されども牛若かかる所のある由を聞き給ひ、昼は学問をし給ふ体にもてなし、夜は日頃一所にてともかくもなり参らせんと申しつる大衆にも知らせずして、別当の御護りに参らせたる敷妙と言ふ腹巻に黄金作りの太刀帯きて、ただ一人貴船の明神に参り給ひ、念誦申させ給ひけるは、「南無大慈大悲の明神、八幡大菩薩」と掌を合はせて、源氏を守らせ給へ。宿願誠に成就あらば、玉の御宝殿を造り、千町の所領を寄進し奉らん」と祈誓して、正面より未申に向かひて立ち給ふ。四方の草木をば平家の一類と名付け、大木二本ありけるを一本をば清盛と名付け、太刀を抜きて、散々に切り、懐より毬杖の玉の様なる物を取り出だし、木の枝にかけて、一つをば重盛が首と名付け、一つをば清盛が首と緒懸けられける。かくて暁にもなれば、我が方に帰り、衣引き被きて臥し給ふ。人これを知らず。
けれども牛若はそういう場所があることを聞いて、昼は学問をする振りをし、夜になると日頃は一所で死のうと話し合う大衆([僧])たちにも知らせずに、熊野別当を守るために持って来た敷妙(寝床に敷く布の意)と言う腹巻([簡素な鎧])に黄金作りの太刀([太刀の金具を金銅づくりにしたもの])を身に付け、ただ一人貴船明神に参り、祈り申すには、「南無大慈大悲の貴船明神、八幡大菩薩とともに、源氏をお守りください。宿願が成就しましたならば、玉の宝殿([寝殿])を造り、千町(300万坪)の所領([領地])を寄進いたしましょう」と祈誓して、正面より未申([南西])に向かって立ちました。四方の草木に平家一類([一族])の名を付けて、大木が二本ありましたので一本には清盛(平清盛)と名付け、太刀を抜いて、散々に切り、懐から毬杖の玉([木毬])のような物を取り出して、木の枝にかけて、一つは重盛(平重盛。清盛の嫡男)の首と名付け、一つは清盛の首と付けて括り付けました。こうして夜明け前になると、宿坊に帰り、衣を引きかぶって眠りました。他の者はこれを知りませんでした。
(続く)