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「曽我物語」曽我にて虎が名残り惜しみし事(その3)

十郎じふらうは、をんなの膝に伏しながら、虎がかほをつくづく見て、祐成を睦ましと見んも、これぞ限りなるべきと思へば、流るる涙を見て、「例ならぬ御涙、心許なさよ。何なるらん」と問ひければ、「今に始めぬ事とは言ひながら、憂き世の中の定めなさよ。このほどの万あぢきなく、何事も心細く思ゆれば、あだに契り、同じ世の、名の立つほども、如何にやと思へば、心に涙のこぼるるぞ。にや、頼まぬ身の習ひ、かこつ命も、露の間も、まはしくこそ思はるれ」。「実にも、さ様に思ひ給はば、この度の御狩みかり、思し召し止まり給へかし。君に知らるる宮仕ひの隙なきわざにもさうらはず。止まり給へ」と言ひければ、




十郎(曽我祐成すけなり)は、女(虎御前)の膝に伏して、虎御前の顔をつくづく見て、この祐成を睦ましく見るのも、これが限りとなるであろうと思えば、思わず涙がこぼれました、虎御前は「どうかなさいましたか、心配です、どうして泣いておられるのです」と訊ねると、十郎(祐成)は「今さらながら、憂き世というのは思うに任せぬもの。この頃は万事つまらなく、何事も不安に思えるのだ、甲斐もなく契り、同じこの世で、名に立つほどにも、どういうことかと思えば、つい涙がこぼれたのだ。まこと、頼りにもならぬこの身ならば、無駄な命に思えて、露の間でさえ、厭になるというものよ」。「まこと、そのように思われておられるのなら、この度の御狩、思い止まられてはいかがでしょう。君(源頼朝)のお目に留まるほどの宮仕えにもなりません。どうか思い止まられますよう」と申しました、


続く


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by santalab | 2015-08-31 10:21 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」三浦の与一を頼みし事(その12)

義直よしなほ、つくづく聞きて、悪しかりなんとや思ひけん、「これも、一旦の事にてこそさうらへこのうへは、とかくの子細に及ばず」とて、駒の手綱たづなを引きかへす。その後は、四方よも山の物語して、三浦へ打ち連れてかへりけり。この事、年来、仏神ぶつじんに祈りまうせし感応にや。しからずは、如何でか、この事逃るべき。不思議なりし振る舞ひなり。れば、ただ人は信を宗とし、神明をもつぱらにすべきをや。今に始めぬ事なれども、あり難かりし恵みなり。




義直(和田義直。和田義盛よしもりの子)は、話を始終聞いて、分が悪いと思ったのか、「わたしが、軽率でございました。聞いたことは、誰にも申しません」と申して、馬の手綱を引き返しました。その後は、四方山話をしながら、義盛と三浦(現神奈川県三浦市)へ打ち連れて帰りました。これは、年来、仏神に祈り申した感応([信心が神仏に通じること])ではなかったか。でなければ、どうして、逃れることができたでしょう。不思議な出来事でした。ですから、ただ人は信心をもっとも大切にし、神明を崇めるべきなのです。今に始めぬ事でしたが、ありがたい恩恵でした。


続く


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by santalab | 2015-08-30 14:05 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」三浦の与一を頼みし事(その11)

義盛よしもりが若盛りならば、その座敷にても討つべきぞ。よくよくまうし上げて、失ひ給へ。君も、一旦は、然りと思し召すとも、親しき者の事、悪し様にまうさんを、神妙しんべうなりとて、頼もしくは思し召さじ。そのうへ、彼らを失ひ給ふとも、親類おほければ、御身如何でか安穏あんをんなるべき。孔子の言葉にも、『善人に交はれば、蘭麝らんじやの窓に入るが如し、そのかほばせ残り、悪人に交はれば、かきよのいちぐらに入るが如し、臭き事の残れる』と見えたり。御身におきては、同じ道をも行くべからず。心をかへして見給ふべし。朝恩てうおんに誇るかたきを目のまへに置きて、見るもめざましくてこそ、言ひつめら。この事、訴訟まうして、いかほどの勲功にかあづかるべき。武蔵・相模には、この殿ばらの一門ならぬ者やさうらふ。かく申す義盛も、結ぼるるは、知り給はずや。昔の御代とだに思はば、などや矢一つとぶらはざるべき。たう御代なればこそ、恐れをなし、敵をば、すぐにおきたれ。彼らが心中を推し量られて、あはれなり」とて、双眼さうがんに涙を浮かめければ、




