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「曽我物語」小二郎語らひ得ざる事(その11)

十郎じふらう、「うけたまはりぬ。但し、この事は、何となきたはぶれにまうしつるを、まことしがほに申されつらん不覚さよ。かつうは、御推量すいりやうさうらへ。当時たうじ、我らが姿にて、思ひも寄らぬ事」とて立ちければ、五朗ごらうも足抜きして立ちけるが、十郎に申しけるは、「ればこそ申しつれ、小二郎こじらうを失ふべかりつるものを、助け置きて、斯かる大事を漏らされぬる事こそ、安からね。心にかからん事をば、ためらひ候はず、逸早いつさうにすへべきものを。あはれみ胸を焼くとは、斯かる事をや申すべき。今は叶はじ。我らが所為と思さめ」とて、息継ぎたる。




十郎(曽我祐成すけなり)は、「承知しました。ただ、このことは、ほんの冗談で申したのを、まに受けるとは思いもしませんでした。そもそも、考えてもみてください。今の、我らの身で、思いも寄らぬことではございませんか」と申して立てば、五朗(曽我時致ときむね)も足抜き([抜き足]=[音を立てないように、足をそっと抜き上げるようにして歩くこと])して立ちました、十郎に申すには、「だから申したのです、小二郎を失うべきであったものを、助け置いて、このような大事を漏らされるとは、心穏やかではおれません。心配すべきことは、ためらうことなく、逸早([すばやい])に事をなすべきものを。哀れみ胸を焼く([哀れみ転じて胸を焼く]=[哀れみをかけたことが身の災いになるの意])とは、このことを申すべき。今となっては叶わないでしょう。我らのなした事と思われてしまいます」と申して、息継ぎ([溜息を吐く])しました。


続く


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by santalab | 2015-07-31 14:33 | 曽我物語 | Comments(0)


「徒然草」第二百四十一段(その2)

所願を成じて後、いとまありて道に向かはむとせば、所願尽くべからず。如幻の生の中に、何事をかなさん。すべて所願皆妄想なり。所願心に来たらば、妄心迷乱すと知りて、一事をもなすべからず。直ちに万事を放下して道に向かふ時、さはりなく、所作なくて、心身長くしづかなり。




所願をなした後、余命あって仏道に進もうと思い立てば、所願は尽きないでしょう。如幻([幻のようにはかないこと。無常のたとえ])の世の中で、何をなそうとしてのことか。すべて所願は皆妄想に過ぎないのに。所願を思い立ったならば、妄心迷乱([誤れる心])のせいと思い、何もしないことです。たちまち万事を放下([一切を放り投げて無我の境地に入ること])して仏道に向かえば、障り([妨げ])なく、所作([身・口・意の三業さんごふ=ここでは悪業。が発動すること。能作に対していう])もなく、心身は長く穏やかでいられることでしょう。


続く


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by santalab | 2015-07-31 00:15 | 徒然草 | Comments(0)


「徒然草」第二百四十一段(その1)

望月のまどかなる事は、暫くもじようせず、やがて欠けぬ。心留めぬ人は、一夜のうちに、さまで変はる様も見えぬにやあらん。病ひの重るも、住する隙なくして、死期すでに近し。されども、いまだ病ひ急ならず、死に赴かざるほどは、常住平生の念に習ひて、生のうちに多くの事を成じて後、しづかに道を修せむと思ふほどに、病ひを受けて死門に臨む時、所願一事も成ぜず。言ふ甲斐かひなくて、年月の懈怠けだいを悔いて、この度もし立ち直りて命を全くせば、夜を日に継ぎて、この事かの事、怠らず成じてんと、願ひを起こすらめど、やがて、重りぬれば、我にもあらず、取り乱して果てぬ。この類のみこそあらめ。この事先づ人々急ぎ心に置くべし。




望月([満月])は真ん丸ですが、しばらくも止まらず、すぐに欠けてしまうものです。気にも留めぬ人は、一夜のうちに、月が姿を変えることを見てはいないのでしょう。病いを重らせれば、同じく止まる隙もなく、死期はすでに近いのです。けれども、まだ病いに冒されず、死に赴くことのないほどは、常住平生([常日頃])念仏を唱えながら、命あるうちに多くの事をなして後、心静かに仏道を修行しようと思いますが、病いを受けて死門に臨む時になり、所願の一つも成就していないことに気付くのです。言い訳もできず、ひたすら年月の懈怠([善を修し、悪を断ずることにおいて怠る心])を悔いて、もしこの病いが平癒して命をまっとうできるのならば、夜を日に継いでも、この事あの事を、怠らず成就しようと、願いを起こしますが、やがて、病い重らせて、我を忘れて、取り乱し果てるばかりです。この世はこういう輩ばかりです。このことをまず急ぎ覚えておかれますよう。


続く


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by santalab | 2015-07-31 00:13 | 徒然草 | Comments(0)


