Santa Lab's Blog


「平家物語」千手前(その8)

宗茂むねもちが飲む時に、琴をぞ弾きすましたる。三位中将、「普通にはこのがくをば、五常楽ごしやうらくと言へども、今重衡がためには、後生楽ごしやうらくとこそくわんずべけれ。やがて往生わうじやうきふを弾かん」とたはぶれ、琵琶びはを取り、転手てんじゆを捩ぢて、わうじやうの急をぞ弾かれける。かくて夜もやうやう更け、よろづ心の澄むままに、「あな思はずや、あづまにもかかるいうなる人のありけるよ。それ何事にても今一こゑ」とのたまへば、千手のまへ重ねて、「一樹の陰に宿り合ひ、同じ流れを結ぶも、皆これ前世ぜんぜの契り」と言ふ白拍子しらびやうしを、まことにおもしろう数へたりければ、三位中将も、「ともしび暗うしては、数行すかう虞氏ぐしなんだ」と言ふ朗詠らうえいをぞせられける。たとへばこの朗詠の心は、昔唐土もろこしに漢の高祖かうそとその項羽かううくらゐを争ひ、合戦すること七じふ二度、戦ひごとに項羽勝ちぬ。されどもつひには、項羽戦ひ負けて亡びし時、すゐと言ふむまの一日に千里を飛ぶに乗つて、虞氏ぐしと言ふ后とともに、逃げさらんとし給へば、馬いかが思ひけん、足を整へて働かず。項羽涙を流いて、我が威勢ゐせいすでに廃れたり。 かたきの襲ふは事の数ならず。ただこの后に別れんことをのみ、嘆き悲しみ給ひけり。灯暗うなりしかば、虞氏心細さに涙を流す。更け行くままには、軍兵ぐんびやう四面に時を作る。




宗茂(狩野宗茂)が酒を飲んでいると、千手前は琴を弾きました。三位中将(平重衡しげひら。清盛の五男)は、「この曲は、五常楽([雅楽])を言うが、今わたしには、後生楽のように聞こえる。すぐに往生の急を弾こう」とふざけて、琵琶を手にとって、転手([弦巻き])を捩じって、皇じょう([舞楽曲らしい])の急を弾きました。こうして夜もようやく更けて、重衡はすべて心のままに、「思わなかったことだが、東国にこのような心やさしい人があるものだ。さあ何かもう一曲」と言うと、千手前は琵琶に合わせて、「一樹の陰に宿り合い、同じ流れに集まるのも、皆前世の契りなのです」という白拍子([歌舞。今様など])を、趣きをもって続けたので、重衡も、「灯暗、数行虞氏之涙」という歌を歌いました。この歌の心は、昔中国に漢の高祖(劉邦。前漢朝の初代皇帝)と項羽(劉邦と協力して秦を倒した後、楚王となり天下を争った)と帝位を争い、合戦すること七十二回、戦う度に項羽が勝ちました。けれども最後は、項羽が戦い負けて、騅という一日に千里(この一里は400mですから400kmですが、そんなに走れる馬はいません)を走る馬に乗って、虞氏(虞美人)という后(愛人だったらしい)とともに、逃げようとしましたが、馬(騅)は何を思ったのか、足をそろえて動おうとしませんでした。項羽は涙を流して、わたしの威勢もすでに廃れた。敵が襲ってきたところで大したことはない。ただ后(虞美人)と別れることを、悲しみました。あたりが暗くなると、虞美人も心細くなって涙を流しました。夜が更けると、軍兵が四面に時の声を上げました(項羽は籠城しましたが、その時四方から項羽の故郷である楚国の歌が聞こえてきました。これを聞いた項羽は、劉邦は項羽の故郷である楚の民を味方につけた、わたしには逃げる場所がないと悟ったそうです。ここから生まれたのが、[四面楚歌]=[助けがなく孤立すること]が生まれたそうです)。


続く


by santalab | 2013-08-25 07:45 | 平家物語

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