Santa Lab's Blog


「落窪物語」巻四(その37)

北の方、いかに思ふらむと、泣き給へば、「文度々遣らねど、心長きたぐひなむある。よも愚かに思はじ。難げに心合はぬ気色したるぞ、賢くもあらぬことぞ。先づ君を例の懸想のやうにやは侘び焦られ聞こえし。思ひ出でて時々聞こえしかど、見染め奉りし後なむ、なほざりにて止みなましかばと悔しかりし。さ思ゆるぞをかしき」など語らひ給ひて、二所ながら、起きて、こなたにこなたにおはしぬ。




左大臣殿の北の方(落窪の君)は、四の君が結婚をどう思っているのか、心配になって泣いたので、左大将殿は「文を度々贈って結婚しなくとも、縁が続くことはあるものだ。そんなに心配することもあるまい。難しい顔をして心配しても、仕方のないことだ。第一わたしはあなたに普通の嘆きや恋焦がれての文を贈ったことがありましたか。思い出して時々文を贈ったが、あなたに逢って後に、疎かにも文を贈るのを止めていたらきっと後悔していただろう。そう思えば何とも言えないが」などと話して、二人で、起きて、四の君の許(西の対)を訪ねました。


続く


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# by santalab | 2013-08-27 07:25 | 落窪物語 | Comments(0)


「平家物語」千手前(その9)

この心をきつ相公しやうこうの詩に作れるを、三位中将今思ひ出で、口ずさび給ふにや、いとやさしうぞ聞こえし。さるほどに夜も明けければ、狩野かのの介いとままうして罷り出づ。千手のまへかへりけり。そのあした兵衛ひやうゑすけ殿は、持仏堂ぢぶつだう法華経ほけきやう読うでおはしけるところへ、千手の前帰りまゐりたり。兵衛ひやうゑすけ殿うちみ給ひて、「さてもゆふ仲人ちうじんをば、おもしろうもしつるものかな」とのたまへば、斎院さいゐん次官じくわん親義ちかよし、御まへに物書いてさふらひけるが、「何事にて候ふやらん」とまうしければ、佐殿のたまひけるは、「平家の人々は、この二三か箇年は、いくさ合戦の営みのほかは、また他事あるまじきとこそ思ひしに、さても三位中将の琵琶びはのばち音、朗詠らうえいの口ずさび、夜もすがら立ち聞きつるに、いうにやさしき人にておはしけり」とのたまへば、親義申しけるは、「たれも夕べうけたまはりたく候ひしかども、折節をりふしあひ労はることの候ひて、承らず候ふ。この後は常に立ち聞き候ふべし。平家は代々歌人才人たちにて渡らせ給ひ候ふ。先年あの人々を、花に例へて候ひしには、この三位中将殿をば、牡丹の花に例へて候ひしか」とぞ申しける。三位中将の琵琶のばち音、朗詠の口ずさみ、兵衛の佐殿、後までもありがたきことにぞのたまひける。その後中将ちうじやう南都へ渡されて、斬られ給ひぬと聞こえしかば、千手の前は、中々物思ひの種とやなりにけん、やがて様を変へ、濃き墨染めにやつれ果てて、信濃の国善光ぜんくわう寺に行ひ済まして、かの後世ごせ菩提を、とぶらひけるぞあはれなる。