この義盛(和田義盛)が若盛りならば、その座敷であろうと討ったであろうよ。そなたが決めたことだよくよく申し上げて、彼ら(曽我祐成すけなり時致ときむね)を失うもよかろう。だが君(源頼朝)も、一旦は、そなたの話を聞くであろうが、親しい者のことを、悪く申す者を、殊勝なことだと、頼もしくは思わぬのではないか。その上、彼らを失ったところで、親類は多く、そなたの身がどうして安穏でいられよう、孔子の言葉にも、『善人に交われば、蘭麝([蘭の花と麝香 の香り。また、よい香り])の窓に入るが如し、その香りが残り、悪人に交われば、かきよ(鮑魚=塩漬けにした魚)の肆([奈良・平安時代、市で取引のために商品を並べた所])に入るが如し、臭いが残る』と見える。御身においては、同じ道を行くべからず。考えてもみよ。そのようなことは朝恩に誇る敵を目の前にして、見る者が驚くばかりのところで、申すべきもの。今これを、訴訟申したところで、いかほどの勲功にあずかることがあろう。武蔵・相模には、この殿たちの一門でない者があるや。こう申す義盛も、縁あると、知っておるであろう。昔の時代であれば、どうして敵に矢の一つも射掛けぬことがあろうや。当代なればこそ、君に恐れをなして、敵を、討てずにおるのだぞ。彼らの心中を思い遣ると、哀れでならぬ」と申して、双眼に涙を浮かべました、


続く


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by santalab | 2015-08-29 10:23 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」三浦の与一を頼みし事(その10)

ややありて、「や、殿、与一殿、弓矢を取るも、取らざるも、をとこと首を刻まるるほどの者が、いざや、死にに行かんと打ち頼まんに、辞退するほどのやからをば、人とは言はで、犬野干やかんとこそまうせ。就中なかんづく、弓矢のほふには、命をば塵芥ちんがいよりもかろくして、名をば千鈞せんきんよりも重くせよとこそ言ふに、さぶらひの命は、今日けふあれば、明日までも頼むべきか。聞くべしとてこそ、かほどの大事を言ひ聞かせつらめ。しかも、親しき仲ぞかし。当たる道理だうりを言ひ聞かせて言はば、領状りやうじやうして、叶はじと思はば、後に辞退するまでぞ。左右さうなく鼻を突き、剰へ、上へまうさんとな。それほどの大事、心に懸くるうへは、穏便の者にてこそ、当座たうざも、和殿が命をば助け置け。上様へ申し上ぐると聞きては、一遣りも遣らじ。命しくは、止まり給へ。命ありてこそ、きやうへも、鎌倉へも申し給はめ。




ややあって、「落ち着け、殿、与一殿、弓矢を取るも、取らぬも、男として首を刻まれるほどの者が、いざや、死にに行こうと頼むのだ、辞退するほどの族を、人とは言わず、犬野干([狐])とでも申すもの。まして、弓矢の掟には、命を塵芥([ごみ])よりも軽くして、名を千鈞(一鈞=6800g、千鈞=6.8t)よりも重くせよと申す、侍の命は、今日あればとて、明日までも頼むべきものでない。話を聞くと思い、これほどの大事を聞かせたのだろう。しかも、親しい仲ではないか。ぞかし。道理を言い聞かせたならば、領状([承知すること])したであろうし、そうでない時は、後に辞退すればよいことよ。有無も言わせず拒み、その上、上へ申すというか。それほどの大事を、思い定めておるのじゃ、穏便に済まそうと思い、その場も、そなたの命を助けたのであろう。上様へ申し上げると聞いては、一歩なりとも遣らせまい。命が惜しくば、止まられよ。命あってこそ、京へも、鎌倉へも申すことができるのだぞ。


