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Santa Lab's Blog


「平家物語」戒文(その5)

ただし往生わうじやう得否とくふは、信心の有否いうぶに依るべし。ただこのをしへを深く信じて、行住坐臥ぎやうぢうざぐわ時所所縁じしよしよえんを嫌はず、三業さんげふ四威儀しゐぎにおいて、心念口称しんねんくしようを忘れ給はずは、畢命ひつみやうとして、この苦域くゐきの界を出でて、かの極楽浄土ごくらくじやうどの不退のに往生し給はんこと、何の疑ひかあらんや」と教化けうげし給へば、三位中将なのめならずよろこび、「願はくは、このついでに戒を保たばやとは存じさふらへども、出家仕らでは叶ひ候ふまじや」とまうされたりければ、上人しやうにん、「出家せぬ人も、戒を保つことは常の習ひなり」とて、ひたひに剃刀を当て、剃る真似をして、十戒じつかいさづけらる。中将ちうじやう随喜ずゐきの涙を流いて、これを受け持ち給ふ。上人もよろづあはれに思えて、掻き暗す心地して、泣く泣く戒をぞ説かれける。御布施と思しくて、日頃おはして遊ばれけるさぶらひの許にあづけ置かれたりける御すずりを、知時ともときして召し寄せて、上人に奉り、「これをば人にさふらはで、常に御目のかからんずるところに置かれ候ひて、それがしが物ぞかしと御覧ぜられん度毎には、御念仏候ふべし。また御隙には、きやうをも一巻いつくわん廻向ゑかう候はば、しかるべう候ふ」とまうされければ、上人とかうの返事にも及び給はず、これを取つてふところに入れ、墨染めの袖をかほに押し当て、泣く泣く黒谷へぞかへられける。くだんの硯は、親父しんぷ入道にふだう相国しやうこく宋朝そうてうの帝へ、砂金しやきんおほまゐらさせ給ひたりしかば、返報へんぱうと思しくて、日本につぽん和田の平相国へいたいしやうこくの許へとて、贈られたりけるとかや。名をば松蔭まつかげとぞ申しける。




ただし往生([極楽浄土に往って生まれ変わること])が得られるかどうかは、信心の有り無しによります。ただこの教えを深く信じて、行住坐臥([人の起居動作の根本である、行・住・座・臥の四つ])、時所所縁に関わらず、三業([身・口・心による種々の行為])四威儀([四儀]=[行・住・座・臥の四つ])において、心念口称([心に仏を念じ、口に弥陀の名を唱えること])を忘れずば、畢命([生命の終わること])の時、この苦域の界を出て、極楽浄土([阿弥陀仏の浄土])に往生すること、間違いございません」と教化([人を教え導くこと])したので、三位中将(平重衡しげひら。平清盛の五男)はたいそうよろこび、「願わくは、この機会に戒([自発的な行為の規準])を保ちたいと思っておりますが、出家なしに叶いましょうか」と申せば、上人(法然)は、「出家しない人も、戒を保つことはよくあることです」と言って、重衡の額に剃刀を当て、剃る真似をして、十戒を授けました。中将(重衡)は随喜の涙を流して、戒を受けました。上人(法然)も何事につけ哀れに思い、悲しみに暮れて、泣く泣く戒を説きました。重衡は布施として、日頃訪ねて来る侍の許に預け置いた硯を、知時(木工右馬允もくうまのじよう。重衡の家来)に取り寄せさせて、上人に奉り、「これは他人には与えないで、常にお目にかかるところに置かれて、わたしが奉った物とご覧になられた際には、念仏を唱えてくださいませ。またお隙がございましたら、経の一巻も廻向([死者の成仏を願って仏事供養をすること])していただけたなら、ありがたく存じます」と申すと、上人(法然)は返事もできず、硯を取って懐に入れ、墨染めの衣([僧衣])の袖を顔に押し当てて、泣く泣く黒谷([比叡山西塔の北谷にある青竜寺])に帰って行きました。この硯は父である入道相国(平清盛)が、宋朝の帝に、砂金を多く献上した際、返報([返礼])として、日本和田の平相国の許へと、贈られたものだと言います。名を松蔭と言いました(この松蔭は、京都市東山区にある浄土宗総本山知恩院に残っているらしい)。


続く


by santalab | 2013-08-08 07:21 | 平家物語

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