Santa Lab's Blog


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「曽我物語」富士野の狩場への事(その12)

ゆゑありて聞こえたる。波にも連れて行かばこそ。斯かるいせきも、主なるべき」。「堰も、止め果てばこそ。流れて留まる水門みなとこそ、誠の主とは思えたれ」。源太げんだ、この言葉を打ち捨てて、「更け行く月のかたぶくをも、眺らむる者こそ主となれ」。重保しげやす聞きて、高らかに打ち笑ひ、「世界を照らす日月を、主とのたまふ、過分くわぶんなり」。「過分は、人によるものを、御分一人に帰すかと」。




「なるほどと思わせるものがあります。波に連れられてとは。ならば同じ堰のこのわたしも、主ではありませんか」。「同じ堰でも、流れを止めて主となるものよ。流れを止めたこの水門こそ、まことの主であるべき」。源太(梶原景季かげすゑ)は、この言葉に答えず、「更け行く月(源頼朝)が上るのを、ただ眺める者こそ主となりましょう」。重保(畠山重保)はこれを聞いて、大声上げて笑いながら、「世界を照らす日月に、近侍するそなたこそ主と申すか、大口を叩くものよ」。「大口かどうかは、人によるもの、そなた一人がそう思っているだけでは」。


続く


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by santalab | 2015-09-30 09:00 | 曽我物語 | Comments(0)


「狭衣物語」巻一(その12)

いとかく、遣る方なき御心のうちを、よに忍び過ぐし給へければ、晴れ晴れしからぬ御気色を、「ただ、人の御癖にこそは」と、飽かぬことに、たれも思い染み奉り給へど、「忍ぶ捩摺もぢずり」なんめり。太政大臣おほきおとどの御方こそ、いかにもいかにも、かやうの人のおはせねば、いとつれづれに思さるるままに、「さるべからん人の娘もがな。あづかりてかしづき立てんは」とさへ、明け暮れ、うらやませ給ふ。源氏の宮の御かたち、「かく世に勝れ給へり」と、名高く聞こし召して、春宮には、いみじう、ゆかしがり聞こえさせ給へれば、「げにさこそはつゐの事 ならめ」と、誰も思したり。内のうへも、昔の御遺言思し忘れず、あはれに思されて、今までよそよそにて、見奉らせ給はぬ、いとおぼつかなく本意ほいなう思し召されて、さすがについでなくては、御対面もなきを、「同じくは、おぼつかなからず、見奉らんな」と、内裏住うちずみさせ奉らまほしげにのみのたまはすれば、「いかにも、今少し、御盛りのほどをこそ誰にも見せ奉らめ」と、思しのたまはせつつ、おぼろげならで、いと思しをきてたる御有様なんめり。




こうして、やるせない心の内を、忍んで日々を過ごしていましたが、悲しみに沈む姿を、「これも、性格なのだろう」と、常々、誰かれも思っていました、狭衣にとっては「忍ぶ捩摺」(『みちのくの しのぶもぢずり たれ故に 乱れそめにし われならなくに』=『陸奥の信夫文知摺=もじれ乱れた模様のある 石に布をあてがい、その上から忍草などの葉や茎の色素を摺り付けたもの。のように乱れるのは、いったい誰のせい。わたしのせいではなくすべてあなたのせいです』。『古今和歌集』)の思いなのでした。太政大臣の方(堀川大臣の北の方の一)には、一人も、子がいませんでしたので、常々、「相応の人の娘がいないものか。預かり受けてかわいがってひとかどの娘にしたい」とさえ、明け暮れ思い、うらやましく思っていました。源氏の宮の姿かたちが、「世に優れている」との、噂を聞き付けて、春宮が、たいそう、気を惹かれておられると聞いて、「きっと春宮に参られるもの」と、誰しもが思っていました。内の上(今上天皇)もまた、故院【一条院】の遺言を忘れず、源氏の宮をかわいそうに思われておられました、今まで関わることなく、面倒を見ることもございませんでしたが、とても心配されて本心に適わぬものと思われておりました、さすがに機会もなく、対面することもありませんでしたが、「できれば、本意通り、世話をしたいものだ」と、申されて、内裏住み([入内])を望まれておりました、「どうか、近いうちに、入内させるように」と、帝は、並々ならず、申し置かれました。


続く


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by santalab | 2015-09-29 08:11 | 狭衣物語 | Comments(0)


