Santa Lab's Blog


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「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その10)

ここにて遥かに見給へば、清地すがさとの奥、川上かはかみ八色やいろの雲あり。みこと怪しく思ひて行きて見給へば、老翁老婆おきなうば二人ににん美しき小女をとめを中に置きて、泣き悲しむ事切なり。尊かの泣く故を問ひ給へば、老翁答へて曰はく、「我をば脚摩乳あしなづち、老婆をば手摩乳てなづちまうすなり。この姫は老翁老婆がまうけたる孤り子なり。名をば稲田姫いなたひめと申すなり。この頃この所に八岐大蛇やまたのをろちとて、八つのかしらある大蛇をろち、山の尾七つ谷七つに這い渡りて候ふが、毎夜人を以つて食とし候ふ間、野人村老やじんそんらう皆食ひ尽くし、今日を限りの別れ路の遣る方もなき悲しさに、泣き臥すなり」とぞ語りける。尊あはれと思し召して、「この姫を我に得させば、この大蛇を退治たいぢして、姫が命を可助」とのたまふに、老翁悦びて、「子細候はじ」と申しければ、湯津爪櫛ゆづつまぐしを八つ作つて、姫がもとどりに差し、八塩折やしぼりの酒をさかぶねに湛へて、そのうへに棚を掻きて姫を置き奉り、その影を酒に移してぞ待ち給ひける。




そこから遥かに見渡せば、清地(素鵝)の郷の奥、簸(簸川。現島根県出雲市)の川上に八色の雲が見えました。素戔男尊は怪しく思い行ってみると、老翁老婆二人が美しい乙女を中にして、たいそう泣き悲しんでいました。素戔男尊がどうして泣いているのかと訊ねると、老翁は答えて、「わしは脚摩乳、老婆を手摩乳と申す者じゃ。この姫は老翁老婆のただ一人の子じゃ。名を稲田姫(奇稲田姫くしなだひめ)と申す。最近ここに八岐大蛇という、八つの頭がある大蛇で、山の尾七つ谷七つ分もあるが、毎夜人を食うので、野人([在野の人])村老([村の老人])は皆食い尽くされて、今日を限りの別れ路の遣る方もない悲しさに、泣き臥しておるのじゃよ」と語りました。素戔男尊は哀れに思い、「この姫を我にくれるというならば、大蛇を退治して、姫の命を助けてやろう」と申しました、老翁はよろこんで、「もちろんじゃ」と申したので、湯津爪櫛(爪型の櫛)を八つ作って、稲田姫の髪に差し、八塩折の酒(酒を用いて、更に酒を仕込むということを繰り返したもの)を酒槽に湛えて、その上に棚を置いて姫を置き、その影を酒に映して待ちました。


続く


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by santalab | 2017-01-31 19:30 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その9)

さて島根見尊しまねみのみこと一千いちちの神たちを語らひて、大和の国あまの香久山に庭火にはびを焚き、一面の鏡をさせ給ふ。この鏡は思ふやうにもなしとて被捨ぬ。今の紀州日前宮にちぜんぐうの神体なり。次に鋳給ひし鏡よかるべしとて、さかきの枝に著けて、一千の神たちを引き調子を調へて、神歌を歌ひ給ひければ、天照太神あまてらすおほんがみこれにで給ひて、岩根手力雄尊いはねたぢからをのみことに岩戸を少し開かせて、御顔を差し出ださせ給へば、世界忽ちに明らかに成つて、鏡に移りける御形永く消えざりけり。この鏡を名付けて八咫やたの鏡ともまたは内侍所ないしところともまうすなり。天照太神岩戸を出でさせ給ひて、八百万やほよろづの神たちを遣はし、宇多野うだのじやうに掘り立てたる千のつるぎを皆蹴破けやぶつて捨て給ふ。これよりして千剣破ちはやぶるとはまうし続くるなり。この時一千の悪神は、小蛇さばへと成つて失せぬ。素盞烏尊そさのをのみこと一人に成つて、かなたこなたに迷ひ行き給ふほどに、出雲いづもの国に行き給ひぬ。海上に浮かんで流るる島あり。この島は天照太神あまてらすおほんがみも知らせ給ふべき所ならずとて、みこと御手にて撫で留めて栖み給ふ。ゆゑにこの島をば手摩島たましまとは申すなり。