続く


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by santalab | 2015-08-28 07:51 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」三浦の与一を頼みし事(その9)

ここに、和田の義盛よしもりは、鎌倉よりかへりけるに、手越てこし川にて行き合ひたり。与一を見れば、かほの気色変はり、駒の足並み速かりければ、義盛、暫く駒を控へ、「何処いづくへぞ」と言ふ。与一、物をも言はで、駒を早めけるが、ややありて、「鎌倉ヘ」とばかり答ふ。「さても、鎌倉には、何事の起こり、三浦には、如何なる大事の出で来さうらへば、それほどにあわて給ふぞや。いづ方の事なりとも、義盛、離るべからず。御分また、隠すべからず」とて、与一が馬の手綱を取り、隙なく問ひければ、与一まうでう、「べちの子細にては候はず。曽我の者どもが来たり候ひて、親のかたき討たんとて、義直よしなほを頼み候ふあひだ、『適ふまじき』と申して候へば、五朗ごらうと申すをこの者が、散々に悪口あつかう仕り候ふ。当座たうざに、如何にも成るべかりしを、彼らは二人、それがしはただ一人候ひし間、敵はで、斯様かやうの子細、うへまうし入れて、彼らを失はん為、鎌倉へ急ぎ候ふ」と言ひければ、和田、これを聞き、暫く物をも言はず。




ここに、和田義盛は、鎌倉より帰るところでしたが、手越川(田越川。現神奈川県逗子市)で行き合いました。与一を見れば、顔色変わり、駒の足並み速く、義盛は、しばらく馬を控え、「どこへ行くのだ」と訊ねました。与一は、物も言ず、なおも駒を早めましたが、しばらくして、「鎌倉ヘ」とばかり答えました。「さて、鎌倉で、何事か起こったか、三浦には、どれほどの大事が起こり、それほどあわてておるのだ。いずれにせよ、この義盛が、供をするぞ。お主もまた、隠さず話せ」と申して、与一の馬の手綱を取り、隙なく訊ねました、与一が申すには、「大したことではありません。曽我の者どもが訪ねて来て、親の敵を討つために、この義直を頼ってきたのです、『無理な話よ』と申せば、五朗(曽我時致ときむね)と申す愚か者が、散々に悪口しました。その場で、いかにもと思いましたが、彼らは二人、わたしはただ一人でございましたので、敵わず、この子細を、上へ申し入れて、彼らを失うために、鎌倉へ急いでおるのです」と言うと、和田(義盛)は、これを聞いて、しばらく何も言いませんでした。


続く


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by santalab | 2015-08-27 08:48 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」三浦の与一を頼みし事(その8)

与一は、五朗ごらう悪口あつこうせられて、如何にもならばやと思ひしが、我は一人、彼らは二人なり、そのうへ、五朗は、聞こゆる大力だいぢからなり、小腕こがひな取られて、敵ふべからず、所詮、この事、鎌倉殿にまうし上げて、彼らを滅ぼさん事、力も要らでと思ひしづまりぬ。さて、彼ら、遙かに行きつらんと思ふ時、急ぎ馬に鞍置かせ打ち乗り、鎌倉へこそまゐりけれ。この事、兄弟きやうだいは、夢にも知らでぞたりける。




与一は、五朗(曽我時致ときむね)に馬鹿にされて、なんとか仕返したいと思いましたが、我は一人、彼らは二人である、その上、五朗(時致)は、噂に聞く大力である、小腕([腕の肘から先])を取られては、とても敵うまい、ならば、この事を、鎌倉殿(源頼朝)に申し上げて、彼らを滅ぼせばよい、力も要らぬと思いました。さて、彼らが、遙かに去ったと思う頃、急ぎ馬に鞍を置き打ち乗り、鎌倉へ参りました。このことを、兄弟(曽我祐成すけなり・時致)は、夢にも知りませんでした。


続く


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by santalab | 2015-08-26 08:48 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」三浦の与一を頼みし事(その7)

