Santa Lab's Blog


「平家物語」千手前(その5)

その後に、じふ四五ばかんなるわらはの、かみあこめだけなりけるが、紺村濃こむらご帷子かたびら着て、半挿はんざふたらひに櫛入れて持つてまゐりたり。この女房にようばう介錯にて、やや久しう御湯引かせ奉り、髪洗ひなんどして、いとままうして出でけるが、「をとこなんどは事なうもぞ思し召す。をんなは中々苦しかるまじとて、鎌倉殿より参らせられてさぶらふ。何事も思し召すことあらば、うけたまはつてまうせとこそ、兵衛ひやうゑすけ殿はおほさぶらひつれ」。中将ちうじやう、「今はかかる身となつて、何事をか思ふべき。ただ思ふこととては、出家ぞしたき」とのたまへば、かの女房にようばうかへまゐつて、兵衛の佐殿にこの由を申す。兵衛の佐殿、「それ思ひもよらず。わたくしのかたきならばこそ。朝敵てうてきとしてあづかり奉たれば、叶ふまじ」とぞのたまひける。かの女参つて、三位中将殿にこの由を申し、いとま申して出でければ、中将、守護の武士にのたまひけるは、「さてもただ今の女房にようばうは、いうなりつる者かな。名をば何と言ふやらん」と問ひ給へば、狩野かのすけ申しけるは、「あれは手越てごし長者ちやうじやが娘で候ふが、見目かたち、心ざま、優にわりなき者とて、この二三箇年は、佐殿に召し置かれて候ふ。名をば千手のまへと申し候ふ」とぞ申しける。




その後に、十四五歳ばかりの女の童([少女])、袙([女子の中着])だけで、その上に紺村濃([地は薄い紺色で、所々を濃い紺色に染めたもの])の帷子([単衣の着物])を着て、半挿たらい([口や手を洗ったり、渡し金=板をしてお歯黒をつけるときに用いた小さなたらい])に櫛を入れて持って来ました。この女房が世話をして、お湯につからせ、髪を洗ってから、湯殿を出て行きましたが、「男ならばすぐに用意できますが、女は難しいことなので、鎌倉殿(源頼朝の殿)より参った者でございます。何か用事がありましたら、お仕えするよう、兵衛佐殿(源頼朝)より仰せ遣っております」と言いました。中将(平重衡しげひら。清盛の五男)は、「今はこのような身になって、何も思うことはない。ただ願うのは、出家したいということだ」と言うと、この女房は帰って、頼朝にこれを話しました。頼朝は、「それは思いもよらなかったことだ。わたしの敵であれば叶えてあげたいが。朝敵として預かった者であれば、叶えることはできまい」と言いました。女は戻って、三位中将殿(重衡)にこれを伝えて、出ていきましたが、重衡が、守護の武士に言うには、「それにしても今の女房は、心優しい者だな。名を何というのだ」と問うと、狩野介(狩野宗茂むねもち)が申すには、「あの女房は手越(今の静岡県静岡市)の長者の娘ですが、顔かたち、心使いが、優れていたので、この二三年、佐殿(頼朝の殿)に召し置かれているのです。名を千手前(駿河国手越宿の遊女で、頼朝の北の方北条政子の女房だったらしい)と申します」と答えました。


続く


by santalab | 2013-08-22 07:23 | 平家物語

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