島根見尊は、一千の神たちを集めて、大和国天香久山(現奈良県橿原市)に庭火([神事の庭にたくかがり火])を焚き、一面の鏡を鋳ました。この鏡は思う通りではなかったので捨てました。今の紀州日前宮(現和歌山県和歌山市にある日前ひのくま神宮)の神体でございます。次に鋳た鏡は思う通りでしたので、榊の枝に付けて、一千の神たちを導き調子を調えて、神歌を歌いました、天照大神は興味をおぼえて、岩根手力雄尊に岩戸を少し開かせて、顔を差し出せば、世界はたちまち明るくなって、鏡に映る姿は永遠に消えませんでした。この鏡を名付けて八咫鏡ともまたは内侍所とも申します。天照大神は岩戸を出られると、八百万の神たちを遣わし、宇多野の城に立てた千の剣を皆蹴破って捨てました。これよりして千剣破る([千早振る]=[勢いが激しい意])と申しているのでございます。この時一千の悪神は、小蛇となって失せました。素盞烏尊(素戔男尊)は一人になって、あちらこちらに迷い行くほどに、出雲国に着きました。海上に浮かんで流れる島がありました。この島は天照大神も知らない所でしたので、素戔男尊は手で撫で止めて住みました。故にこの島を手摩島と申します。


続く


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by santalab | 2017-01-31 19:21 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その8)

素盞烏尊そさのをのみことは、出雲の大社おほやしろにておはします。このみこと草木を枯らし、禽獣の命を失ひ、もろもろ荒くおはせし間、出雲の国へ流し奉る。三神かくの如くあるひは天に上り、あるひは海に放たれ、あるひは流し給ひし間、天照太神あまてらすおほむかみこの国のあるじとなり給ふ。ここに素盞烏尊そさのをのみこと、我が国を取らんとていくさを起こして、小蝿さばへなす一千いちせんの悪神を率して、大和の国宇多野うだのに、一千いつせんつるぎを掘り立てて、城郭じやうくわくとして立て籠もり給ふ。天照太神これを由なき事に思し召して、八百万やほよろづの神たちを引き具して、葛城かづらきあま岩戸いはとに閉ぢ籠もらせ給ひければ、六合内くにのうち常闇とこやみになつて、日月の光も見へざりけり。この時に島根見尊しまねみのみことこれを歎きて、香久山かぐやまの鹿を捕らへて肩の骨を抜き、合歓はわかの木を焼いて、この事可有如何と占なはせ給ふに、鏡をて岩戸の前にかけ、歌を歌はば可有御出でと、うらに出でたり。

香久山の 葉若はわかもとに 占とけて 肩抜く鹿は 妻恋ひなせそ

と読める歌はすなはちこの意なり。




素盞烏尊(素戔男尊)は、出雲大社(現島根県出雲市)の祭神どれほど哀れにございます(出雲大社の祭神は大国主命ですが、本殿瑞垣外の出雲神社に素戔嗚尊を祀る。出雲神社は出雲大社本殿の真後ろにあり、素戔男尊を表立って祀ることができないためこのような形になったとか)。素戔男尊は草木を枯らし、禽獣の命を失い、気性が激しかったので、出雲国に流されました。三神はこのようにあるいは天に上り、あるいは海に放たれ、あるいは流されて、天照大神がこの国の主となりました。素戔男尊は、我が国を奪い取ろうと軍を起こして、五月蠅なす([荒ぶる])一千の悪神を率して、大和国宇多野(現奈良県宇陀市)に、一千の剣を立てて、城郭となして立て籠もりました。天照大神はこれをいわれなきことと思われて、八百万の神たちを引き具して、葛城(天香具山?)の天の岩戸(現奈良県橿原市?)に閉じ籠もられたので、国内は皆常闇になって、日月の光も見えなくなりました。島根見尊はこれを嘆いて、香久山の鹿を捕らえて肩の骨を抜き、合歓の木([ネムノキ])を焼いて、どうすればよいかと占うと、鏡を鋳て岩戸の前にかけ、歌を歌えば出て来られると、占いに出ました。

