Santa Lab's Blog


「太平記」新田起義兵事(その2)

この時、故新田左中将さちゆうじやう義貞よしさだの次男左兵衛さひやうゑすけ義興よしおき・三男少将せうしやう義宗よしむね従兄弟いとこ左衛門さゑもんの佐義治よしはる三人、武蔵・上野・信濃・越後の間に、在所を定めず身を隠して、時を得ば義兵を起こさんとくはたて居たりけるところへ、吉野殿いまだ住吉に御坐おましありし時、由良ゆら新左衛入道信阿しんあを勅使にて、「南方と義詮よしあきら御合体ごがつていの事は暫時の智謀なりと聞こゆるところなり。すなはちせつに迷ひ時を過ごすべからず。早く義兵を起こして、将軍を追討つゐたうし、宸襟しんきんを休め奉るべし」とぞ仰せ下されける。信阿急ぎ東国へ下つて、三人の人々に逢うて事の子細を相触あひふれける間、さらばやがて勢を相催あひもよほせとて、廻文くわいぶんを以つて東八箇国を触れまはるに、同心のやから八百人に及べり。中にも石堂いしたう四郎入道は、近年高倉殿にしよくして、薩埵山の合戦に打ち負けて、甲斐なき命ばかりを助けられ、鎌倉にありけるが、大将に頼みたる高倉禅門は毒害せられぬ。我とは事を起こし得ず。あはれ謀反を起こす人のあれかし、与力せんと思ひけるところに、新田兵衛ひやうゑの佐・同じき少将の許より内状を通じて、事の由を知らせたりければ、流れに棹差すと悦びて、やがて同心してけり。




この時、故新田左中将義貞(新田義貞)の次男左兵衛佐義興(新田義興)・三男少将義宗(新田義宗)・従兄弟の左衛門佐義治(脇屋義治)の三人は、武蔵・上野・信濃・越後の内に、在所を定めず身を隠して、時を待って義兵を起こそうと企てていましたが、吉野殿(第九十七代後村上天皇)が住吉(現大阪市住吉区にある住吉大社)におられた時、由良新左衛入道信阿を勅使に立てて、「南方(南朝)と義詮(足利義詮。足利義貞の嫡男)が和平したのはしばらくの時間稼ぎだと聞いておろう。この折を逃し無駄に時を過ごすではない。早く義兵を起こし、将軍(足利尊氏)を追討し、宸襟を休められよ」と仰せ下されました。信阿は急ぎ東国へ下って、三人の人々に面会して事の子細を伝えたので、ならばたちまち勢を集めよと、廻文([複数の人に順に回して知らせるよう にした手紙や通知])をもって東八箇国に触れ回ると、同心の者どもは八百人に及びました。中でも石塔四郎入道(石塔義房よしふさ)は、近年高倉殿(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)に属して、薩埵山の合戦(1351)に打ち負けて、甲斐なき命ばかりを助かって、鎌倉にいましたが、大将と頼りにしていた高倉禅門(足利直義)は毒害された。己では力不足である。もし謀反を起こす人があれば、与力しようと思っていましたが、新田兵衛佐(新田義興)・同じく少将(新田義宗)の許より内状([内密の書状])を通じて、事の由を知らせたので、流れに棹差す([時流に乗ること])とよろこんで、たちまち同心しました。


続く


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# by santalab | 2017-04-09 11:02 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その24)

かくてあるべきにあらねば、内裏造営ざうえいあるべしとて、運魯般斧新たに造り立てたりける柱に一首のむしくひの歌あり。

造るとも またも焼けなん 菅原や 棟の板間の 合はん限りは


この歌に神慮なほも御納受なふじゆなかりけりと驚き思し召して、一条院より正一位じやういちゐ太政だいじやう大臣の官位を賜はらせ給ふ。勅使安楽寺に下つて詔書せうしよを読み上げける時天に声あつて一首の詩聞こへたり。