この気持ちを橘相公(橘広相ひろみ)が詩にしたためたことを、三位中将(平重衡しげひら。清盛の五男)は今思い出して、口ずさむ声は、とても趣深く聞こえました。やがて夜も明けて、狩野介(狩野宗茂むねもち)は出て行きました。千手前も帰りました。その日の朝兵衛佐殿(源頼朝)は、持仏堂([持仏や先祖の位牌を安置しておく堂])で法華経を唱えていましたが、千手前が帰って来ました。頼朝は微笑んで、「それにしても夕べ仲人(源平の仲立ちとなる人の意か)を、楽しませてくれたそうだな」と言うと、斎院次官の親義は、御前で物書きをしていましたが、「何かありましたか」と申せば、頼朝が言うには、「平家の者たちは、この二三年は、戦合戦のほかは、何もしなかったと思っていたのに、それにしても重衡の琵琶のばち音、朗詠([歌])の声、夜通し立ち聞きしておったが、とても優雅な人だな」と言うと、親義が申すには、「わたしも話を聞いておりましたが、ちょうど体の調子がすぐれなくて、伺うことができませんでした。後は立ち聞きしてみましょう。平家は代々歌人才人([学問・芸能に優れた人])の家系です。先年平家の者たちを、花に例えていましたが、重衡殿は、牡丹の花に例えられました」と申しました。重衡の琵琶のばち音、朗詠の声、頼朝は、後までもありがたいことだと言いました。その後重衡は南都([奈良])へ移されて、斬られたと聞こえたので、千手前は、思い悩む種となったのか、やがて様を変え、濃い墨染めの僧衣姿となって、信濃国の善光寺(今の長野県長野市にある寺院)で出家して、重衡の菩提([死後の冥福])を、弔うことこそあわれなことでした。


続く


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# by santalab | 2013-08-27 07:21 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」千手前(その8)

宗茂むねもちが飲む時に、琴をぞ弾きすましたる。三位中将、「普通にはこのがくをば、五常楽ごしやうらくと言へども、今重衡がためには、後生楽ごしやうらくとこそくわんずべけれ。やがて往生わうじやうきふを弾かん」とたはぶれ、琵琶びはを取り、転手てんじゆを捩ぢて、わうじやうの急をぞ弾かれける。かくて夜もやうやう更け、よろづ心の澄むままに、「あな思はずや、あづまにもかかるいうなる人のありけるよ。それ何事にても今一こゑ」とのたまへば、千手のまへ重ねて、「一樹の陰に宿り合ひ、同じ流れを結ぶも、皆これ前世ぜんぜの契り」と言ふ白拍子しらびやうしを、まことにおもしろう数へたりければ、三位中将も、「ともしび暗うしては、数行すかう虞氏ぐしなんだ」と言ふ朗詠らうえいをぞせられける。たとへばこの朗詠の心は、昔唐土もろこしに漢の高祖かうそとその項羽かううくらゐを争ひ、合戦すること七じふ二度、戦ひごとに項羽勝ちぬ。されどもつひには、項羽戦ひ負けて亡びし時、すゐと言ふむまの一日に千里を飛ぶに乗つて、虞氏ぐしと言ふ后とともに、逃げさらんとし給へば、馬いかが思ひけん、足を整へて働かず。項羽涙を流いて、我が威勢ゐせいすでに廃れたり。 かたきの襲ふは事の数ならず。ただこの后に別れんことをのみ、嘆き悲しみ給ひけり。灯暗うなりしかば、虞氏心細さに涙を流す。更け行くままには、軍兵ぐんびやう四面に時を作る。




宗茂(狩野宗茂)が酒を飲んでいると、千手前は琴を弾きました。三位中将(平重衡しげひら。清盛の五男)は、「この曲は、五常楽([雅楽])を言うが、今わたしには、後生楽のように聞こえる。すぐに往生の急を弾こう」とふざけて、琵琶を手にとって、転手([弦巻き])を捩じって、皇じょう([舞楽曲らしい])の急を弾きました。こうして夜もようやく更けて、重衡はすべて心のままに、「思わなかったことだが、東国にこのような心やさしい人があるものだ。さあ何かもう一曲」と言うと、千手前は琵琶に合わせて、「一樹の陰に宿り合い、同じ流れに集まるのも、皆前世の契りなのです」という白拍子([歌舞。今様など])を、趣きをもって続けたので、重衡も、「灯暗、数行虞氏之涙」という歌を歌いました。この歌の心は、昔中国に漢の高祖(劉邦。前漢朝の初代皇帝)と項羽(劉邦と協力して秦を倒した後、楚王となり天下を争った)と帝位を争い、合戦すること七十二回、戦う度に項羽が勝ちました。けれども最後は、項羽が戦い負けて、騅という一日に千里(この一里は400mですから400kmですが、そんなに走れる馬はいません)を走る馬に乗って、虞氏(虞美人)という后(愛人だったらしい)とともに、逃げようとしましたが、馬(騅)は何を思ったのか、足をそろえて動おうとしませんでした。項羽は涙を流して、わたしの威勢もすでに廃れた。敵が襲ってきたところで大したことはない。ただ后(虞美人)と別れることを、悲しみました。あたりが暗くなると、虞美人も心細くなって涙を流しました。夜が更けると、軍兵が四面に時の声を上げました(項羽は籠城しましたが、その時四方から項羽の故郷である楚国の歌が聞こえてきました。これを聞いた項羽は、劉邦は項羽の故郷である楚の民を味方につけた、わたしには逃げる場所がないと悟ったそうです。ここから生まれたのが、[四面楚歌]=[助けがなく孤立すること]が生まれたそうです)。


