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「平家物語」戒文(その3)

されども時の大将軍たいしやうぐんにてさふらひしあひだ、責め一人いちじんすとかやまうし候ふなれば、重衡しげひら一人いちにん罪業ざいごふにこそなりさふらひぬらめと思え候ふ。今またかれこれはぢを晒すも、しかしながらその報いとのみこそ思ひ知られて候へ。今は髪を剃り、乞食こつじき頭陀づだぎやうをもして、ひとへに仏道ぶつだう修行しゆぎやうしたく候へども、かかる身に罷りなつて候へば、心に心をも任せ候はず。いかなる行をしゆしても、一業いちごふ助かるべしとも思えぬことこそ口しう候へ。つらつら一生いつしやうの所業を案ずるに、罪業は須弥しゆみよりも高く、善根ぜんごん微塵みぢんばかりもたくはへなし。かくて命空しうはり候ひなば、火血刀くわけつたう苦果くくわ、敢へて疑ひなし。願はくは、上人しやうにん慈悲を起こし、あはれみを垂れ給ひて、かかる悪人の助かりぬべき方法ほうぼふ候はば、示し給へ」と申されければ、上人涙にむせびうつ伏して、しばしはとかうのことものたまはず。




けれども大将軍でしたので、責めは一人に与えられると申しますから、わたし重衡(平重衡。平清盛の五男)一人の罪業([罪となる悪い行い])になるものと覚悟しております。今またあちこちで恥を晒すのも、その報いと思い知らされているのです。今は髪を剃り、乞食となり頭陀の行([僧が修行のために托鉢して歩くこと])もして、ひたすら仏道の修行をしたいと思っておりますが、捕らわれの身となって、思うままに身を任せません。またどのような修行をしたところで、一業([一業所感]=[同一の善悪の業ならば同一の果を得るということ])なれば助かるとも思えないことが残念です。あれこれと一生の所業を考えますと、我が罪業は須弥山([世界の中心にそびえるという高山])よりも高く、善根([よい報いを招くもとになる行為])は微塵もありませんでした。このまま空しく命を終えれば、火血刀([火途くわづ・血途・刀途の三途。地獄・畜生・餓鬼の三悪道])の苦果([過去の悪業の報いとして受ける苦しみ])を受けることは、まったく疑いのないことです。願わくは、上人(法然)が慈悲の心を起こし、憐みの心をもって、わたしのような悪人が助かる方法がございますれば、お示しいただきたい」と申すと、上人は涙にむせびうつ伏して、しばらく何も言えませんでした。


続く


by santalab | 2013-08-05 05:49 | 平家物語

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