「徒然草」第二百四十二段

とこしなへに、違順に遣はるる事は、偏へに苦楽の為なり。楽と言ふは好み愛する事なり。これを求むる事止む時なし。楽欲ごうよくするところ、一つには名なり。名に二種あり。行跡と才芸とのほまれなり。二つには色欲、三つにはあぢはひなり。よろづの願ひ、この三つには如かず。これ顛倒の相より起こりて、若干そこばくの煩ひあり。求めざらむには如かじ。




永遠不滅のことに、違順([逆境と順境。不満足と満足])に執着するのは、つまるところ苦楽のためなのです。楽というのは興味を持ち愛着するということです。楽を求めることを止むことはありません。楽欲([欲望])が生じるのは、一つは名誉のためです。名誉には二つあります。行跡([功績])と才芸の名声です。二つ目は色欲、三つ目は食欲です。願いの中で、これらに勝るものはありません。これらは顛倒の相([四顛倒]=[真の仏の智慧からみれば誤っている四つの考え。無常を常、苦を楽、無我を我、不浄を浄と思う凡夫の間違った考え])より起こり、少なからず悩みを伴います。欲を求めないに越したことはありません。


続く


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by santalab | 2015-07-30 18:27 | 徒然草 | Comments(0)


「徒然草」第二百四十三段

八つになりし年、父に問ひて云はく、「仏はいかなるものにか候ふらん」と言ふ。父が云はく、「仏には人のなりたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏にはなり候ふやらん」と。父また、「仏のをしへによりてなるなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、さきの仏の教へによりてなり給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける第一の仏は、いかなる仏にか候ひける」と言ふ時、父、「空よりや降りけん、土よりや湧きけん」と言ひて、笑ふ。


「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と諸人に語りて興じき。




わたしが八つの年、父に訊ねました、「仏とはどういうものですか」と。父が申すには、「仏とは人がなるものぞ」と。また訊ねました、「人はどうして仏になるのですか」と。父はまた、「仏の教えによってなるのだ」と答えました。またわたしは訊ねました、「その教えを授ける仏は、何が教えたのですか」と。また答えました、「仏もまた、前の仏の教えによって仏になったのだ」と。また訊ねました、「その教えの始めた第一の仏は、どのようにして仏になったのですか」と訊ねると、父は、「空より降ったのだろうか、それとも土の中から現れたか」と申して、笑いました。


後に父は「問い詰められて、答えることができなかった」と諸人に話して面白がったそうです。


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by santalab | 2015-07-30 09:19 | 徒然草 | Comments(0)


徒然草


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by santalab | 2015-07-30 08:54 | 徒然草 | Comments(0)


「徒然草」序段

つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心に移り行く由無し事を、そこはかとなく書き付くれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。




暇をもてあまして、日を暮らすのもどうかと、何とはなしに硯に向かい、心に浮かぶままに由無し事([とりとめもないこと])を、あれやこれやと書き付ければ、不思議なことに筆が止まらなくなりました。


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by santalab | 2015-07-30 08:52 | 徒然草 | Comments(0)


「曽我物語」館回りの事(その4)

面々の父河津かはづ殿、奥野の狩場かへりに討たれ給ひぬ。猟師れうしおほき山なれば、越しの矢にや当たり給ひけん。または、伊豆いづ・駿河の人々、多く打ち寄り、相撲すまふ取りて、遊び給ひけるに、俣野またの五郎ごらうと勝負を争ひ、当座たうざにて喧嘩けんくわに及びしを、御れうの御成敗に依りしづまりぬ。然様さやうの宿意にてもや、討たれ給ひけんを、在京ざいきやうしたる祐経すけつねに掛けて、まうされけるなれども、さらに知らず。あまつさへ、祐経が郎等らうどうども、数多あまた失ひぬ。その時分、やがて対決を遂げたりせば、逃るべかりしを、幾程なくして、たう御代と成りて、面々親しき人々、皆御かたきとて損し給ひぬ。ただ祐経すけつね一人に成りて、つひにこの事散談せずして止みぬ。然れば、ただ祐経がしたるに成りて、年月を経るさうらふ。これ、不祥ふしやうと言ふも余りあり。よく聞き給へ、十郎じふらう殿」。




面々の父河津殿(河津祐泰すけやす)は、奥野の狩場の帰りに討たれた。猟師の多い山なれば、峰越しの矢に当たったのであろうか。または、伊豆・駿河の人々、多く打ち寄り、相撲を取って、遊んでおったが、俣野五郎(俣野景久かげひさ)と勝負を争い、たちまち喧嘩に及ぶところ、御寮(源頼朝)のご成敗によりその場は鎮まった。この宿意([恨み])にて、討たれたのやも、時に在京しておったこの祐経を疑って、わしが討ったなどと申しておるのだろうが、まったく知らぬこと。その上、この祐経は郎等([家来])を、数多く失った。その時分、やがて対決しておれば、逃るほかなかったが、ほどなくして、今の時代になり、面々に親しかった人々は、皆君(頼朝)の敵となって滅んだ。一門はただ祐経一人になって、遂に悩みも消えた。こうして、この祐経が討ったのだと言われて、年月を経ることになったのだ。これ、不祥([不運])と申すにあまりあることよ。よくよく聞かれよ、十郎殿(曽我祐成すけなり)」。


