Santa Lab's Blog


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「曽我物語」祐清、京へ上る事(その2)

九郎、重ねて申しけるは、「御免候はば、たちまち平家へまゐり、君の御かたきと成り参らせ、後ろ矢仕るべし」と、再三申しけれども、御用ひなく、「たとひ敵と成ると言ふとも、頼朝が手にては、如何でか斬るべき」とおほせ下されければ、力及ばず、京都きやうとに上り、平家に奉公致しける。北陸道ほくろくだうの合戦の時、加賀の国篠原にて、斎藤別当べつたう一所に討ち死にして、名を後代こうたいに止む。良きさぶらひの振る舞ひ、弓矢の義理、これにしかじと、しまぬ者はなかりけり。




九郎(伊東祐清すけきよ)が、重ねて申すには、「ご免されますれば、たちまち平家に参り、君(源頼朝)の敵となり、後矢([敵に内通して味方の背後から矢を射かけること])を参らせることになりましょう」と、再三申しましたが、頼朝は聞く耳を持たず、「たとえ敵となるにせよ、この頼朝の手にかけて、斬ることなどできぬ」と仰せ下されたので、力及ばず、京都に上り、平家に奉公するところとなりました。祐清は北陸道の合戦(篠原の戦い(1183))の時、加賀国篠原(現石川県加賀市)で、斎藤別当(斎藤実盛さねもり)一つ所に討ち死にして、名を後代に残しました。秀れた侍の振る舞い、弓矢(武士)の義理、祐清に勝るものはないと、惜しまぬ者はいませんでした。


続く


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by santalab | 2015-06-30 11:41 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」五朗と源太と喧嘩の事(その7)

さて、酒ども取り散らし、連れたる者どもにも飲ませ、夜も明け方になりぬれば、雑人ざふにんに交はらんとて、蓑笠みのかさ藁沓わらぐつ縛り履き、夜とともに出でし心ざし、草の陰なる父聖霊しやうりやうも、あはれとや思ひ給ふらん、心細さは限りなし。




そして、酒を取り散らし、連れた者どもにも飲ませ、夜も明け方になれば、雑人([身分の低い者])に交わろうと、蓑笠・藁沓([わらで編んだ草履])を縛り履き、夜とともに出で立つ心ざしは、草葉の陰の父(河津祐泰すけやす)の聖霊も、哀れと思ったことでしょう、心細さは限りないものでした。


続く


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by santalab | 2015-06-29 19:58 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」五朗と源太と喧嘩の事(その6)

来たる者ども、思はずに、しづまりかへりて、音もせず。不思議なりとて、聞くところに、秘かにかどを叩きけり。人を出だして、「そ」と問ふ。「和田殿よりの御使ひなり。昼の喧嘩けんくわ、危ふくこそ見えしか、御心ざしに、思はず袖をこそ絞りさうらひつれ。わざとこなたへはまうさず候ふ。『御用意こそとは存ずれども、国より持たせ候ふ』とて、「樽二三、粮米らうまい添へて」と言ふこゑ聞けば、義盛よしもり郎等らうどうに、志戸呂しどろの源七が声と聞き、急ぎ十郎じふらう立ち出でて、返事にも及ばず、「畏まり入りさうらふ。罷りかへり候はば、まゐまうすべし」とて返しけり。




やって来た者どもは、思いがけなく、鎮まり返って、音も立てませんでした。不思議なことだと、聞き耳を立てていると、そっと門を叩きました。人を出して、「誰か」と訊ねました。「和田殿(和田義盛よしもり)よりの使いです。昼の喧嘩ですが、危うく思えました、お覚悟のほど、思わず袖を絞らずにはおれませんでした。ですからお誘いはいたしませんでした。『用意とは存ずるが、国より持たせたものを』と申すので、樽二三、粮米([食糧としての米])を添えてお持ちしました」と言う声を聞けば、義盛の郎等([家来])、志戸呂源七の声と聞いて、急ぎ十郎(曽我祐成すけなり)は立ち出て、返事にも及ばず、「畏まり入りまする。ここから戻ったならば、必ずや参りお礼申し上げましょう」と申して使いを返しました。


続く


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by santalab | 2015-06-29 19:55 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」五朗と源太と喧嘩の事(その5)