続く


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# by santalab | 2013-08-25 07:45 | 平家物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その36)

夜うち更けて、帥いましける。少将、しるべして導き入れつ。四の君、人も、言ふ甲斐かひなくもあらず、この殿も、かく居立ちて、し給へば、叶ふまじかりけると思ひなしてなむ、出で給ひける。手当たり、気配けはひなどのかしげなれば、うれしと思ひけり。聞い給ひけむことは、聞かねば、書かず。明けぬれば、出で給ひぬ。




夜が更けてから、帥殿(四の君の夫)が左大臣殿にやって来ました。少将(故大納言の三男)が、先に立って帥殿を西の対屋に招き入れました。四の君は、帥殿の人柄も、申し分なく、左大臣殿さえもが、立って、あれこれ帥殿の世話をするので、四の君もじっとしていられないと思って、帥殿の御前に参りました。手当たり([手に触れた感じ])、感じなどとてもよかったので、四の君はうれしく思いました。帥が四の君に話したことは、聞かなかったので、書けません。夜が明けると、帥殿は帰って行きました。


続く


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# by santalab | 2013-08-25 07:34 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その35)

三四日になりて、西の対に、我もろともに渡り給ひぬ。御供の人々、萎えたる、御装束一具よろひづつ賜ふ。人ずくななりとて、我が御人、童一人、大人三人、下仕二人と、渡し給ふ。装束ども、しつらひたる儀式、いと目安し。母北の方、異同胞はらからたち、ただここになむ来ける。暮れゆくままに、出で入り、急ぎ給ふ。兄人せうとの少将、かたじけなくうれしと思ふ。




四の君が左大臣殿に渡ってから三四日が過ぎ、西の対屋([離れ])に、帥(四の君の夫)とともに移りました。四の君の供の者たちの、衣装が古かったので、左大臣殿は装束を一揃えずつ与えました。左大臣殿の北の方(落窪の君)は四の君を世話する者たちが少ないと、自分が使っていた、女童一人、大人(女房)三人、下仕え([院の御所や親王家・摂家などに仕えて雑用を務めた女])二人を、西の対屋に行かせました。装束、準備した儀式の品々は、とてもいいものでした。母である北の方、落窪の君の異母兄弟たちが、左大臣殿にやって来ました。日が暮れるにつれ、左大臣殿は忙しく出入りし、準備を急ぎました。落窪の君の弟である少将は、ありがたくうれしく思いました。


続く


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# by santalab | 2013-08-24 07:53 | 落窪物語 | Comments(0)


「平家物語」千手前(その7)

それ何事にてもまうして、しゆを進め奉り給へ」と言ひければ、千手のまへ、酌をさし置き、「羅綺らき重衣ちよういたる、情けなきことを機婦きふねたむ」と言ふ朗詠らうえいを、一両返りやうへんしたりければ、三位中将、「この朗詠をせん人をば、北野の天神、毎日三度翔けつて、まぼらんと誓はせ給ふとなり。されども重衡は、今生こんじやうにては、はや捨てられ奉たる身なれば、助音じよいんしても何かせん。ただし罪障ざいしやう軽みぬべきことならば、従ふべし」とのたまへば、千手のまへやがて、「十悪じふあくと言へどもなほ引摂いんぜふす」と言ふ朗詠をして、「極楽願はん人は、皆涙の名号みやうがうを唱ふべし」と言ふ今様いまやうを、四五遍歌ひすましたりければ、その時中将ちうじやうさかづきかたぶけらる。千手の前賜はつて狩野かのの介に差す。