昨為北闕蒙悲士
今作西都雪恥尸
生恨死歓其我奈
今須望足護天皇基


その後よりは、神のいかりもしづまり国土も穏やかなり。おほいなるかな、尋本地、大慈大悲の観世音、弘誓ぐぜいの海深うして、群生済度ぐんしやうさいどの船無不到彼岸。 垂跡すゐじやくを申せば天満大自在天神の応化おうげの身、利物りもつ日々に新たにして、一来結縁いちらいけちえんの人所願しよぐわん任心成就じやうじゆす。ここを以つてかみ自一人、下至万民、渇仰かつがうかうべを不傾云ふ人はなし。まことに奇特無双ぶさうの霊社なり。




そのままにしておくわけにもいかないので、内裏造営あるべしと、魯般(中国春秋時代の魯の工匠)が斧を振るい新たに造り立てた柱に一首の虫喰いの歌がありました。

内裏を造ったところでまたも焼けてしまうであろう。菅原道真に胸の痛みがある限りは。

この歌に神慮なおも納受されぬと驚かれて、(菅原道真に対して)一条院(第六十六代天皇)より正一位太政大臣の官位を賜わりました。勅使が安楽寺(現福岡県太宰府市、太宰府天満宮の敷地にあった。菅原道真の菩提寺)に下って詔書を読み上げた時天から声がして一首の詩が聞こえました。

かつて北闕([宮中])で悲しみに遭い、
今屍となって西都で都の恥を雪ぐ。
生きての恨みは死んでよろこびとなすかな。
今後は天皇の基を護ることにしようぞ。

その後よりは、神の怒りも鎮まり国土も安穏でした。偉大なことよ、本地([仏・菩薩ぼさつの本来の姿])を尋ねれば、大慈大悲の観世音、弘誓([修行者である 菩薩が、自身みずから悟りを開き、同じく生きとし生けるものを救済しようとする決意,、誓いを立てること。またその決意や誓いそのもの])の海深くして、群生済度([仏や菩薩などが迷妄のなかにある衆生を導いて悟りの境界にいたらしめること])の船は彼岸([煩悩を解脱した涅槃の境地])に至らぬことなし。垂跡([仏や菩薩が衆生を救うため、仮に神の姿になって現れること])を申せば天満大自在天神の応化([仏・菩薩が世の人を救うために、相手の性質・力量に応じて姿を変えて現れること])の身、利物([衆生に利益りやくを与えること。人々を救うこと])は日々あらたかにして、一来結縁([世の人が仏法と縁を結ぶこと])の人の所願は心のままに成就しました。こうして上は一人(天皇)、下は万民にいたるまで、渇仰([深く仏を信じること])の頭を傾けぬ人はありませんでした。(現京都市上京区にある北野天満宮は)まこと奇特無双の霊社なのです。


続く


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# by santalab | 2017-04-09 08:19 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その23)

おほきに驚き思し召して、やがて延喜の年号を延長に改めて、菅丞相流罪の宣旨を焼き捨てて、官位を元の大臣にかへし、正二位じやうにゐの一階を被贈けり。その後天慶てんぎやう九年近江あふみの国比良の社の袮宜ねぎみぶ良種よしざねに託して、大内おほうちの北野に千本の松一夜に生ひたりしかば、ここに建社壇、奉崇天満大自在天神けり。御眷属けんぞく十六万八千じふろくまんはつせんの神なほもしづまり給はざりけるにや、天徳二年より天元五年に至るまで二十五年の間に、諸司八省三度まで焼けにけり。




君(第六十代醍醐天皇)はたいそう驚かれて、やがて延喜の年号を延長に改めて、菅丞相(菅原道真)流罪の宣旨を焼き捨てて、官位を元の大臣(右大臣)に返し、正二位の階(位階)を贈られました。その後天慶九年(946)に近江国比良社の袮宜([神職の職称の一。宮司の下位])、神良種に託宣があって、大内の北野に千本の松が一夜にして生えたので、ここに社壇を建て、天満大自在天神を祭神として崇めました。けれども眷属([一族])十六万八千の神はなおも静まらなかったか、天徳二年(958。ただし、内裏が焼けたのは、天徳四年(960))より天元五年(982)に至るまで二十五年の間に、諸司八省は三度焼けました。


続く


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# by santalab | 2017-04-08 08:05 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その22)