夜半ばかりに、数十人すじふにんこゑして、「まさしくこのほとりなり。こなたに廻れ。かしこをたづねよ。声な高くせそ」とて、物の具音しきりなり。五朗ごらう聞きて、「昼の梶原かぢはらが遺恨にて、いたづらなる者ども、討つ手に起こせりと思えたり」。十郎じふらう聞きて、「しづまりさうらへ。楚忽の沙汰あるべからず。内のていも見苦し。先づ燈火ともしびを消せ」とて下知げぢし、今やと待ち掛けたり。五朗は、太刀追つ取つて、既にやかたを出でんとす。十郎、袖を控へて、「鎮まり給へ。昼こそあらめ、夜なれば、一方いつぱう打ち破りて、忍ばん事いと安し。たとひ何十人なんじふにん来たると言ふとも、先づ一番を切り伏せよ。二番続きて、よも入らじ。まして三番白むべし。たとひ乗り越え切り入るとも、裾を薙ぎ伏せよ。構へて、御分離るるな。隔てられては敵ふまじ。急ぎて、ほかへは出づべからず。隙間を守りて、諸共に出で、逃れば逃るべし。もしまた、逃れ難なくは、差し違へては死ぬる事も、雑兵ざふひやうの手にばし掛かるな」と言ひつつ、脇に立ち寄りて、「今や入る」と待ち掛けたり。




夜半ばかりに、数十人の声がして、「確かにこのあたりよ。こちらを当たれ。あちらはどうだ。大声を立てるな」と言って、物の具([武具])の音がしきりに聞こえました。五朗(曽我時致ときむね)はこれを聞いて、「昼の梶原(梶原景季かげすゑ)が恨んで、徒ら者([ならず者])どもを、討っ手に寄こしたのではありませんか」。十郎(曽我祐成すけなり)はこれを聞いて、「静かにせよ。楚忽([軽はずみなこと])なまねはするなよ。内を知られるのも見苦しい。ともかく燈火を消せ」と命じて、今かと待ち掛けました。五朗(時致)は、太刀を取ると、館を出ようとしました。十郎は、袖を引いて、「落ち着け。昼ならばともかく、夜ならば、一方を打ち破り、逃れることは容易いことよ。たとえ何十人あるとも、まず一番を切り伏せよ。二番続いて、入ることはよもやあるまい。ましてや三番は怖気付いておるであろう。たとえ乗り越え切り入る者あろうとも、裾を薙ぎ伏せよ。何があっても、わたしから離れぬよう。隔てられては敵うまい。急いで、外に出てはならぬ。敵の隙をついて、共に出て、逃れよう。もしまた、逃れることができなくば、差し違えて死ぬこともあるやも知れぬが、雑兵の手に掛かるな」と言いつつ、脇に隠れて、「今に入るか」と待ち掛けました。


続く


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by santalab | 2015-06-29 19:50 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」五朗と源太と喧嘩の事(その4)

「あの冠者くわんじやばらは、義盛よしもりが内の者にてさうらふ。奇怪きくわいなり。罷りし去れ」と怒られければ、この人々、死にたきところにてあらざれば、かたはらにこそ忍びけれ。源太げんだは、その後、駒打ち寄せ、大方おほかたに色代して、互ひに館へぞかへりにける。「さても、源太がいきほひは如何に」。五朗ごらう聞きて、「鬼神なりとも、御首は、危ふくこそ思えしか」。十郎じふらう聞きて、「身に思ひだになくは、言ふに及ばず。心の物にかかりては、如何いかでか然様さやうの事あるべき。源太討たん事は、いと安し。我らが命も生き難し。さては、梶原かぢはらを討たんとて、心を尽くしけるか。向後きやうこうは、心得給ひて、身をたばひ、命をまつたくして、心を遂げ給ふべし。かへす返す」と言ひながら、夜更くるまでぞ、たりける。




