Santa Lab's Blog


「落窪物語」巻三(その71)

御杖の、

八十坂を 越えよと伐れる 枝なれば 突きてを上れ 位山にも

などなむありけり。




杖には、

八十やその坂を、越えてほしいと自ら刈った枝で作った杖です。どうかこの杖を突いて上ってください、一番高い位(太政大臣・左大臣)までも。

などと書かれていました。


続く


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# by santalab | 2013-07-13 08:25 | 落窪物語 | Comments(0)


「平家物語」首渡(その5)

何としてかは離れさせ給ひてさふらひけるやらん、その中に備中びつちうかうの殿ばかりこそ、今度一の谷にて討たれさせ給ひて候へ』と語りまうし候ひしほどに、さて三位中将殿の御事は、いかにと問ひ候ひつれば、『それはいくさ以前より、大事の御労はりとて、讃岐の屋島へ渡らせ給ひて、この度は向かはせ給はず』と、申す者にこそ会うて候ひつれ」と、細々と語り申したりければ、北の方、「それもわれらがことを心苦しう思ひ給ひて、朝夕あさゆふ嘆かせ給ふが、やまふとなつたるにこそ。風の吹く日は、今日けふもや船に乗り給ふらんと肝を消し、戦と言ふ時は、ただ今もや討たれ給ひぬらんと心を尽くす。まして左様さやうの御労はりなんどをば、たれか心安うあつかひ奉るべき。それをくはしう聞かばや」とのたまへば、若君姫君も、「などなにの御労はりとは問はざりけるぞ」とのたまひけるこそあはれなれ。




どうして戦から離れたのでしょうか、その中で備中守殿(平師盛もろもり。維盛の異母弟)だけが、今度一の谷で討たれたのでしょうか』と北の方(妻)が聞くと、斎藤五は、三位中将殿(平維盛)は、どうなったかと訊ねると、『維盛殿は戦の前から、重い病気になって、讃岐の屋島(今の香川県高松市)に渡ったので、この度の戦には出陣していないそうです』と、詳しく話しました。北の方は、「それはわたしたちが心苦しく思って、朝夕嘆いていたので、維盛は病気になったのでしょう。風の吹く日は、今日にも船に乗って戦に出ていくのではないかと肝を潰し、戦があると聞けば、今にも討たれるのではないかと心の底から心配するのです。ましてやそのような重い病気になろうとは、いったい誰が安心するというのでしょうか。病気のことを詳しく聞きたいのです」と言えば、維盛の若君姫君も、「いったいどのような病気なのか聞きたい」と言ったので憐れに思ったのでした。


続く


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# by santalab | 2013-07-13 08:22 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」首渡(その4)

御兄弟ごきやうだいの御中には、備中びつちうかうの殿の御首ばかりこそ、見えさせ給ふらひつれ。そのほかは、そんぢやうその首、その御首」とまうしければ、北の方、「それも人のうへとは思えず」とて、ひきかづいてぞ臥し給ふ。ややあつて、斎藤五涙を抑へてまうしけるは、「この一両年いちりやうねんは隠れさふらひて、人にもいたう見知られ候はねば、今しばらく候ひて、見まゐらせたう存じ候ひつれども、世に案内くはしう知りたる者の申し候ひしは、『今度のかつせんに、小松殿の公達たちは、あはせ給はず。そのゆゑは、播磨と丹波のさかひなる、三草みくさの手を固めさせ給ひ候ひけるが、九郎義経に破られて、新三位ざんみ中将ちうじやう殿、同じき少将せうしやう殿、丹後たんご侍従じじう殿は、播磨の高砂より御船に召して、讃岐の屋島へ渡らせ給ひ候ひぬ。




維盛の兄弟の中では、備中守殿(平師盛もろもり。維盛の異母弟)の首が、掛けられていました。そのほかには、存じ上げる方の首、だれそれの首」と話したので、維盛の北の方(妻)は、「とても他人事とは思えません」と言って、着物を引きかぶって臥せってしまいました。少したって、斎藤五は涙を抑えて申すには、「この一年ほどはここに隠れ住んでいただいて、人にもまったく知られなくなれば、様子を見て、維盛殿を探しに行きたいと思いますが、世間の事情をよく知った者が言うには、『今度の合戦(一の谷)に、小松殿(維盛)の人たちは、遭遇していないとのことです。その訳は、播磨(今の兵庫県南西部)と丹波(今の京都府中部と兵庫県北東部あたり)の境にあります、三草山(今の兵庫県加東市にある山)を固めていたそうですが、九郎義経(源義経)に破られて、新三位中将殿(平資盛すけもり。維盛の同母弟)、同じく少将殿(平有盛ありもり。維盛の異母弟)、丹後侍従殿(平忠房ただふさ。維盛の異母弟)は、播磨の高砂(今の兵庫県高砂市)より船に乗って、讃岐の屋島(今の香川県高松市)に渡られたそうです。