「曽我物語」富士野の狩場への事(その11)

源太げんだ、手綱掻い繰り、駒打ち寄せ、小声こごゑに成りて言ふやう、「恋路こひぢに迷ふ隠し文、遣る者こそ主さうらふよ」。重保しげやす聞きて、「やさしくのたまふ例へかな。思ひの色の数、読まで空しくかへすには、返し得たるぞ、主と成る」。源太打ち笑ひ、「吉野・立田の花紅葉もみぢ、誘ふ嵐は主ならずや」。重保聞きて、「言はれずや、誘ふ嵐もそのままに、つひに連れて行かばこそとのたまふ。立田の川波かはなみに、散りて雲は花の雪、紅葉の錦渡りなば、中や絶えなん、さりながら、流れて止まる所こそ、誠の主と思はるれ」。




源太(梶原景季かげすゑ)は、手綱を取って、駒を打ち寄せ、小声で申すには、「恋路に迷う隠し文([第三者に知られないよう相手に渡す秘密の手紙])を、人知れず贈る者が夫になるのですよ」。重保(畠山重保)はこれを聞き、「うまい例えをするものよ。たとえ千度文を贈るとも、読まずに返されたのでは仕方ない、文を返す女が思う者こそ、夫になるものぞ」。源太(景季)は打ち笑い、「吉野(現奈良県吉野郡にある吉野山。桜の名所)・立田(現奈良県生駒郡斑鳩町流れる竜田川。紅葉名所)の花紅葉を、誘う嵐は主にはなれぬと」。重保はこれを聞いて、「聞こえぬや、誘う嵐も、連れて行こうと申しておるわ。だが誘われるまま竜田川の川波に、散ってしまえば雲や花の雪のように流れ行くばかりのこと、紅葉の錦も散ってしまえば、それまでのことよ、つまり、紅葉葉の流れを止めるものが、まことの主というものよ」。


続く


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by santalab | 2015-09-29 08:04 | 曽我物語 | Comments(0)


だから明日に向かって走れ

人と意見が合わなくて争ったり喧嘩した、そんな障害は己の行く道の阻害になると思ってきたけれど、それは自ら走るその足を止めているだけのことだと、この年になって何んとなくではあるけれど分かったようなきがします。


思い通りにならなくて、駄々をこねたり時には力ずくで。その度に後悔したり悩んだり。悩みは己を阻害する、そんな風に思ってならば、とにかく遠回りしても争わないようにと。


初めて知ったことかもしれぬ。「人を動かす」、とても無理なことばかり。でも、遠回りしても何も解決しない。もちろん、「突き飛ばし」ても解決しないのと同じ。でも、もう待つこともない。やさしく「押し続けて」。努力を絶やさず。いつかきっといつか「叶わぬまでも本心を分かってもらえるまで」。


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by santalab | 2015-09-29 00:23 | 独り言 | Comments(0)


「狭衣物語」巻一(その11)

十四五にならせ給ふ御かたちの、ほの見奉りけん人は、いかならん武士もののふなりとも、やはらぐ心は必ず付きぬべきを、中将の御心持ちはことわりぞかし。我も、幼うおはせし時は、片方かたえに、「かくのみ幼き者はめでたきもの」とのみ、思し習ひたるを、やうやう物の心知り習ひ給ふままに、「この御様ならん人を見ばや。さらんこそ生ける甲斐かひなかるべけれ」と、思し染みにければ、かくいとすさまじき御心ながらも、おのづから心憎きあたりあたりを、「いかにせんいかにせん」とのみ、物嘆かしくなり給ひて、かやうの「よそかの中宮のすけの隠れ蓑」も、うらやましうなり給ひて、人知れず、一渡りづつ案内し給はぬ渡りはなきにや、少しうちなずらひに思さるるもなきに、人知れぬ物思ひは、遣る方なく増さり給ひて、「『吉野の滝』とやつゐに」とのみ、立ちおほせらるるこそわりなかりけれ。