その頃延喜の帝の御従兄弟いとこに右大弁公忠きんただまうす人、悩む事もなくて頓死とんししけり。経三日蘇生給よみがへらせたまひけるが、大息おほいき突き出でて、「可奏聞事あり、我を扶け起こして内裏へ参れ」とのたまひければ、子息信明のぶあきら信孝のぶたか二人ににん左右の手を扶けて参内し給ふ。「事のゆゑ何ぞ」と御たづねありければ、公忠わなわなと振るうて、「臣冥官みやうくわんちやうとてをそろしき所に至りさふらいつるが、たけ一丈いちぢやう余りなる人の衣冠いくわん正しきが、金軸こんぢくまをし文を捧げて「粟散辺地ぞくさんへんちあるじ延喜帝王えんぎていわう時平しへい大臣が信讒無罪臣を被流候ひき。その誤り尤も重し、早く被記庁御札、阿鼻地獄あびぢごくへ可被落」とまうせしかば、三十さんじふ人並居なみゐ給へる冥官おほきに忿いかつて、「不移時刻可及其責」と同じ給ひしを、座中第二の冥官、「もし年号を改めてとがじやする道あらば、如何んし候ふべき」とのたまひしに、座中皆案じわづらうたるていに見へて、その後、公忠蘇生仕り候ふ」とぞ被奏ける。




その頃延喜帝(第六十代醍醐天皇)の従兄弟に右大弁公忠(源公忠。第五十八代光孝天皇の孫)と申す人が、悩む事もなく頓死([急死])しました。三日を経てよみがえりましたが、大息を突くと、「奏聞すべき事がある、わしを起こして内裏へ参れ」と申したので、子息信明(源信明)・信孝(源信孝)二人が左右の手を抱えて参内しました。(醍醐天皇が)「何事ぞ」と訊ねられると、公忠はわなわなと震えて、「わたしは冥官の庁という恐ろしい所に参りましたが、丈一丈余りなる衣冠正しき人が、金軸の申し文を捧げて、「粟散辺地([辺境にある小さな国。日本])の主、延喜帝王(醍醐天皇)は、時平大臣(藤原時平ときひら)の讒を信じ罪なき臣(菅原道真)を流罪になした。その誤りはもっとも重罪である、早く札(閻魔帳)に記帳し、阿鼻地獄([八大地獄の第八。無間地獄])へ落とせ」と申せば、三十余人並居る冥官([地獄の閻魔の庁にいる役人])はたいそう怒って、「時刻を移さずその責めに及ぶべし」と同じましたが、座中第二の冥官が、「もし年号を改めて咎を謝すれば、どういたそう」と申したので、座中は皆判断しかねているように見えました、その後、公忠は蘇生致しました」と奏上しました。


続く


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# by santalab | 2017-04-07 08:07 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その21)

その後本院ほんゐん大臣おとど受病身心とこしなへに苦しみ給ふ。浄蔵貴所じやうざうきそを奉請被加持けるに、大臣の左右の耳より、小青蛇こせいじやかしらを差し出だして、「やや浄蔵貴所、我無実のざんしづみし恨みを為散、この大臣を取り殺さんと思ふなり。されば祈療きれうともに以つて不可有験。加様かやうに云ふ者をばたれとか知る。これこそ菅丞相の変化へんげの神、天満大自在てんまんだいじざい天神よ」とぞ示し給ひける。浄蔵貴所示現じげんの不思議に驚いて、暫く罷加持出で給ひければ、本院の大臣忽ちにこうじ給ひぬ。御息女そくぢよの女御、御孫の東宮もやがて隠れさせ給ひぬ。二男八条はつでう大将だいしやう保忠やすただ同じく重病に沈み給ひけるが、験者薬師経やくしきやうを読む時、宮毘羅大将くびらだいしやうと打ち挙げて読みけるを、我が首切らんと云ふ声に聞き成して、すなはち絶え入り給ひけり。三男敦忠あつただ中納言も早世さうせいしぬ。その人こそあらめ、子孫まで一時に亡び給ひける神罰の程こそをそろしけれ。