香久山のネムノキで占うためだ。肩抜き([肩抜きの占]=[鹿の肩の骨を抜き取り、波波迦 ははか=ウワミズザクラ。の木で焼き、表面にできた裂け目によって吉凶を占った])の鹿は妻を恋しく思うな。

と読んだ歌はこのことを表しているのでございます。


続く


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by santalab | 2017-01-31 19:14 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その7)

かくて四神ししんを生み給ふ。日の神・月の神・蛭子ひるこ素盞烏尊そさのをのみことこれなり。日の神と申すは天照太神あまてらすおほんがみ、これ日天子につてんし垂跡すゐしやく、月の神と申すは、月読つきよみ明神みやうじんなり。この御形余りに美しくおはしまし、人間のたぐひにあらざりしかば、二親にしんの御計らひにて天に上せ奉る。蛭子と申すは、今の西宮の大明神だいみやうじんにてまします。生まれ給ひし後、三年まで御足立たずして、片輪かたはにおはせしかば、石楠いはくす船に乗せて海に放ち奉る。

かぞいろは いかにあはれと 思ふらん 三年になりぬ 足立たずして

と読める歌これなり。




そして四神が生まれました。日の神(天照=天照大御神あまてらすおほみかみ)・月の神(月読=月読命つくよみ)・蛭子(蛭子命)・素盞烏尊(素戔男尊)です。日の神と申すのは天照大神、天照大御神は日天子([仏教における天部の一人で、十二天の一人])の垂跡([仏や菩薩が衆生を仏道に引入れるために、かりに神々の姿となって示現すること])でございます、月の神と申すのは、月読明神のことでございます。月読明神の姿はあまりに美しく、人間の姿をしておりませんでしたので、二親の計らいで天に上らせました。蛭子と申すのは、今の西宮大明神(現兵庫県西宮市にある西宮神社の祭神)でございます。生まれて、三年まで足が立たず、片端でしたので、石楠船(鳥之石楠船神。日本神話に登場する神であり、また、神が乗る船の名前)に乗せて海に放ちました。

父母かぞいろはどれほど哀れに思ったことでしょう。足が立たないまま三年になりました。

と読んだ歌でございます。


続く


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by santalab | 2017-01-31 19:06 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その6)

その後伊弉諾いざなぎ伊弉冊いざなみ男神をかみ女神めかみ二神ふたはしらあまの浮橋の上にして、この下にあに国なからむやとて、天瓊鉾あまのぬほこを差し下ろして、大海を掻き探り給ふ。そのほこさきしただり、こごつて一つの島となる、淤能碁呂をのころ島これなり。次に一つの国を産み給ふ。この国余りにちひさかりし故、淡路あはぢ国州くにと名付く、我がはぢの国と言ふ心なるべし。二神ふたはしらこの島に天降あまくだり給ひて、宮造りせんとし給ふに、葦原生ひ繁つて所もなかりしかば、この葦を引き捨て給ふに、葦を置きたる所は山となり、引き捨てたる跡は川となる。二神ふたはしら夫婦をつとめとなつて栖み給ふといへども、いまだ陰陽和合いんやうわがふの道を知り給はず。時に鶺鴒にはくなぶりと言ふ鳥の、尾を土に叩きけるを見給ひて、始めて嫁ぐ事を習ひて、