「あの冠者どもは、義盛(和田義盛)の身内の者でございます。無礼である。ここを去れ」と怒ったので、この人々(曽我祐成すけなり時致ときむね)は、死にたいとは思いませんでしたので、義盛の後ろに下がりました。源太(梶原景季かげすゑ)は、その後、駒を打ち寄せ、そこそこに挨拶して、互いに館へ帰って行きました。「それにしても、源太の奢りはどういうことか」。五朗(時致)はこれを聞いて、「たとえ鬼神であろうと、首は、危うく思えましたが」。十郎(祐成)はこれを聞いて、「身に思いがなければ、言うまでもないこと。本懐あればこそ、どうしてこのようなことをするものか。源太を討つことは、とても容易いことよ。我らの命もそれまでだが。さては、梶原(景季)を討とうと、思っていたか。この後は、よくよく心得て、身を大事にし、命をまっとうして、本望を遂げることぞ。返す返す念じよ」と申して、夜が更けるまで、語り合いました。


続く


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by santalab | 2015-06-29 19:44 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」五朗と源太と喧嘩の事(その3)

五朗ごらうこらへぬをのこにて、太刀取りなほし、「事々ことことし、雑人ざふにんに目は掛くまじ。源太げんだが駒の向かうづね薙ぎ落とさんに、よも堪へじ。落ちんところを刺し殺し、腹切るまで」とつぶやきて、兄を押し退け、掛かりけり。十郎じふらう、「しばし」と止むる時、折節をりふし義盛よしもりは、御前よりかへり給ひしが、源太げんだこゑの高ければ、何事にやとて、立ち寄りたり。「これは、和田殿の御内の者」と言ふ声、十郎祐成すけなりと聞き成し、よく見れば、案にもたがはず、兄弟きやうだいの人々、思はぬ姿に身をやつし、思ひ入れたる心ざし、見るに涙ぞこぼれける。




五朗(曽我時致ときむね)は、逸り雄の男でしたので、太刀を取り直し、「小賢しい奴め、雑人には目を掛けまい。源太(梶原景季かげすゑ)の駒の向こう脛を薙ぎ落とせば、よもや堪えることはできまい。馬から落ちるところを刺し殺し、腹を切るまでのことよ」とつぶやいて、兄(曽我祐成すけなり)を押し退け、掛かって行きました。十郎(祐成)は、「まあ待て」と止めた時、ちょうど、義盛(和田義盛)が、御前より帰るところでしたが、源太の声が大きかったので、何事かと、立ち寄りました。「これは、和田殿の身内の者よ」と言う声を、十郎祐成の声と聞いて、よく見れば、思った通り、兄弟の人々が、思いもしない姿に身をやつしていました、覚悟の上と思えて、見るに涙がこぼれました。


続く


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by santalab | 2015-06-29 19:38 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」五朗と源太と喧嘩の事(その2)

十郎じふらう立ちかへり、笠の下より、「和田殿の雑色ざつしきなり」と言ふ。「それは何とて忍ぶぞや。名をば何と言ふぞ」。「藤源次とうげんじまうす者なり。和田殿、御所へまゐられさうらひつる暇を量り、御やかたの次第を見物仕り候ふ。義盛よしもりかへる時になり候ふあひだ、急ぎ帰り候ふ」と言ふところに、梶原かじはらが雑色進み出でて、「藤源次は、それがし見知りて候ふ。これは、あらぬ者にて候ふ」と言ひければ、「ればこそ、怪しかりつれ。先づ討ち止めよ」とて、ひしめきけり。




十郎(曽我祐成すけなり)は顔を上げて、笠の下より、「和田殿(和田義盛よしもり)の雑色([身分の低い者])です」と答えました。「ならばどうして顔を見せぬ。名は何と言う」。「藤源次と申す者です。和田殿が、御所へ参られた暇に、君(源頼朝)の館を見物に参りました。義盛が帰る時になりましたので、急ぎ帰るところです」と申しましたが、梶原(梶原景季かげすゑ)の雑色が進み出て、「藤源次のことは、わたしが見知っております。この者は、藤源次ではございません」と言ったので、「やはりそうか、怪しい者よ。ともかく討ってしまえ」と申して、騒ぎになりました。


続く


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by santalab | 2015-06-29 19:34 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」五朗と源太と喧嘩の事(その1)

曽我の人々は、雑人ざふにんにや紛るると、古き蓑に、編笠深く引き込みて、太刀脇挟み、とほるところに、折節をりふし源太げんだ左衛門さゑもん景季かげすゑ、三浦のやかたよりかへるに、十文字じふもんじに行き合ひぬ。この人々は、源太と見成し、笠を深くかたぶけ、まじりに掛けてぞ通りける。源太、これを控へつつ、「これなる者どもの怪しさよ、止まれ」とぞ咎めける。