十郎聞きて、「いとほしの人や。試みんとて言ひつるを、まことしがほに制するぞや。今時、我らが身にては、思ひも寄らず。むま持たざれば、狩場も見たからず。努々ゆめゆめ披露あるべからず」と、口を固め、立たむとす。五朗ごらうは、堪らぬをのこにて、「殊に始めの言葉には似ず。思へば、恐ろしさに、辞退し給ふか。史記の言葉をば聞き給はずや。じやは、わだかまれども、生気しやうげの方に向き、さぎは、太歳たいさいの方を背きて巣を開き、燕は、戊己つちのへつちのとに巣を食ひ始め、比目魚かれいは、みなとに向かひ方たがひす。鹿は、玉所に向かひて伏しさうらふなる。斯様かやうけだものだにも、分に従ふ心はあるぞとよ。面ばかりは人に似て、たましひ畜生ちくしやうにてあるものかな」と言ひ捨てて、立ちにけり。




十郎(曽我祐成すけなり)はこれを聞いて、情けある人よ。心を試そうと思って申したが、真顔で我らを止めようとするとは。今時、我らの身で、思いも寄らぬこと。馬も持っておらぬ、狩場も見たいとは思わない。決して口外するではないぞ」と、口を固め、立とうとしました。五朗(曽我時致ときむね)は、逸りの男でしたので、「始めに申した言葉とはまったく違うではないか。もしや、恐ろしくて、辞退するか。史記の言葉を聞いておるや。蛇は、とぐろを巻いていても、生気([陰陽道でいう吉の方角])の方を向き、鷺は、太歳([陰陽道の八将神の一。木星の精。その年の干支と同じ方位にあり、その方角を吉方とする])の方を避けて巣を開き、燕は、戊己([五方の中])に巣を作り、比目魚は、湊に向く。鹿は、玉所(玉女=天女?)に向かって伏すと言うぞ。このような獣でさえも、分に従う(身分相応)の心を持っているものを。顔ばかりは人に似て、魂は畜生のようなものだな」と言い捨てて、座を立ちました。


続く


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by santalab | 2015-08-25 09:20 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」三浦の与一を頼みし事(その6)

与一、暫く案じて、「この事こそ、ふつつと叶ふまじけれ。思ひ止まり給へ。当世たうせいは、昔にも似ず、然様さやうの悪事する者は、片時へんしも立ち忍ぶ事なし。れば、親のかたき、子の敵、宿世の敵とまうせども、討ち取る事なし。ましてや言はん、御供仕りたる者を、狩場にても、旅宿にても、誤りては、一間ども落つべきものか。今度は思ひまりて、私歩わたくしありきを狙ひ給へ。そのうへ祐経すねつけは、君の御切り者にて、先祖の伊東を安堵するのみならず、荘園しやうゑん知行ちぎやうする事、数を知らず。かたきありと存じ、用心厳しかるべし。なまじひなる事仕り出だし、面々のみならず、母や曽我の太郎、惑ひ者になし給ふな。曲げて思ひ止まり、如何にもして、御不審許され奉り、奉公を致し、先祖の伊東に安堵し給へ。面々の有様にて、たう御代に、敵討沙汰かたきうちざた、止め給へ」と、おほきに驚きまうしければ、




与一は、しばらく思案して、「このこと、よもや叶いますまい。思ひ止まられよ。当の世は、昔と違い、そのような悪事をする者が、片時も世に忍ぶことはできません。ならば、親の敵、子の敵、宿世の敵と申せども、討ち取ることはありません。ましてや、君(源頼朝)のお供をする者です、狩場でも、旅宿でも、誤りを犯しては、一間さえ落ちることは叶わぬ。今度は思い止まって、私歩きを狙うがよろしいでしょう。その上、祐経(工藤祐経)は、君の切り者([切り人]=[主君の寵愛を受けて権勢を振るう人])で、先祖の伊東を安堵([土地の所有権・領有権・知行権などを幕府・領主が公認すること])するのみならず、荘園を知行すること、数を知りません。敵ありと存じ、厳しく用心しているはず。軽率に事を起こし、そなたたちのみならず、母や曽我太郎(曽我祐信すけのぶ)を、惑い者([浮浪人])になされるな。曲げて思い止まり、なんとしても、ご不審を許されて、奉公を致し、先祖の伊東を安堵されるよう。面々の有様で、今の時代に、敵討沙汰は叶いません、お止めなさい」と、たいそう驚いて申しました、