源氏の宮が十四五になられてその姿かたちを、わずかに見た人は、たとえ厳しい武士であろうと、心が和むほどでしたので、中将【狭衣】が恋しく思うのも道理でした。狭衣も幼い頃は、心の片隅で、「幼い女は美しいもの」とばかり、思っていましたが、物心付くようになるにつれ、「何としても源氏の宮のような女を妻にしなくては。そうでなければ男に生まれた甲斐がない」と、思うようになりました、心は穏やかではありませんでしたが、源氏の宮に想いを寄せて、「どうすればよいものか」と、悲しみました、かの「よそかの中宮亮の隠れ蓑」(『隠蓑』という物語らしいが)さえも、うらやましく思いながらも、人知れず、女を一目ずつ見歩きたいと、世の男たちのように思うことはなく、人知れず悲しみは、慰めようもなく増さり、「『吉野の滝』(『み吉野の 吉野の滝に 浮かびいづる 泡をかたまの 消ゆと見つらむ』=『吉野の滝に浮かんでは消えるはかない泡のように、珠=魂。も消えてしまうようだ』)」と、狭衣は折に付けつぶやいてやりきれない様子でした。


続く


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by santalab | 2015-09-28 23:30 | 狭衣物語 | Comments(0)


「狭衣物語」巻一(その10)

源氏の宮とまうすは、故先帝せんだいの御すゑの世に、中納言の御息所の御腹に、たぐひなく美しき女宮のまれ給へりしを、末にならせ給へるに、今さらのほだしを心苦しく思ししほどに、つにならせ給ひし年、院も、御息所も、うち続き隠れ給ひしかば、いと心苦しうて、この斎宮の、やがて迎へ取り聞こえさせ給ひて、中将の御同じ心に思ひかしづき給ふ。殿も、中宮の御事よりは、今少し心苦しう、やんごとなき事を添へて、思ひ奉り給へり。




源氏の宮と申すのは、故先帝の世の末頃、中納言の御息所([天皇の寝所に侍する宮女])の腹に、ためしのないほど美しい女宮が生まれました、先帝の世も末となりましたが、今さらに位を下りられる絆([人情にひかされて物事を行う妨げとなるもの])と心苦しく思われておられました、源氏の宮が三歳の時に、院【一条院】も、御息所も、続いてお隠れになられたので、気の毒に思われて、前斎宮が、やがて迎え取られて、中将【狭衣】と同じく我が子としてかわいがられました。殿【堀川大臣】も、中宮よりも、さらに気にかけて、大切にされて、養われました。


続く


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by santalab | 2015-09-28 21:32 | 狭衣物語 | Comments(0)


「曽我物語」富士野の狩場への事(その10)

景季かげすゑも、まさしく射つるものをとて見れば、にも矢目は一つならではなかりけり。さりながら、抑へて取らるるものならば、時の恥辱に思ひければ、源太げんだおほきに怒りをなし、「勢子せこの奴ばらはなきか。寄りてこの鹿しし取れ」。重保しげやすも、駒打ち寄せ、「雑人ざふにんはなきか。重保が留めたる鹿しし皮裁かはたて」。源太も、る者なりければ、少しもひるむ気色はなし。「臆したる奴ばらかな。景季が留めたる鹿の皮裁て、舁きて取れ」。重保、らぬていにて、駒駆けまはし、「雑色ざふしきどもは、など鹿をば取らぬぞ」と、早や事実なる詰論つめろんなり。




景季(梶原景季)も、確かに射抜いたと見れば、やはり矢目は一つではありませんでした。このまま、無理に取られたのでは、恥になると思い、源太(景季)は、大声を上げて、「勢子([狩猟の場で、鳥獣を追い出し たり、他へ逃げるのを防いだりする役目の者])の奴どもはおらぬか。早くこの鹿を取れ」。重保も、駒打ち寄せ、「雑人([下賤の者])はおらぬか。重保が仕留めた鹿の皮を剥げ」。源太(景季)も、勇ましい者でしたので、少しもひるむ様子はありませんでした。「何を怖じ気付いておるのだ。早くこの景季が仕留めた鹿の皮を剥げ、担いで運べ」。重保も、聞こえぬ体で、駒を駆け回し、「雑色どもは、何故鹿を取らぬか」と、言い争いが起こりました。


続く


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by santalab | 2015-09-28 08:39 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」富士野の狩場への事(その9)