何でもおっしゃって、お酒をどうぞ」と言うと、千手前は、酌を置いて、「羅綺([薄衣と綾衣])の重衣([薄衣や綾衣の衣服でさえ重たそうに見えるというところから、なよなよとした女性の様])を無情に思って機婦(機織りのことらしい)を恨む」という朗詠([歌])を、一つ歌うと、三位中将(平重衡しげひら。清盛の五男)は、「この歌を歌った者を、北野天神(今の京都市上京区にある神社。主祭神はあの菅原道真)は、一日に三度翔けて、守ると誓ったそうだ。けれどもわたしは、今生([この世])では、すでに捨てられた身だから、助音([朗詠で、歌う人を助けて、声を添えて歌うこと])したところで仕方がない。それでも罪障([往生・成仏の妨げとなる悪い行為])が少しでも軽くなるなら、共に歌おう」と言いました、千手前はすぐに、「十悪([十の罪悪])といえども引摂([人の臨終の時、阿弥陀仏が来迎して極楽浄土に導くこと])してくださる」という歌を歌って、「極楽を願う人は、皆涙を流し名号([仏の名])を唱えなさい」という今様([新様式の歌謡])を、四五遍歌い終わると、その時重衡は酒を飲みました。千手前は杯を受け取って狩野介(狩野宗茂むねもち)に杯を渡して酒を注ぎました。


続く


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# by santalab | 2013-08-24 07:50 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」千手前(その6)

そのゆふべ雨少し降つて、よろづものさびしげなる折節をりふしくだん女房にようばう琵琶びは琴持たせてまゐりたり。狩野かのの介も、いへの子郎等らうどうじふ余人引き具して、中将ちうじやう殿の御まへ近うさふらひけるが、しゆを勧め奉る。千手のまへ酌をとる。中将少し受けて、いときようなげにておはしければ、狩野のの介まうしけるは、「かつ聞こし召されてもやさふらふらん。宗茂むねもちは、もと伊豆いづの国の者にて候へば、鎌倉では旅にて候へども、心の及ばんほどは奉公仕り候ふべし。何事も思し召すことあらば、うけたまはつてまうせと、兵衛ひやうゑすけ殿おほせ候ふ。




その日の夕方に雨が少し降って、何事にも心細くなる頃、あの女房(千手前)が、琵琶と琴を持ってやって来ました。狩野介(狩野宗茂むねもち)も、家の子([子息])郎等([家来])十人余りを引き連れて、中将殿(平重衡しげひら。清盛の五男)の御前近くに来て、酒を勧めました。千手前が酌をしました。重衡は少し受けただけで、あまり楽しくない様子でしたので、宗茂はが申すには、「すでにお聞きになっているかもしれません。わたしは、もとは伊豆国(今の静岡県の伊豆半島、伊豆諸島)の者ですから、鎌倉は旅先ですが、心の及ぶ限り奉公仕りたいと思います。何事でも思うことあれば、承るようにと、兵衛佐殿(源頼朝)より仰せ遣っております。


続く


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# by santalab | 2013-08-23 07:28 | 平家物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その34)

左の大臣おとど、待ち受け給ひて、対面し給ひて、あるべき事ども申し給へど、中々、初めよりも、はしたなく恥づかしう思えて、御いらへも、をさをさ聞こえ給はず。この北の方の三つが妹にて、二十五になむおはしける。面白の駒は、十四にて婿取りて、十五にて子生み給へりける。この北の方は二十八になむおはしける。




左大臣殿は、四の君を待ち受けて、対面し、話しておくべきことを四の君に伝えました、四の君は、最初の結婚ではなかったので、きまり悪く恥ずかしく思えて、返事も、満足にできませんでした。四の君は左大臣殿の北の方(落窪の君)より三歳下の妹で、二十五歳でした。面白の駒とは、十四歳で婿取りして、十五で子を生みました。北の方は二十八歳でした。