その後本院大臣(藤原時平ときひら)は病いを身に受けて長く苦しみました。浄蔵貴所(平安中期の僧。三善清行きよゆきの子)を請じ加持を行わせると、大臣の左右の耳より、小青蛇が頭を差し出して、「浄蔵貴所よ、わたしは無実の讒言に沈んだ恨みを晴らすため、大臣を取り殺そうと思っておるのだ。祈療したところで有験([祈祷・祈願してその効き目があること])はないぞ。こう申す者を誰と思うか。菅丞相(菅原道真)の変化の神、天満大自在天神よ」と名乗りました。浄蔵貴所は示現([神仏が霊験を示し現すこと])の不思議に驚いて、しばらく加持を止めたので、本院大臣はたちまちに薨じました。息女の女御(藤原褒子よしこ?第五十九代宇多上皇の御息所。女御ではない)、御孫の東宮(慶頼王よしよりわう。第六十代醍醐天皇の皇太子。母は藤原時平の娘、藤原仁善子にぜこ)もやがてお隠れになりました。次男八条大将保忠(藤原保忠。ただし長男)も同じく重病に苦しんでいましたが、験者が薬師経を読んだ時、宮毘羅大将([天竺霊鷲山の鬼神で、薬師如来十二神将の筆頭])と声を上げて読んだのを、我が首を切ると声に聞いて、たちまち気を失ってしまいました(その後、早逝)。三男敦忠中納言も早逝しました。本人(藤原時平)はさておき、子孫まで一時に亡ぶ神罰は恐ろしいものでした。


続く


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# by santalab | 2017-04-06 08:43 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その20)

かくては世界国土皆流れ失せぬと見へければ、以法威神の忿いかりをなだめ申さるべしとて、法性坊ほつしやうばうぞう僧正を被召。一両度までは辞退申されけるが、勅宣及三度ければ、無力下洛し給ひけるに、鴨川をびたたしく水増して、船ならでは道あるまじかりけるを、僧正、「ただその車水の中を遣れ」と下知げぢし給ふ。牛飼ひ随命、みなぎつたる河の中へ車をさつと遣り懸けたれば、洪水左右へ分かれ、かへつて車は陸地くがちとほりけり。僧正参内し給ふより、雨止み風しづまつて、神の忿りも忽ちに宥まり給ひぬと見へければ、僧正預叡感登山とうさんし給ふ。山門の効験かうげん天下の称讚在之とぞ聞こへし。




これでは世界国土は皆流れ失せぬと思われたので、法威をもって神の怒りを宥め申すべしと、法性坊贈僧正(尊意)を召されました。一両度までは辞退申しましたが、勅宣三度に及んで、仕方なく下洛する時、鴨川はたいそう水嵩を増して、船なくしては通ることができませんでした、僧正は、「ただ車を水の中を通れ」と命じました。牛飼いは命に従って、漲る川の中をさっと進むと、洪水は左右へ分かれ、車は陸地を通るようなものでした。僧正が参内すると、雨は止み風は静まって、神の怒りもたちまちに鎮まると見えたので、僧正は叡感に与かり(比叡山に)登山しました。山門の効験天下の称讚尊意にありと言われました。


続く


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# by santalab | 2017-04-05 08:17 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その19)

本院ほんゐん大臣おとどあはや我が身に懸かる神罰よと被思ければ、玉体に立ちまゐらせ太刀を抜き懸けて、「てうに仕へ給ひし時も我に礼を乱し給はず、たとひ神と成り給ふとも、君臣上下の義を失ひ給はんや。金輪こんりん位高うして擁護の神未だ捨給、暫くしづまりて穏かにその徳を施し給へ」と理に当たつてのたまひければ、理にや静まり給ひけん、時平しへい大臣も蹴殺され給はず、玉体も無恙、雷神天に上り給ひぬ。されども雨風の降り続く事はなほ不休。




本院大臣(藤原時平ときひら)はあわや我が身に懸かる神罰よと思われて、玉体(第六十代醍醐天皇)に立ち添い参らせ太刀を抜き懸けて、「朝に仕えし時も我に礼を乱さず、たとえ神となろうと、君臣上下の義を失うことがあろうや(藤原時平は左大臣、菅原道真は右大臣)。(醍醐天皇は)金輪王([須弥山の四州を統治する王])にも劣らず位高くして擁護の神はいまだに捨てず、しばらく鎮まり穏かにその徳を施し給へ」と理を説いて申せば、理に鎮まるか、時平大臣も蹴殺されず、玉体も無事にして、雷神は天に上りました。けれども雨風は降り続きなおも止みませんでした。