その隙に、畠山の六郎ろくらう重保しげやす、馳せ並べて、よつぴいて放つ。源太げんだには、 したたかに射られぬ。鹿ししは、少しも働かず、二つの矢にてぞ止まりける。重保、馬打ち寄せ見るところに、源太が馬も駆け寄せて、「その鹿ししは、景季かげすゑが留めてさうらふぞ」。重保聞きて、「心得ぬ事をのたまふものかな。鹿は、重保が矢一つにて留めたる鹿を、誰人たれびとか主あるべき」。源太、弓取りなほし、あざ笑ひてまうやう、「狩場のほふ定まれり。一の矢、二の矢の次第あり。矢目は二つもあらばこそ、一二の論もあるべけれ」。




その隙に、畠山六郎重保は、鹿に馳せ並べ、矢を放ちました。源太(梶原景季かげすゑ)にも、射られていました。鹿は、少しも動かず、二本の矢で仕留められました。重保が、馬を打ち寄せ確認するところに、源太(景季)の馬も駆け寄せて、「その鹿は、この景季が仕留めたものです」。重保はこれを聞いて、「何を申しておるのか。この鹿は、重保が矢一つで仕留めたのだ、他に誰が主というのだ」。源太は、弓を取り直し、あざ笑い申すには、「狩場の決まりよ。一の矢、二の矢には優劣があるもの。矢目が二つあるか確かめようではないか、一二の論はこれからよ」。


続く


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by santalab | 2015-09-27 08:50 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」富士野の狩場への事(その8)

斯かるところに、うへの茂みより、鹿一かしら出で来たり、梶原かぢはら源太げんだ控へたる弓手ゆんでを取つてぞ下りける。景季かげすゑさいはひにやと喜びて、鹿矢ししやを打ち番ひ、よつ引いて放つ。落つ様、すぢ違ひに首を掛けずつつとぞ射抜きたる。されども、鹿は物ともせず、思ふ茂みに飛び下り、二の矢を取つて番ひ、鞭打ち下すところに、伏木にむまを乗り掛けて、足並み乱るるところに、下り立ちて馬引つ立つ。




そうこうするところに、上の茂みより、鹿が一頭出て来ました、梶原源太(梶原景季)は弓を構えて山を下りました。景季は、しめたとよろこんで、鹿矢([狩猟用の矢])を番い、弓を引いて矢を放ちました。鹿の背後から、筋違い([ある物に対して斜めの方向に位置すること])に首を掛け射抜きました。けれども、鹿は物ともせず、茂みに飛び下りました、景季は二の矢を取って番い、鞭を打ち追いましたが、伏木に馬を乗り上げて、足並みが乱れたので、下りて馬を引き立てました。


続く


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by santalab | 2015-09-26 08:37 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」富士野の狩場への事(その7)

上下万民、これを見て、ただ、「それそれを」とぞまうしける。今は、馬人諸共に、微塵みぢんに成るとぞ見えたりける。清重きよしげ、手綱をしづかに取り、とねりなしを結び置き、鏡の鞭を打ち添へて、二つ一つの捨て手綱はちて、後ろに下り立つたり。馬は、手綱を捨てられて、まなごと共に落ちて行く。主は、突きたる弓の本、岩角いはかどり立てて、しばしこらへて、立ちなほる。諸人、目をこそ澄ましけれ。「乗りたり、下りたり、据へたりや、堪へたり」と、しばし鳴りもしづまらず。君の、御感の余りにや、常陸ひたちの国小栗庄おぐりのしやう三千七百ちやう下されけり。時の面目、日の高名かうみやう、何事かこれに如かんと、感ぜぬ人こそなかりけれ。




上下万民は、これを見て、ただ、「落ちるぞ動くな」と申しました。今は、馬人もろともに、落ちて微塵になると思えました。清重(葛西清重)は、手綱を静かに持ち、とねりなし(?)を結び、鏡([鏡鞍]=[前輪と後輪に金、銀などの薄板を張った鞍]?)を鞭とともに叩くと、手綱を離し、後ろに下り立ちました。馬は、手綱を放たれて、まなご(真砂まさご)とともに落ちました。主(葛西清重)は、突いた弓の本を、岩角に突き立てて、しばしこらえて、下り立ちました。諸人は、釘付けになりました。「馬から落ちず、下りて、立ったぞ、よくぞ堪えたものよ」と、しばらく騒ぎは静まりませんでした。君(源頼朝)も、御感の余りに、常陸国小栗庄(現茨城県)三千七百町を与えました。時の面目、日の高名、これに敵うものはないと、感心しない者はありませんでした。


続く


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by santalab | 2015-09-25 09:16 | 曽我物語 | Comments(0)

    

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