宇津保物語」藤原の君(その85)

宰相殿の御方、

年ごとに 我が縒る糸の 立ち返り 千歳の秋も くらむとぞ思ふ




宰相殿の御方(左大将藤原正頼まさより

毎年、織姫が織る糸が、今夜の後に断ち切れてしまうので、千歳の秋([千秋]=[非常に長い年月])の間、織姫は機を織り続けるのでしょう。


続く


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by santalab | 2015-03-31 08:33 | 宇津保物語 | Comments(0)


「曽我物語」奥野の狩りの事(その5)

海老名の源八、これを見て、とう八箇国の中に、男子をのこご持ちたらん人は、滝口殿を呼びて、物あやかりにせよ、器量きりやうと言ひ、弓矢取りては、樊噌はんくわい張良ちやうりやうなり。あはれ、さむらひや」と誉められ、いよいよ気色を増し、老いの末座敷ばつざしきより進み出で、まうしけるは、「只今のさかづきも、しかる事にてさうらへども、余りにもどかしく思え候ふ。おほきなる盃をもつて、一つづつ御まはし候へかし」とまうしければ、「滝口殿のおほせこそ、面白けれ」とて、伊東の次郎じらうかひと言ふ貝を取り出だし、この貝は、日本につぽん一二番の貝とて、ゐんまゐらせたりしを、公家には、貝を御用ひなき事なれば、武家に下さる、太郎たらう貝をば、秩父に下さる、提子ひさげ五つぞ入りける、次郎貝じらうがひをば、三郎に下さる、新介しんすけ賜はりて、土肥とひの次郎に取らする、殿上てんじやうを許されたる器物うつはものとて、秘蔵ひさうして持ちけるを、折節をりふし河津かはづの三郎、土肥のむこに成りて来たりしを、引出物にしたりけり。内は己なりに、外は梨子地なしぢに蒔きて、いそなりにめお差したり、提子ひさげ三つぞ入りける、これを取り出だし、滝口がもとより始めて、三度づつぞまはしける。五百余人の持ちたる酒なれば、酒の不足はなかりけり。後には、乱舞して、をどり跳ねてぞ、遊びける。




海老名源八(海老名季貞すゑさだ)は、これを見て、東八箇国([相模・武蔵・安房あは上総かみふさ下総しもふさ・常陸・上野かみつけ下野しもつけ])の中で、男子を持つ人は、滝口殿を呼んで、神と崇めよ。器量([姿かたち])は言うに及ばず、弓矢を取っては、樊噌(中国秦末から前漢初期にかけての武将)・張良(中国秦末から前漢初期の政治家・軍師)にも劣らぬ。なんと勇ましい、侍よ」と誉められて、ますます上機嫌で、老いの末座敷より進み出て、申すには、「今の盃も、悪くはござらぬが、あまりに小さいように思えまする。もっと大きなる盃を、一つずつ回されてはどうでしょう」と申せば、「滝口殿の仰せこそ、一興でござる」と申して、伊東次郎(伊東祐親すけちか)貝と言う貝を取り出しました、この貝は、日本一二番の貝ということで、院(第七十七代後白河院)に参らせたものでしたが、公家は、貝に興味はなく、武家に下されたものでした、太郎貝は、秩父(秩父重弘しげひろ重能しげよし?河越重頼しげより?)に下されました、提子([つると注ぎ口のある小鍋形の銚子])が五つ入っていました、次郎貝は、三郎(三浦義明よしあき?)に下されて、新介(三浦義澄よしずみ。三浦義明の子)に伝え、土肥次郎(土肥実平さねひら)に贈りました。殿上を許された器物で、秘蔵していましたが、折に、河津三郎(河津祐泰すけやす)が、土肥(実平)の婿となったので、引出物にしました。貝の内はそのままに、外は梨子地([漆を塗った 上に梨子地粉を蒔き、乾燥後、梨子地漆を塗って、漆を透かして梨子地粉が見えるように研いだもの])に蒔いて、いそなりにめお(磯形に鳳凰?)を透かしてありました。提子が三つ入っていました、これを取り出し、滝口より始めて、三度ずつ廻しました。五百余人が持って参った酒でしたので、酒に不足はありませんでした。酒が廻った後には、乱舞して、躍り跳ねて、遊びました。