続く


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# by santalab | 2017-04-04 08:29 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その18)

その後菅丞相座席を立つて天に昇らせ給ふと見へければ、やがていかづち内裡の上に鳴り落ち鳴りのぼつて、高天も落地大地も如裂。一人いちじん百官はくくわん縮身消魂給ふ。七日七夜が間雨あらく風はげしくして世界如闇、洪水こうずゐ家々を漂はしければ、京白河の貴賎男女きせんなんによをめき叫ぶ声叫喚けうくわん・大叫喚の苦しみの如し。つひに雷電大内だいだいの清涼殿に落ちて、大納言清貫きよつらきやううへきぬに火燃え付きて伏しまろべども不消。右大弁希世まれよの朝臣は、心がうなる人なりければ、「たとひいかなる天雷なりとも、王威わうゐに不威や」とて、弓に矢を取りへて向かひ給へば、五体すくみてうつぶしたふれにけり。近衛こんゑ忠包ただかぬ鬢髪びんぱつに火付き焼け死にぬ。紀の蔭連かげつらは煙に咽んで絶え入りにけり。




その後菅丞相(菅原道真)が座席を立って天に昇るかと見れば、たちまち雷が内裏の上に鳴り落ち鳴り上り、天が地に落ち大地も裂けるかと思われました。一人(第六十代醍醐天皇)・百官は身を縮め魂を消しました。七日七夜の間雨は強く風は激しくして世界は闇のようとなって、洪水が家々を押し流しました、京白川の貴賎男女が、喚き叫ぶ声はまるで叫喚([十六小地獄の一])・大叫喚([十六小地獄の一。叫喚地獄の下に位置し、その十倍の苦を受けるという])の苦しみのようでした。遂に雷電が大内裏の清涼殿([天皇の日常生活の居所])に落ちて、大納言清貫卿(藤原清貫)の上衣に火が燃え付いて伏し転べども消えませんでした。右大弁希世朝臣(平希世)は、心猛くあったので、「たとえいかなる天雷であろうが、王威に怖れをなさぬことがあろうか」と申して、弓に矢を取り添えて向かいましたが、五体はすくんでうつ伏せに倒れてしまいました。近衛忠包(美努みの忠包)は髪に火が付いて焼け死にました。紀蔭連は煙に巻かれて死にました(紀蔭連は腹を焼かれて死んだという)。


続く


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# by santalab | 2017-04-03 08:20 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その17)

僧正そうじやうの曰はく、「貴方きはうと与愚僧師資ししの儀雖不浅、君と与臣上下之礼なほ深し。勅請ちよくしやうの旨一往いちわう雖辞申、及度々いかでか参内仕らで候ふべき」と被申けるに、菅丞相御気色俄かに損じて御さかなにありける柘榴じやくろを取つて噛みくだき、持仏堂ぢぶつだうの妻戸にさつと吹き懸けさせ給ひければ、柘榴のさね猛火みやうくわと成つて妻戸に燃え付きけるを、僧正少しも不騒、向燃火灑水しやすゐの印を結ばれければ、猛火忽ちに消えて妻戸は半ば焦げたる許りなり。この妻戸今に伝はつて在山門とぞうけたまはる。




僧正(尊意)が申して、「そなたと愚僧は師資([師匠と弟子])の儀浅からずといえども、君(第六十代醍醐天皇)と臣の上下の礼はなおも深いものであろう。勅請の旨一往辞し申したところで、度々に及んでは参内仕らぬ訳にはいかぬ」と申せば、菅丞相(菅原道真)は気色をにわかに損じて肴の柘榴を取って噛み砕き、持仏堂の妻戸にさっと吹き懸けると、柘榴の核は猛火となって妻戸に燃え付きました、僧正は少しも騒がず、燃火に向かい灑水([特に密教の儀礼を 実行する前に、特別に準備した水を、その場所や器具を浄化するために注ぐこと])の印を結べば、猛火はたちまちに消えて妻戸は半ば焦げただけでした。この妻戸は今に伝わって山門(延暦寺)にあると聞いています。


続く


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# by santalab | 2017-04-02 08:19 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その16)