続く


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by santalab | 2015-08-24 07:29 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」三浦の与一を頼みし事(その5)

さかづき二三返過ぎければ、十郎じふらう、近く寄り、「これへ参ずる事、別の子細にはあらず、大事をまうし合はせん為なり」と言ふ。与一聞き、「何事なるらん。たとひ如何なる大事なりとも、打ち頼みおほせられんに、如何でか背き奉るべき。ありのままに」と言ひければ、十郎、小声こごゑに成りて、「予ねても聞こし召さるらん。我らが身に、思ひありとは、見る人知りてさうらふ。然るに、かたきは、大勢おほぜいにて候ふに、貧なるわらは二人して、狙へども叶はず。御分頼まれ給へ。我ら三人、寄り合ふものならば、如何で本意を遂げざるべき。親の敵を近く置きて思ふが、詮方なさに、申し合はせんとて、まゐりたり。頼まれ給へ」と言ひければ、




盃が二三返廻されると、十郎(曽我祐成すけなり)は、三浦与一に近く寄り、「ここに参ったのは、他でもなく、大事の話を申し合わせるためよ」と申しました。与一はこれを聞き、「何事でしょう。たとえどのような大事であろうと、頼まれた以上、どうして背くことがありましょう。ありのまま話してください」と申したので、十郎(祐成)は、小声になって、「かねて聞いておられるかも知れぬ。我らに、願いがあることを、我らを知る人は分かっておろう。けれども、敵(工藤祐経すけつね)は、大勢なれば、貧なる我ら二人しては、狙えども叶わぬこと。お主を味方にしたいのだ。我ら三人が、寄り合えば、きっと本意を遂げることができよう。親(河津祐泰すけやす)の敵が近くにありながら、手を出すこともできずに、申し合わせようと、参ったのだ。仲間になってもらいたい」と申しました、


続く


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by santalab | 2015-08-23 21:29 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」三浦の与一を頼みし事(その4)

既に、鎌倉殿、御出でましましければ、この人々は、三浦の伯母の許へぞ行きける。ここに、三浦の与一と言ふ者あり。平六兵衛へいろくびやうゑが一腹の兄なり。父は、伊東工藤四郎しらうなり。与一が母は、伯母をばなり。いづ方も親しかりければ、睦びけるもことわりなり。十郎じふらうおととに言ひけるは、「かの与一、頼みて見ん。さりとも、いなとは言はじ」。五朗ごらう聞き、「小二郎こじらうにも、御懲りさうらはで」とは言ひながら、もしやと思ひけれども、与一が許に行き、この程、久しく対面せざる由言ひしかば、「めづらし」とて、酒取り出だし勧めけり。




すでに、鎌倉殿(源頼朝)は、富士野に向かいました、この人々(曽我祐成すけなり時致ときむね)は、三浦の伯母の許へ行きました。ここに、三浦与一と言う者がいました。平六兵衛(三浦義村よしむら)の一腹([同じ母親から生まれた子])の兄(弟?)でした。父は、伊東工藤四郎(工藤茂光いへみつ?)でした(三浦義村の父は三浦義澄よしずみだが)。与一の母は、伯母でした。どちらにも親しければ、仲がよいのは当然のことでした。十郎(曽我祐成すけなり)が、弟(曽我時致ときむね)に申すには、「与一を、仲間にしようではないか。きっと、断わることはあるまい」。五朗(時致)はこれを聞き、「小二郎(祐成・時致の弟)にも、断られたではないですか」とは言いながら、もしやと思って、与一の許を訪ね、近頃、久しく会っていなかったと申せば、「珍しいことよ」と申して、酒を取り出し勧めました。


続く


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by santalab | 2015-08-22 19:07 | 曽我物語 | Comments(0)

    

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