続く


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# by santalab | 2013-08-23 07:20 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その33)

大人二人、童一人、御供にはありける。御娘は十一にて、いとをかしげなり。行かめほしと思ひたるを、見苦しからむとて、とどむるを、いと悲しく、うち泣かれぬ。




大人(女房)二人、女童一人を、供に付けました。四の君の娘は十一歳で、とても美しい娘でした。母に付いて行きたいと思いましたが、北の方が結婚に不都合だと、止めたので、娘はとても悲しくて、泣いていました。


続く


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# by santalab | 2013-08-22 07:26 | 落窪物語 | Comments(0)


「平家物語」千手前(その5)

その後に、じふ四五ばかんなるわらはの、かみあこめだけなりけるが、紺村濃こむらご帷子かたびら着て、半挿はんざふたらひに櫛入れて持つてまゐりたり。この女房にようばう介錯にて、やや久しう御湯引かせ奉り、髪洗ひなんどして、いとままうして出でけるが、「をとこなんどは事なうもぞ思し召す。をんなは中々苦しかるまじとて、鎌倉殿より参らせられてさぶらふ。何事も思し召すことあらば、うけたまはつてまうせとこそ、兵衛ひやうゑすけ殿はおほさぶらひつれ」。中将ちうじやう、「今はかかる身となつて、何事をか思ふべき。ただ思ふこととては、出家ぞしたき」とのたまへば、かの女房にようばうかへまゐつて、兵衛の佐殿にこの由を申す。兵衛の佐殿、「それ思ひもよらず。わたくしのかたきならばこそ。朝敵てうてきとしてあづかり奉たれば、叶ふまじ」とぞのたまひける。かの女参つて、三位中将殿にこの由を申し、いとま申して出でければ、中将、守護の武士にのたまひけるは、「さてもただ今の女房にようばうは、いうなりつる者かな。名をば何と言ふやらん」と問ひ給へば、狩野かのすけ申しけるは、「あれは手越てごし長者ちやうじやが娘で候ふが、見目かたち、心ざま、優にわりなき者とて、この二三箇年は、佐殿に召し置かれて候ふ。名をば千手のまへと申し候ふ」とぞ申しける。




その後に、十四五歳ばかりの女の童([少女])、袙([女子の中着])だけで、その上に紺村濃([地は薄い紺色で、所々を濃い紺色に染めたもの])の帷子([単衣の着物])を着て、半挿たらい([口や手を洗ったり、渡し金=板をしてお歯黒をつけるときに用いた小さなたらい])に櫛を入れて持って来ました。この女房が世話をして、お湯につからせ、髪を洗ってから、湯殿を出て行きましたが、「男ならばすぐに用意できますが、女は難しいことなので、鎌倉殿(源頼朝の殿)より参った者でございます。何か用事がありましたら、お仕えするよう、兵衛佐殿(源頼朝)より仰せ遣っております」と言いました。中将(平重衡しげひら。清盛の五男)は、「今はこのような身になって、何も思うことはない。ただ願うのは、出家したいということだ」と言うと、この女房は帰って、頼朝にこれを話しました。頼朝は、「それは思いもよらなかったことだ。わたしの敵であれば叶えてあげたいが。朝敵として預かった者であれば、叶えることはできまい」と言いました。女は戻って、三位中将殿(重衡)にこれを伝えて、出ていきましたが、重衡が、守護の武士に言うには、「それにしても今の女房は、心優しい者だな。名を何というのだ」と問うと、狩野介(狩野宗茂むねもち)が申すには、「あの女房は手越(今の静岡県静岡市)の長者の娘ですが、顔かたち、心使いが、優れていたので、この二三年、佐殿(頼朝の殿)に召し置かれているのです。名を千手前(駿河国手越宿の遊女で、頼朝の北の方北条政子の女房だったらしい)と申します」と答えました。


続く


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# by santalab | 2013-08-22 07:23 | 平家物語 | Comments(0)

    

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