喜哉あなにえや遇可美小女えをとめを

と読み給ふ。これ和歌の始めなり。




その後伊弉諾伊弉冉の男神女神の二神が、天の浮橋([高天原たかあまはらと地上との間に架かっていたという橋])の上にで、この下にどうして国がないのかと、天沼矛あめのぬぼこを差し下ろして、大海を掻き混ぜました。その鉾の滴りが、固まって一つの島となりました、淤能碁呂島(沼島ぬしま。現兵庫県南あわじ市)です。次に一つの国を造りました。この国は余りに小さかったので、淡路の国(淡路島)と名付けました。我が恥の国という意味でした。二神はこの島に天降って、宮造りをしようとしましたが、葦原が生い繁って所もありませんでしたので、この葦を引き捨てましたが、葦を置いた所は山となり、引き捨てた跡は川となりました。二神は夫婦となって共に住みましたが、いまだ陰陽和合([陰・陽二気の相互作用によって、万物が生成されること])というものを知りませんでした。時に鶺鴒([セキレイ])という鳥が、尾で土を叩くのを見て、初めて嫁ぐ([男女が交わる])ことを習って、

うれしいことだ、美しい乙女に逢ったものよ。

と読みました。これが和歌の始めでした。


続く


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by santalab | 2017-01-31 18:59 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その5)

神代の事をば、いかにも日本記にほんぎの家に存知すべき事なれば、くはしくたづね給はんとて、平野の社の神主、神祇しんぎ大副たいふ兼員かねかずをぞ召されける。大納言、兼員に向かつてのたまひけるは、「そもそも三種さんじゆ神器じんぎの事、家々に相伝さうでんし来たる義まちまちなりといへども、資明すけあきらはいまだこれを信ぜず。画工闘牛ぐわこうとうぎうの尾を誤つて牧童に笑はれたる事なれば、御辺の申され候はん義を正路せいろとすべきにて候ふ。いささかもつて事のついでに、この事存知したき事あり。くはしく宣説せんせつ候へ」とぞ仰されける。兼員かねかず畏つて申しけるは、「御前おんまへにてかやうの事を申し候はんは、ただ養由やういうに弓を教へ、羲之ぎしに筆をさづけんとするに相似て候へども、御尋ねある事を申さざらむも、また恐れにて候へば、伝はるところの儀一事も残らず申さんずるにて候ふ。先づ天神七代と申すは、第一国常立尊くにとこたちのみこと、第二国挟槌尊くにさづちのみこと、第三豊斟渟尊とよくんぬのみこと。この時天地あめつち開け始めて空中に物あり、葦芽あしかびの如しといへり。その後男神をかみ泥土瓊尊うひぢにのみこと大戸之道尊おほとのちのみこと面足尊おもたるのみこと女神めかみ沙土瓊尊すひぢにのみこと大戸間辺尊おほとまべのみこと惶根尊かしこねのみこと。この時男女の形ありといへども更に婚合こんがふの儀なし。




神代の事は、日本記の家が知っている事柄でしたので、詳しく訊ねようと、平野社(現京都市北区にある平野神社)の神主、神祇大副兼員(卜部兼員)を呼びました(卜部氏は、代々『日本書紀』の解釈を家業としたらしい)。大納言(柳原資明すけあきら)が、兼員に向かって申すには、「そもそも三種の神器については、家々に相伝されている話がそれぞれ異なっており、資明はいまだ何がまことか知らぬ。『画工闘牛の尾を誤って牧童に笑われる』([無学な者でも専門の事には詳しい知識を 持っているから、教えを受けるがよい、という意味])という、お主の申すことを正路([正道])にしようと思うておるのだ。困っておることがあってなこの機会に、はっきりさせたいのだ。詳しく宣説([述べて解き明かすこと])してほしい」と申しました。兼員は畏り申して、「御前にてかようの事を申すのは、ただ養由(養由基。春秋時代の楚の武将。弓の名人)に弓を教え、羲之(王献之けんし。東晋の書家)に筆を授けるようなものでございますけれども、お訊ねになられる事にお答えしないのも、また恐れあることでございますれば、伝わるところの儀を一事も残らず申すことにいたしましょう。まず天神七代と申しますのは、第一に国常立尊(国之常立神くにのとこたちのみこと。『日本書紀』において最初の神)、第二に国挟槌尊、第三に豊斟渟尊。この時天地が分かれて空中に物が生まれ、葦芽のようなものであったといいます。その後男神に泥土瓊尊(埿土煮尊)・大戸之道尊・面足尊、女神に沙土瓊尊(沙土煮尊)・大戸間辺尊(大苫辺尊)・惶根尊でございます。この時すでに男女の姿をしておりましたが婚合することはありませんでした。


