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「太平記」直冬与吉野殿合体事付天竺震旦物語事(その5)

去るほどに師子外の山より帰り来て后をたづね求むるに、后もおはしまさず、我が子もなし。こはいかなる事ぞと驚きあわてて、化けたるかたち元のすがたに成つて、山を崩し木を堀り倒し求むれども不得。さては人の棲む里にぞおはすらんとて、師子国へ走り出でて、奮迅の力を出だして吠え忿いかるに、いかなるくろがねじやうなりとも破れぬべくぞ聞こへける。野人村老おそたふれ、死する者幾千万と云ふ数を知らず。また不近付所も、家を捨て財宝を捨て逃げ去りける間、師子国十万里の中には、人一人もなかりけり。されども、この師子王位にや恐れけん、都の中へは未だ入らず、ただ王宮近き辺に来て、夜な夜な地をうごかして吠えいかり、天に飛揚ひやうして鳴き叫びける間、大臣・公卿・刹利せつり居士こじ、皆宮中に逃げ篭もる。




やがて獅子は他所の山より帰って后を探したが、后もなく、我が子もいなかった。これはどうしたことかと驚きあわてて、化けた形を元の姿に変えて、山を崩し木を堀り倒し探したが見付からなかった。さては人が住む里にいるのではと思い、師子国へ走り出て、奮迅([勢い激しく奮い起つこと])の力を出して吠え怒れば、いかなる鉄の城であろうとも壊れるようほどだった。野人村老は怖れ倒れ、死ぬ者は幾千万という数を知を知れなかった。また近付かぬ所も、家を捨て財宝を捨て逃げ去ったので、師子国十万里の中には、人一人もいなかった。けれども、獅子も王位に恐れをなしたか、都の中へは入らず、ただ王宮に近いあたりに来て、夜な夜な地を響かして吠え怒り、天に届くほどに鳴き叫んだので、大臣・公卿・刹利([刹帝利]=[インドのバルナ=四種姓。で、バラモンに次ぐ第二位の身分。王族および武士])・居士([出家をせずに 家庭において修行を行う仏教の信者])は、皆宮中に逃げ籠もった。



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by santalab | 2017-07-04 15:37 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」直冬与吉野殿合体事付天竺震旦物語事(その4)

かくて三年みとせを過ごさせ給ひけるほどに、后ただならず成り給ひて男子を生み給へり。あはれみのふところの中にひととなつて歳十五に成りければ、貌形みめかたちの世に勝れたるのみに非ず、筋力人に超えて、いかなる大山を挟んで北海を飛び越ゆるとも、可容易とぞ見へたりける。ある時この子母の后に向かつて申しけるは、『たまたま人界にんがいの生を受けながら、后は畜類の妻と成らせ給ひ、我は子と成りて候ふ事、過去の宿業しゆくごふとは申しながら、心憂き事にて候はずや。可然しかるべき隙を求めて、后この山を逃げ出でさせ給へ。我負ひ奉て師子国の王宮わうぐうへ逃げ篭もり、母を后妃の位に昇せ奉り、我も朝烈てうれつの臣と仕へて、畜類のくわを離れ候はん』と勧め申しければ、母の后無限喜びて、師子の他の山へ行きたりける隙に、后この子に負はれて、師子国の王宮へぞ参り給ひける。帝なのめならず喜び思し召して、君恩たぐひなかりければ、後宮綺羅の三千、為君薫衣裳、君聞蘭麝為不馨香。為君事容色、君看金翠為無顔色。新しき人来たりて旧き人棄てられぬ。眼の裏の荊棘けいぎよくたなごころうへの花の如し。




こうして三年を過ごすほどに、后は子を宿して男子を生んだ。憐れみの懐の中に人となって十五歳になると、見目かたちは世に優れるばかりでなく、筋力は人に超えて、いかなる大山を挟んで北海を飛び越えることさえ、容易いことに思われた。ある時この子が母の后に向かって申すには、『たまたま人界の生を受けながら、后は畜類の妻となられて、わたしは子となりました、過去の宿業とは申しながら、嘆かわしいことではありませんか。しかるべき隙を見付けて、この山からお逃げなさいませ。わたしが背負って師子国の王宮へ逃げ籠もり、母を后妃の位に昇らせて、わたしも朝烈の臣として仕え、畜類の果を離れましょう』と勧め申したので、母の后は限りなくよろこんで、獅子が他の山へ行った隙に、后は子に負われて、師子国の王宮に参った。帝はたいそうよろこんで、君恩は類なく、後宮綺羅の三千人が、君のために衣裳を着飾れど、蘭麝([蘭の花と麝香じやこうの香り。また、よい香り])に魅せられて他の者に馨香([かぐわしいよい香り。また、遠くまで及ぶ徳のたとえ])に及ぶことはなかった。容色([美貌])をなしても、君は金翠ばかりを見て他に目を向けることはなかったのだ。新しい人が来て今までの人は棄てられた。荊棘([イバラなど、とげのある低い木])の身が花に変わったようであった。


続く


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by santalab | 2017-07-01 09:12 | 太平記 | Comments(0)

    

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