続く


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by santalab | 2015-03-31 08:29 | 曽我物語 | Comments(0)


「宇津保物語」藤原の君(その84)

左衛門督の娘の御方、

明けぬとて 待つ宵よりも 七夕は 帰る朝や 侘びしかるらむ




左衛門督(藤原忠俊ただとし)の御方(左大将藤原正頼まさよりの八女)、

織姫は今夜を待つよりも、夜が明けて彦星が帰る、朝を悲しく思うのではないのでしょうか。


続く


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by santalab | 2015-03-30 08:32 | 宇津保物語 | Comments(0)


「宇津保物語」藤原の君(その83)

民部卿の殿の御方、

手もやまず 我が織る糸を 彦星の 夜の衣に 織るや七夕




民部卿(源実正さねまさ)の御方(左大将藤原正頼まさよりの七女)、

手も休めず、織姫が織っているのは、彦星の、夜の衣([寝るときに着る衣服])なのでしょうか。


続く


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by santalab | 2015-03-30 08:23 | 宇津保物語 | Comments(0)


「曽我物語」奥野の狩りの事(その4)

その後、勢子せこの者ども呼び寄せ、熊を舁かせて、人々の下りたるたうげに打ち上り、急ぎむまより下り、「御おんさかなたづさうらふとて、深入り仕り、遅参まうすなり。御免候へ」と言ひ、笠をも脱がず、うつぼをも解かず、行縢むかばきながら、弓杖ゆんづゑ突きて立ちたり。吉川きつかは四郎しらう俣野またのにいくみてありけるが、これを見て、「滝口殿は、聞きしより、見まして思ゆるものかな。あはれ、をとこかな」と誉めければ、座敷に居煩ゐわづらひたり。まことに気色顔きしよくがほにて、何事がな、力業ちからわざして、なほ誉められんと思へども、芝居の事なれば、叶はでありけるを、おととの滝口三郎さぶらうと船越十郎じふらうたりけるあひだに、あをめなる石の、高さ三尺ばかりなるをりて、持たせばやと思ひければ、するすると歩みけるを見て、弟の家俊いへとし、立たんとす。膝をおさへて、はつたと睨みて、「弓矢の座敷を片去るとは、我が居たるいへを出でて、他所に居渡り、その家に人を置くをこそ、座敷片去るとは言へ。これ、ここなる石の、二人があひだにありて、つまりやうの憎さにこそ」と言ひ、右の手を差し延べて、後うしろ様へ押しければ、大せきが押されて、谷へどうど落ち行く。




その後、勢子([狩猟を行う時に、山野の野生動物を追い出したり、射手のいる方向に追い込んだりする役割の者])の者どもを呼び寄せ、熊を舁かせて、人々がいる峠に打ち上り、急ぎ馬から下り、「肴を探そうと、山深く立ち入り、遅参しました。申し訳ございませぬ」と申して、滝口は笠も脱がず、靫([矢を携帯するための筒状の容器])も解かず、行縢([遠行の外出・旅行・狩猟の際に両足の覆いとした布帛ふはくや毛皮の類])姿で、弓杖を突いていました。吉川四郎(吉川三郎経義つねよし?)は、俣野(俣野景久かげひさ)と膝を突き合わせていましたが、これを見て、「滝口殿は、聞いているにもまして、勇ましい人よ。まさに、男の中の男だ」と誉めたので、座敷に腰を下ろすのをためらいました。気色顔([得意そうな顔付き])で、何事か、力業([力の強さに頼ってするわざ])でもして、さらに誉められたいと思いましたが、芝居([芝生に席を設けて座ること])の席でしたので、それも叶わず、弟の滝口三郎と船越十郎が座っている間に、青い石で、高さ三尺(約90cm)ばかりを選んで、持ち上げさせようと思い、するすると近付くのを見て、滝口の弟である家俊(山内首藤経俊つねとし?)が、席を去ろうとしました。滝口は弟の膝を抑えて、弟をにらんで、「弓矢(武士)が座敷から逃げ出すのは、己が住む家を出て、他所に移り、我が家を人に取られるようなもの、座敷を離れるとはそういうことぞ。きっと、そこにある石が、二人の間にあって、気に入らぬのだろう」と申して、右手を延ばして、後方へ押すと、大石は押されて、谷へ大音響を立てて落ちました。