続く


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by santalab | 2017-01-31 18:52 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その4)

春日の社に七日参篭してありけるが、これこそ事の顕はすべきはしよと思ふしるしもなかりければ、また初瀬はつせまゐりて、三日断食をして籠もりたるに、京家きやうけの人よと思しくて、拝殿の脇に通夜したる人のありけるが、円成を呼び寄せて、「今夜の夢に伊勢の国より参つて、この三日断食したる法師の申さんずる事を、伝奏てんそう挙達きよたつせよと言ふ示現じげんかうむつて候ふ。御辺はもし伊勢の国よりや参られて候ふ」とぞ問ひける。円成ゑんじやううれしく思ひて、始めよりの有様を委細ゐさいに語りければ、「我こそ日野の大納言殿の所縁しよえんにて候へ。この人に付けて被経奏聞候はん事、いと安かるべきにて候ふ」とて、やがて円成を同道し京に上つて、日野のさきの大納言資明すけあきらきやうに付いて、宝剣と斎所さいしよ起請きしやうとをぞ出だしたりける。資明の卿事の様をよくよく聞き給ひて、「まことに不思議の神託なり。ただしかやうの事には、いかにも横句謀計わうくぼうけいあつて、伝奏てんそうの短才、人の嘲哢てうろうとなす事多ければ、よくよく事の実否じつぶを尋ね聞きて、諸卿げにもと信を取るほどの事あらば奏聞すべし。いかさま天下静謐せいひつの奇瑞なれば引出物せよ」とて、銀剣三振り・着物十襲とかさね、円成にびて、宝剣をば前栽せんざいに崇め給へる春日の神殿にぞ納められける。




円成ゑんじやうは)春日社(現奈良県奈良市にある春日大社)に七日参篭しましたが、これこそ事を顕わす一端と思われる霊験はなかったので、また初瀬(現奈良県桜井市にある長谷寺)に参詣して、三日断食をして籠もっていると、京家の人よと思われて、拝殿の脇で通夜している人がいましたが、円成を呼び寄せて、「今夜の夢に伊勢国より参って、三日断食している法師の申すことを、伝奏に挙達([登用するよう推挙すること])せよと言う示現([神仏のお告げ])がありました。お主はもしや伊勢国より参られましたか」と訊ねました。円成うれしく思って、はじめからの有様を詳しく語ると、「わたしは日野大納言殿(柳原資明すけあきら。日野俊光としみつの四男)の所縁の者です。この人に付けて奏聞することは、とても容易いことです」と申して、やがて円成を同道し京に上って、日野前大納言資明卿に付いて、宝剣と斎所の起請([自分の言動に偽りのないことや約束に違背しないことを、神仏に誓って書き記した文書])を差し出しました。資明卿は事の様をよくよく聞いて、「まことに不思議な神託である。ただしかようの事には、横句([虚語]=[嘘。偽り])謀計があって、短才([才能が乏しいこと])に伝奏すれば、人の嘲哢となる事も多い、よくよく事の実否を尋ね聞いて、諸卿が確かにと信を取るほどのことであれば奏聞しよう。さておき天下静謐の奇瑞である引出物せよ」と申して、銀剣三振り・着物十襲を、円成に与え、宝剣は前栽([草木を植えた庭])にあって崇め奉る春日の神殿に納めました。