同じき年夏のすゑに、延暦寺第十三の座主、法性坊尊意ほふしやうばうそんい贈僧正、四明しめい山の上、十乗の床のまへに照観月、清心水おはしましけるに、持仏堂の妻戸を、ほとほととたたく音しければ、押し開いて見給ふに、過ぎぬる春筑紫にてまさしく薨逝こうせいし給ひぬと聞こへし菅丞相くわんしようじやうにてぞおはしましける。僧正あやしく思して、「先づこなたへ御入り候へ」と奉誘引、「さても御事は過ぎにし二月二十五日に、筑紫にて御隠れさふらひぬと、たしかにうけたまはりしかば、悲歎の涙を袖に懸けて、後生菩提ごしやうぼだいの御追善つゐぜんをのみまう候ふに、少しも不替元の御形にて入御じゆぎよ候へば、夢幻ゆめうつつの間難弁こそ思えて候へ」と被申ければ、菅丞相御顔にはらはらとこぼれ懸かりける御泪を押しのごはせ給ひて、「我成朝廷臣、為令安天下、暫く下生人間処に、君時平公しへいこうざんを御許容あつて、つひに無実の罪に被沈ぬる事、瞋恚しんいほむら従劫火盛んなり。依之これによつて五蘊ごうんの形は雖壊、一霊のしんは明らかにして在天。今得大小だいせう神祇しんぎ・梵天・帝釈・四王許、為報其恨九重ここのへ帝闕ていけつに近付き、我につらかりし佞臣ねいしん・讒者を一々に蹴殺さんと存ずるなり。その時定めて仰山門可被致総持法験。たとひ雖有勅定、相構あひかまへて不可有参内」と被仰ければ、




同じ年(延喜三年(903))の夏の末に、延暦寺第十三代座主、法性坊尊意贈僧正が、四明山(比叡山)の上、十乗([十乗観法]=[天台宗で、悟りの境地に至るために行われる十種の観法=意識を集中させ、特定の対象を心に思い描くことによって仏教の真理を直観的に認識しようとする修行])の床の前で月を見て、心を澄ましていると、持仏堂の妻戸を、とんとんと叩く音がしたので、押し開いて見れば、過ぎし春筑紫で薨逝したと聞いた菅丞相(菅原道真)でした。僧正はどういうことかと思い、「まずはこちらにお入りくだされ」と誘い入れて、「それにしてもそなたは過ぎし二月二十五日に、筑紫でお隠れになられたと、確かに聞いておれば、悲歎の涙を袖に懸けて、後生菩提([来世に極楽に生まれ変わること])の追善([追善供養]=[死者の冥福を祈って行う供養])をしておったのだが、少しも元に変わらぬのお姿であられる、夢幻とも弁え難く思われて」と申せば、菅丞相は顔にはらはらとこぼれ懸かる涙を押し拭い、「わたしは朝廷の臣となって、天下を安んじせしめるために、しばらく天下り人間に生まれるところに、君(第六十代醍醐天皇)は時平公(藤原時平ときひら)の讒により、終に無実の罪に沈みました、瞋恚([三毒・十悪の一。自分の心に逆らうものを怒り恨むこと])の炎は劫火([世界が滅亡するときにこの世のすべてを焼き尽くしてしまうと信じられている大火])のように盛んに燃え盛っております。これにより五蘊([諸存在を構成する物質的・精神的五つの要素。色・受・想・行・識])の姿は失うとはいえ、一霊の神([心])は明らかにして天にあります。今大小の神祇([神])・梵天([正法護持の神])・帝釈([梵天と並び称される仏法守護の主神])・四天王([仏教を守護する四神。帝釈天に仕え、須弥山の中腹にある四王天の主。東方の持国天・南方の増長天・西方の広目天・北方の多聞天])の許しを得て、その恨みに報じるため九重([宮中])の帝闕([皇居の周り])に近付き、我に辛く当たった佞臣([口先巧みに主君にへつらう、心のよこしまな臣下])・讒者([人をおとしいれようとして、事実に反する悪口を言う者])を一々に蹴殺ろうと思っております。その時定めて山門(延暦寺)に仰せてすべからく効験を召して法験を致しましょう。たとえ勅定があろうとも、決して参内なさらぬよう」と申しました、


続く


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# by santalab | 2017-04-01 08:57 | 太平記 | Comments(0)

    

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