続く


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by santalab | 2015-03-30 08:20 | 曽我物語 | Comments(0)


「宇津保物語」藤原の君(その82)

右大臣殿の御方、

年ごとに 会ふと見ながら 天の川 幾世渡ると 知る人のなさ




右大臣(藤原忠雅ただまさ)の御方(左大将藤原正頼まさより

毎年、織姫と彦星は会うといいますが、この天の川を幾度渡ったと、知る人はおりません。


続く


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by santalab | 2015-03-29 08:10 | 宇津保物語 | Comments(0)


「宇津保物語」藤原の君(その81)

中務なかつかさの宮の御方、

秋浅み 紅葉も散らぬ 天の川 何を橋にて あひ渡るらむ




中務の宮(源正頼まさよりの中の宮=次女の婿)の御方(次女)は、

初秋の、紅葉葉も散らない、天の川を、何を橋にして、彦星は渡るのでしょうか。


続く


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by santalab | 2015-03-29 08:05 | 宇津保物語 | Comments(0)


「曽我物語」奥野の狩りの事(その3)

大庭おほば聞き、「滝口殿は、年こそ若けれども、しかる人ぞかし。今来たると言ふを、少しのあひだ、待たぬか。左右さうなくさかな荒らすな」とて、奥野の山口方へ迎ひ遣り、滝口遅しと待つところに、滝口は、熊倉の北の脇を過ぐるに、らちそとに、熊の大王だいわうを見付けて、本山ヘ入れじと、平野に追ひ下すところに、滝口、おほきなる伏木ふしきむまを乗り掛け、真逆様まつさかさまに馳せたふす。倒るる馬をかへりみず、弓の本を、左右さうあぶみに乗りかかり、草葉隠れに、矢頃少し延びたりけるを、三人張りに、十三ぞくだい鏑矢かぶらや番ひ、拳上こぶしうへに引き掛け、ひやうど放つ。ひやうど遠鳴とほなりして、右の折骨をりぼね二つ三つ、はらりと射ければ、鏑は割れて、さつと散りければ、やじりは、いはにがしと当たる。熊は、手を負ひ、滝口にたけりて掛かる。勢子せこの者ども、これを見て、四方しはうへばつとぞ逃げたりける。滝口、この矢を番ひ、絞りかへして、月の輪をはすしろに、射を懸けて射ければ、熊は、少しも動かず、矢二つにて、止まりける。




大庭(大庭景義かげよし>)はこれを聞き、「滝口殿は、年こそ若いが、座にあってしかるべき人である。すぐに参ると申しておるのだ、少しの間、待ってはどうか。それまで肴に手を付けるでない」と申して、奥野の山口方へ迎いを遣り、滝口遅しと待つところに、滝口は、熊倉の北の脇を通り過ぎていましたが、ちらりと目を遣り、熊の大王を見付けて、山へ帰すまいと、平野に追い下していましたが、滝口は、太い伏木に馬を乗り上げて、真逆様に倒れました。倒れた馬を顧みず、弓の本([本筈]=[弓の下端の、弦輪のかかるとがった部分])を着いて、左右の鐙に乗りかかり、草葉隠れ逃げる熊を、矢頃([矢を射るのにちょうどよい距離])からは少し離れていましたが、三人張りの弓に、十三束([通常の矢より長い矢])の大鏑矢を番い、拳上([握った手元の方が先端より高くなるようにすること])に引いて、矢を放ちました。矢は遠鳴りして、熊の右の折骨([肋骨])を二三本、射て、鏑は割れて、砕け散り、矢は、岩に音を立てて当たりました。熊は、手負い、滝口に荒れ狂いながら向かって来ました。勢子([狩猟を行う時に、山野の野生動物を追い出したり、射手のいる方向に追い込んだりする役割の者])の者どもは、これを見て、四方へ一目散に逃げてしまいました。滝口は、矢を番い、弓を絞り返して、月の輪に狙いを定めて(はすしろ?)、熊に向かって矢を射ると、熊は、ぴくりとも動かず、矢二つで、撃ち止めました。


続く


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by santalab | 2015-03-29 07:57 | 曽我物語 | Comments(0)

    

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