続く


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by santalab | 2017-01-31 18:36 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その3)

これによつて四海しかいいよいよ乱れて一天いまだしづかならず。ここに百王鎮護ちんご崇廟そうべうの神、竜宮に神勅を下されて、元暦げんりやくいにしへ海底にしづみし宝剣を召し出だされたるものなり。すはここに立ちて我を見るあの法師の手に持ちたるぞ。便宜びんぎ伝奏てんそうに付けてこの宝剣を内裏へまゐらすべし。言ふところ不審あらばこれを見よ」とて、円成ゑんじやうに走り懸かつて、手に持ちたる光り物を取つて、涙をはらはらと流し額より汗を流しけるが、しばらく死に入りたるていに見へて、物の怪はすなはち去りにけり。神託不審あるべきにあらざれば、斎所さいしよを始めとして、見及ぶところの神人じんにんら連署の起請きしやうを書いて、円成に与ふ。円成これを錦の袋に入れて首に懸け、託宣に任せて先づ南都へぞ赴きける。




こうして四海([国内])はますます乱れて一天いまだ静かならず。そこで百王鎮護の崇廟の神が、竜宮に神勅を下されて、元暦の昔海底に沈んだ宝剣を召し出されたのだ。なんとここに立って我を見るあの法師の手に持っておるぞ。便宜([ある目的や必要なものにとって好都合なこと])の伝奏に付けてこの宝剣を内裏へ参らせよ。申すところに不審あらばこれを見よ」と言って、円成に走り懸かり、手に持っていた光り物を取って、涙をはらはらと流し額から汗を流し、しばらくは死んだように見えて、物の怪はたちまち去りました。神託に不審はありませんでしたので、斎所([斎王]=[伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王])をはじめとして、見及ぶところの神人らは連署の起請([自分の言動に偽りのないことや約束に違背しないことを、神仏に誓って書き記した文書])を書いて、円成に与えました。円成はこれを錦の袋に入れて首に懸け、託宣に任せてまずは南都(奈良)へ赴きました。


続く


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by santalab | 2017-01-31 18:29 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その2)

さては子細ありと思ひて立ち留まりたれば、光り物ちと小さくなつて、円成ゑんじやうが足許に来たれり。恐ろしながら立ち寄つて取り上げたれば、金にもあらず石にもあらざる物の、三鈷柄さんこえの剣なんどのなりにて、長さ二尺五六寸なる物にてぞありける。これは明月に当たつて光を含むなるさいつのか、不然海底に生ふるなる珊瑚樹の枝かなんど思ひて、手に引つ提げて大神宮へまゐりたりける。ここに年十二三ばかりなる童部わらんべ一人、にはかに物に狂ひて四五丈飛び上がり飛び上がりけるが、

思ふ事 など問ふ人の なかるらん あふげば空に 月ぞさやけき

と言ふ歌を高らかに詠じける間、社人村老そんらう数百人すひやくにん集まりて、「いかなる神の託させ給ひたるぞ」と問ふに、物付き口走りまうしけるは、「神代かみよより伝へて我が国に三種さんじゆ神器じんぎあり。たとひ継体けいたいの天子、位を継がせ給ふといへども、このつの宝なき時は、君も君たらず、世も世たらず。汝らこれを見ずや、承久しようきう以後代々の王位かろくして、武家の為に威を失はせ給へる事、ひとへに宝剣の君の御守とならせ給はで海底にしづめるゆゑなり。あまつさへ今内侍所ないしところしるし御箱みはこさへ外都の塵にうづもれて、登極とうきよくの天子空しく九五きうごくらゐに臨ませ給へり。