続く


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# by santalab | 2013-07-12 07:20 | 平家物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻三(その70)

十二月、山に雪いと高く降れる家に、女ながめて居たり。

雪深く 積もりてのちは 山里に ふりはへて来る 人のなきかな




十二月、山に雪が高く積もり雪の降る家から、女が外を眺めています。

雪がこんなに深く、積もっているので、山里にわざわざ([振りへ])訪ねて来る人もいないでしょう。


続く


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# by santalab | 2013-07-12 07:11 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻三(その69)

十一月、

  よろづよを経て 君に仕へむ




十一月、

万世までも、君(右大臣)に仕えましょう。


続く


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# by santalab | 2013-07-11 07:00 | 落窪物語 | Comments(0)


「平家物語」首渡(その3)

今度平氏の首大路おほちを渡されざらんにおいては、自今じこん以後なんの勇みあつてか凶徒きようとを退けんや」と、しきりにうつたまうされければ、法皇ほふわう力及ばせ給はず、つひに渡されけり。見る人幾千万いくせんばんと言ふ数を知らず。帝闕ていけつに袖を連ねしいにしへは、怖ぢ恐るるともがらおほかりき。ちまたにかうべを渡さるる今は、またあはれみ悲しまずと言ふことなし。中にも大覚だいかく寺に隠れ給へる、小松の三位中将維盛これもりきやうの若君、六代御前につき奉りける斎藤五、斎藤六、あまりのおぼつかなさに、様をやつして見ければ、御首どもは、皆知り奉りたれども、三位中将殿の御首は見え給はず。されどもあまりの悲しさに、包むに堪へぬ涙のみ茂かりければ、余所の人目も恐ろしくて、急ぎ大覚寺へぞかへまゐりける。北の方、「さていかにやいかに」と問ひ給へば、「人々の御首どもは、皆見知り奉たれども、三位中将殿の御首は、見えさせ給ひさふらはず。




今平氏の首を大路に渡されないのでしたら、今後どうして勇気を持って凶徒([悪行を働く者])を退治できましょうか」と、何度も訴えを申したので、後白河院も仕方ないと思って、平家の首を大路に渡されました。見る人多く数えることもできないほどでした。平家の者たちが宮中に袖を並べた昔は、平家をおびえ恐れる者も多かったのでした。世間に首を晒される今となっては、憐れみ悲しまれるのは言うまでもありませんでした。中でも大覚寺に隠れ住む、小松三位中将維盛卿(平維盛)の若君、六代御前に仕える斎藤五、斎藤六は、あまりに心配になって、姿を変えて見にいくと、首は、皆知った者でしたが、三位中将殿(維盛)の首はありませんでした。けれどもあまりにも悲しくて、袖に包めないほど涙があふれ出て、他人の目も不安になったので、急いで大覚寺へ帰ってきました。維盛の北の方(妻)は、「どうでしたか維盛はいましたか」と聞きました、斎藤たちは、「首は、皆知った者でしたが、維盛の首は、ありませんでした。


続く


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# by santalab | 2013-07-11 06:56 | 平家物語 | Comments(0)


「平家物語」首渡(その2)

法皇ほふわう、このこといかがあらんずらんと、思し召しわづらはせ給ひて、太政だいじやう大臣、左右さうの大臣、内大臣、堀河ほりかはの大納言忠親ただちかの卿におほせ合はせらる。五人の公卿申されけるは、「昔より卿相けいしやうくらゐに至る人の首、大路おほちを渡さるること先例なし。中にもこのともがらは、先帝の御時より戚里せきりしんとして、久しく朝家てうかに仕うまつる。範頼はんらい義経ぎけい申状まうしじやう、あながちに御許容ごきよようあるべからず」と申されければ、渡さるまじきに定められたりしかども、範頼義経重ねて奏申しけるは、「保元ほうげんの昔を思へば、祖父そぶ為義ためよしあた平治へいぢいにしへを案ずるに、父義朝よしともかたきなり。されば君の御いきどほりを安め奉り、父のはぢを清めんがために、命を捨てて朝敵てうてきを滅ぼす。