続く


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by santalab | 2015-07-30 07:32 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」小二郎語らひ得ざる事(その10)

十郎じふらう、流るる涙を直垂ひたたれの袖にて押し止め、つしんでぞたりける。ややありて、母のたまひけるは、「この事を小二郎こじらうおほきに驚き、制させんとて、聞かせたるぞ。ればとて、小二郎恨み給ふな。人に知らすなとて、みづからが口を固めつるぞ。『それほどの大事を左右さうなく語りまうすは、この殿ばらかへり聞きては、悪し様に思ひさうらはんずれども、人々の祖父おほぢこそあらめ、さのみ末々すゑずゑまで絶えせん事、不便ふびんなりと思し召され、君より御たづねありて、先祖の所領しよりやうを安堵するか、しからずは、別の御恩をかうぶり候はば、各々までも、面目にて候ふべし』とまうして立ちつる。それも、殿ばらを思ひてこそ、言ひつらめ。努々ゆめゆめいきどほり給ふべからず。理を曲げて、思ひ止まり給へ」とのたまひければ、




十郎(曽我祐成すけなり)は、流れる涙を直垂の袖で押し止め、神妙な面持ちでした。しばらくして、母が申すには、「このことを聞いて小二郎はたいそう驚き、止めさせようと、わたしに聞かせたのですよ。だからといって、小二郎を恨んではなりません。人に知らせるなと、小二郎自から口止めしたのです。『それほどの大事を話したことを、この殿ばらが返り聞けば、悪く思われることでしょうが、人々の祖父(伊東祐親すけちか)はさておき、末々まで絶えてしまうことが、残念だと思われて、君(源頼朝)よりお尋ねあり、先祖の所領を安堵([主君が家臣に対して所領知行や所職の存在 ・継続・移転などを保証・承認する行為])するか、もしくは、別のご恩を蒙れば、我々までも、面目が立つというものです』と申して帰ったのです。それも、殿たちを思って、申したことです。決して腹を立ててはなりません。ここは理を曲げて、思い止まりなさい」と申しました、


続く


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by santalab | 2015-07-30 07:26 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」館回りの事(その3)

嫡子犬房いぬばうに酌取らせ、酒盛りしける折節をりふしなり。幾程の栄華えいぐわなるべき、今宵こよひの夜半に引き替へん事の無慙さよと思ひながら、座敷にぞなほりける。
祐経すけつね敷皮しきがはを去りて、「これへ」と言ふ。十郎じふらう、「かくてさうらはん」とて、押し退けたり。祐経が初対面の言葉ぞこはかりける。「まことや、殿ばらは、祐経をかたきとのたまふなる。努々ゆめゆめ用ひ給ふべからず。人の讒言なりと思えたり。差し当たる道理だうりに任せて、人のまうすもことわりなり。伊東は、嫡々なるあひだ、祐経こそ持つべき所を、面々祖父おほぢ伊東殿横領わうりやうし、一所をも分けられざりしかば、一旦は恨むべかりしを、第一養父やうぶなり、第二に叔父をぢなり、第三に烏帽子親なり、第四にしうとなり、第五に一族の中の老者おとななり、一方ひとかたならざるに依りて、こらへて過ぎしに、これはただ、『高きに臨み上らざれ、賎しきをそしり笑はざれ』と言ふ本文ほんもんを捨てて、我らを員外いんぐわいに思ひ給ふゆゑなり。




嫡子犬房に酌をさせ、酒盛りの最中でした。いかほどの栄華であろうか、今宵の夜半には引き替えることになる憐れさよと思いながら、座敷に着きました。祐経(工藤祐経)は、敷皮([毛皮の敷物])を退けて、「これへ」と勧めました。十郎(曽我祐成すけなり)は、「このままで結構です」と申して、押し退けました。祐経の初対面の言葉は無遠慮でした。「まことか、殿たちは、この祐経を敵と申していると聞く。わしはまったく信じておらぬが。人の讒言と思うておる。差し当たる道理を思えば、人が申すのも当然のこと。伊東(伊東庄。現静岡県伊東市)は、嫡々相伝の所、この祐経が所有すべき所を、面々の祖父伊東殿(伊東祐親すけちか)が横領し、一所をも分けられることなく、一旦は恨みに思うたが、第一養父であり、第二に叔父であり、第三に烏帽子親であり、第四に舅(祐経の妻は、伊東祐親の娘、万劫御前)であり、第五に一族の中の老者であり、どれもおろそかにはできぬこと、堪えて来たのだ、これはつまり、『高山に臨んで上ること叶わなくとも、賎しきを誹り笑われぬよう』と言う本文を捨てて、我らを員外([定められた数に入らないこと])に思っておったからであろう。


続く


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by santalab | 2015-07-29 23:18 | 曽我物語 | Comments(0)

    

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