さては訳ありかと思い立ち留まると、光り物は少し小さくなって、円成の足許に流れ着きました。円成は恐ろしく思いながら立ち寄ってこれを取り上げると、金でもなく石でもない物で、三鈷柄([刀剣の柄を三鈷の形に作ったもの])の剣([三鈷柄付剣]=[インド在来の密教で使用される祭神具の一種])のような形をした、長さ二尺五六寸の物でした。これは明月に当たって光を放つ犀の角か、でなければ海底に生える珊瑚樹の枝かなどと思い、手に引っ提げて大神宮へ参りました。そこに年十二三ばかりの童部が一人、にわかに物狂いして四五丈飛び上がり、

わが胸の思いをどうして誰も尋ねてくれないのか。仰げば空に月ばかりが明るく澄み渡っておるばかりよ。(『新古今和歌集』。慈円)

という歌を高らかに詠じたので、社人村老数百人が集まって、「いかなる神の託宣ぞ」と訊ねると、物付きが口走り申すには、「神代より伝えて我が国に三種の神器あり。たとえ継体の天子が、位を継がれようとも、この三つの宝なき時は、君も君にあらず、世も世にあらず。汝らこれを見ずや、承久以後代々の王位軽くして、武家に威を失われること、ひとえに宝剣が君のお守とならず海底に沈んでいたからである。その上今は内侍所(八咫鏡やたのかがみ)・璽の御筥(八尺瓊勾玉やさかにのまがたま)さえ外都の塵に埋もれて、登極([天皇が位に即くこと])の天子は空しく九五の位([天子の位])に臨まれておる。


続く


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by santalab | 2017-01-31 18:24 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その1)

今年、いにしへ安徳あんとく天皇てんわうの壇の浦にて海底にしづめさせ給ひし宝剣出で来たれりとて、伊勢の国より進奏しんそうす。その子細をよくよく尋ぬれば、伊勢の国の国崎神戸くさきかんべに、下野しもつけ阿闍梨あじやり円成ゑんじやうと言ふ山法師やまほふしあり。大神宮へ千日参詣の心ざしありける間、毎日にうしほ垢離こりに掻いて、隔夜かくやまうでをしけるが、すでに千日に満じける夜、また垢離を掻かんとて、礒へ行きて遥かの沖を見るに、一つの光り物あり。怪しく思ひて、釣りする海人あまに、「あれは何物の光りたるぞ」と問ひければ、「いさとよ何とは知らず候ふ。この二三日が間毎夜この光り物浪の上に浮かんで、かなたこなたへ流れありき候ふ間、船を漕ぎ寄せて取らんとし候へば、打ち失せ候ふなり」とぞ答へける。かれを聞くにいよいよ不思議に思ひて、目も放たずこれを守りて、遠き渚の海面うみづらを遥々と歩み行くところに、この光り物次第に礒へ寄つて、円成が歩むに随ひてぞ流れて来たりける。




この年、その昔安徳天皇(第八十一代天皇)とともに壇の浦(現山口県下関市)で海底に沈んだ宝剣が出て来たと、伊勢国より進奏がありました。その子細をよくよく尋ねると、伊勢国の国崎神戸(現三重県鳥羽市)に、下野の阿闍梨円成という山法師がいました。伊勢大神宮(現三重県伊勢市)に千日参詣の心ざしがあり、毎日潮を垢離([神仏に祈願する時に、冷水を浴びる行為])に掻いて、隔夜詣でをしていましたが、すでに千日に満じる夜、また垢離を掻こうと、礒に行き遥か沖を見ると、一つの光り物がありました。不思議に思って、釣りをしていた海人に、「あれは何が光っておるのだ」と訊ねると、「さあ何か分かりませんが。この二三日の間毎夜この光り物が浪の上に浮かんで、かなたこなたに漂っておりますが、船を漕ぎ寄せて取ろうとすれば、消えてしまうのです」と答えました。これを聞いてますます不思議に思って、目も離さず見守りながら、遠い渚の海面を遥々と歩くところに、この光り物は次第に礒に寄って、円成が歩くに従い流れて来ました。


続く


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by santalab | 2017-01-31 17:58 | 太平記 | Comments(0)

    

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