曽我の人々(曽我祐成すけなり時致ときむね)は、雑人([身分の低い者])に紛れようと、古い蓑に、編笠を深くかぶり、太刀を脇挟み、通っていましたが、ちょうど、源太左衛門景季(梶原景季)が、三浦(三浦義村よしむら)の館より帰るところに、十文字と出会いました。この人々(祐成・時致)は、源太(景季)と見て、笠を深く傾け、注意しながら通りました。源太は、これをさえぎって、「この者どもの怪しさよ、止まれ」と咎めました。


続く


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by santalab | 2015-06-29 19:29 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」祐清、京へ上る事(その1)

伊東の九郎においては、奉公の者にて、死罪をなだめられ、召し使はるべき由、おほせ下されしを、「不忠の者の子、面目なし。そのうへ、石橋山の合戦に、まさしく君を討ち奉らんと向かひし身、命生きてさうらふとも、人に等しく頼まれ奉るべしとも存ぜず。さあらんにおいては、首を召されん事こそ、深き御恩たるべし」と、望みまうしけるも、やさしくぞ思えける。この心なればや、君をも落とし奉りけると、今更思ひ知られたり。君聞こし召され、「申し上ぐるところの辞儀じんぎ余儀よぎなし。しかれども、忠の者を斬りなば、天の照覧せうらんもいかが」とて、斬らるまじきにぞ定まりける。




伊東九郎(伊東祐清すけきよ。伊東祐親すけちかの次男)は、奉公の者でしたので、死罪を宥められ、召し使うべしと、仰せ下されましたが、「不忠の者(伊東祐親すけちか)の子なれば、面目が立ちません。その上、石橋山の合戦(1180)では、まさしく君(源頼朝)を討ち奉ろうと立ち向かった身です、命を生きたところで、人と同じように信頼されるとも思いません。そうであれば、首を召さることこそ、深き御恩でございましょう」と、望み申すのも、情けある者と思われました。このような心持ちでしたので、君をも討ち損なったのだと、今さらに思われました。君(源頼朝)はこれを聞いて、「申し上げるところの辞儀([言葉])に、偽りはなかろう。けれども、忠の者を斬れば、天の照覧([神仏が御覧になること])もいかがなものか」と申して、斬らぬことに定まりました。


続く


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by santalab | 2015-06-29 17:27 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」鴛鴦の剣羽の事

幾程なくして、この淵の中に、赤き石二つ出で来たり、抱き合はせてぞありける。「これ、不思議なり。かんはく夫婦の姿なるをや」と、人まうしければ、大王だいわう聞こし召し、なほもありし面影の忘れ難くて、また官人くわんにん諸共に、かの淵のほとり行幸ぎやうがうなり、叡覧ありければ、申すにたがはず、まことに石二つあり。不思議に思し召すところに、かの石のうへに、鴛鴦おし鳥一番ひ上がりて、鴛鴦ゑんわうふすまの下なつかしげにたはぶれけり。これも、彼らが精にてもやと御覧じけるに、この鴛鴦飛び上がり、思ひ羽にて、わうの首を掻き落とし、淵に飛び入り失せにけり。それよりして、思ひ羽をば剣羽つるぎばとも申すなり。




しばらくして、この淵の中に、赤い石が二つ現れました、抱き合ったように見えました。「これは、不思議なことよ。かんはく(韓憑?)夫婦ではないか」と、人は噂したので、大王はこれを聞き、なおありし面影の忘れ難くて、また官人とともに、かの淵の辺に行幸し、見れば、噂通り、本当に石が二つありました。不思議に思っていると、石の上に、鴛鴦が一番い止まって、鴛鴦の衾([夫婦が共寝をする夜具])で戯れているようでした。これも、彼らの精霊かと見ていると、鴛鴦は飛び上がり、思い羽([オシドリなどの雄にある、イチョウの葉に似 た羽])で、王の首を掻き落とすと、淵に飛び入り消えてしまいました。それより、思い羽を剣羽と言うようになりました。


続く


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by santalab | 2015-06-28 12:36 | 曽我物語 | Comments(0)

    

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