後白河院は、どう扱ったらよいものかと、思い悩んで、太政大臣(藤原師長もろなが治承ぢしよう三年の政変(1179)により解官となり、「玉葉」を書いた九条兼実かねざねが1190年に就くまでは、太政大臣は不在でした)、左右の大臣(当時の左大臣は、藤原経宗つねむね。右大臣は、九条兼実)、内大臣、堀河大納言忠親卿(藤原忠親)に意見をお聞きになりました。五人の公卿が申すには、「昔より卿相([公卿]=[大臣、納言、参議および三位以上])の位についた者の首が、大路に渡された先例はありません。中でもこの者たちは、先帝(安徳天皇)の御時より戚里([天皇の母方の親類。天皇の外戚])の者として、長い間朝廷に仕えた者たちである。範頼義経の申状([申文]=[下位の者から上位の者へ、願い事などを書いて差し出す文書])はお受けになってはいけません」と申したので、首を渡さぬようお決めになりましたが、範頼義経が重ねて奏上するには、「保元(保元の乱)の昔を思えば、祖父為義(源為義。義朝の父であったが敵味方に分かれて義朝に降伏するが、最後は義朝によって斬首された)、平治(平治の乱)のいにしえを思いだすと、父義朝(源義朝。保元の乱では平清盛とともに後白河院につき、平治の乱では二条天皇についた清盛の敵となり最後は討たれた)の敵でした。ならば後白河院のいきどおりを鎮めて、父の恥を清めるためにも、命を捨てて朝敵を滅ぼしたのです。


続く


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# by santalab | 2013-07-10 06:57 | 平家物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻三(その68)

十月、紅葉もみぢいとおもしろき中を行くに、散りかかれば、仰ぎて立てり。

旅人の ここに手向くる 幣なれや 秋過ぎて散る 山の紅葉葉




十月、紅葉がとても美しい木立の中を行くと、紅葉葉が散りかかったので、人が仰ぎ見て立ち止まっています。

旅人が、ここに手向けた、ぬさ([旅の無事を祈って贈るもの])なのでしょうか、秋が過ぎて(陰暦十月の季節は冬)散る、山の紅葉葉は。


続く


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# by santalab | 2013-07-10 06:47 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻三(その67)

九月、白菊多く咲きたる家を見る。

時ならぬ 雪とや人の 思ふらむ まがきに咲ける 白菊の花




九月、白菊がたくさん咲いている家を見ています。

季節外れの、雪と、見間違うほどに、まがき([竹や柴などで目を粗く編んだ垣根])に咲いた、白菊の花です。


続く


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# by santalab | 2013-07-09 07:14 | 落窪物語 | Comments(0)


「平家物語」首渡(その1)

寿永じゆえい三年二月七日、摂津国一の谷にて討たれ給ひし平氏の首ども、十二じふに日に都へ入る。平家に結ぼれたりし人々は、今度我が方様に、いかなる憂きことをか聞き、いかなる憂き目をか、見んずらんと、嘆き合ひ悲しみ合はれけり。中にも大覚だいかく寺に隠れ給へる小松の三位中将維盛これもりきやうの北の方は、いとどおぼつかなう思はれけるに、今度一の谷にて、一門の人々残り少なに討ちなされ、今は三位中将と言ふ公卿くぎやう一人いちにん、生捕りにせられて上るなりと聞き給ひて、この人離れ給はじ者をとて、もだえ焦がれ給ひけり。ある女房にようばうの大覚寺にまゐつてまうしけるは、「三位中将殿とは、これの御事にてはさぶらはず、本三位中将殿の御事なり」と申しければ、さては首どもの中にこそあるらめとて、なほ心安うも思ひ給はず。同じき十三じふさん日、大夫たいふの判官仲頼なかより以下いげ検非違使けんびゐしども、六条ろくでう河原かはらに出で向かつて、平氏の首ども受け取り、ひんがし洞院とうゐんを北へ渡いて、獄門の木に掛けらるべき由、範頼のりより義経奏聞す。




寿永三年(1184)二月七日に、摂津国一の谷(今の兵庫県神戸市須磨区)にて討たれた平氏の首が、十二日に都へ着きました。平家に縁のある者たちは、今度は平家の者たちの、どんな心苦しいことを聞き、どのような悲しい目を、見たのだろうと、嘆き合い悲しみ合いました。中でも大覚寺(今の京都市右京区にある寺)に隠れている小松三位中将維盛卿(平維盛。清盛の嫡孫)の北の方(妻)は、さらに不安に思っていましたが、今度一の谷で、平家一門の者たちは残り少なくなるほど討ち捕られて、今度三位中将の公卿が一人、生捕りになって京に上ってくると聞いて、この人はわたしの夫(小松三位中将維盛)に違いないと思って、思いわずらわないではいられませんでした。ある女房が大覚寺に参って北の方に申すには、「三位中将殿というのは、あなたの夫ののことではありませんでした、本三身中将殿(平重衡しげひら。清盛の五男)ということです」と話しました、維盛の北の方は、ならば首の中に夫はいるのでしょうかと、やはり不安なままでした。同じ十三日、大夫判官仲頼以下の検非違使たちが、六条河原に出かけて、平氏の首を受け取り、東洞院通り(南北の通り。今、北は丸太町通から南は京都駅まで)を北に進んで、獄門の木に首をかけるよう、範頼(源範頼。頼朝の異母弟、義経の異母兄)義経(源義経。頼朝の異母弟)が後白河院に奏上しました。


続く


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# by santalab | 2013-07-09 07:00 | 平家物語 | Comments(0)

    

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