Santa Lab's Blog


「平家物語」高野槇(その1)

滝口入道にふだう、三位中将を見奉り、「こはうつつとも思えさふらはぬものかな。さても屋島をば、何としてかはのがれさせ給ひて候ふやらん」とまうしければ、三位中将、「さればとよ、都をば人並々に出でて、西国へ落ち下りたりしかども、ふるさとに留め置きたりしをさなき者どもが面影のみ、身にひしと立ち添ひて、忘るるひまもなかりしかば、その物思ふ心や、言はぬにしるくや見えけん、大臣おほい殿との二位にゐ殿も、この人はいけの大納言のやうに、頼朝に心を通はして、二心ふたごころありなんと思ひ隔て給ふあひだ、いとど心も留まらで、これまであくがれ出でたんなり。これにて出家しゆつけして、火の中みづの底へも、入りなばやとは思へども、ただし熊野へまゐりたき宿願しゆくぐわんあり」とのたまへば、滝口入道申しけるは、「夢まぼろしの世の中は、とてもかくても候ひなんず。ただ長き世の闇こそ心憂かるべう候へ」とぞ申しける。やがてこの滝口入道を先達せんだちにて、堂塔だうたふ巡礼じゆんれいして、奥のゐんへぞまゐられける。高野かうや山は帝城ていせいを去つて百里はくり京里きやうりを離れて無人声むにんじやう青嵐せいらんこずゑを鳴らしては、夕日せきじつの影しづかなり。八葉はちえふの峰、つの谷、まことに心も澄みぬべし。花の色はりんの底にほころび、れいの音は尾上をのへの雲に響けり。




滝口入道(斉藤時頼ときより)は、三位中将(平維盛これもり重盛しげもりの嫡男)を見て、「これが現実とはとても思えません。にしても屋島(今の香川県高松市)を、どうして逃れて来たのですか」と申すと、維盛は、「それはな、都を平家の者たちは揃って出て、西国へ逃げたのだが、ふるさとに置き留めた幼い子どもの面影だけが、身に離れず立ち添って、忘れる間もなかったのだ、子どもたちの悲しむ心が、何も言わないがはっきりと見えて、大臣殿(平宗盛むね>もり。清盛の三男)も二位殿(平時子ときこ。清盛の継室)も、この者たちは池大納言(平頼盛よりもり。清盛の弟)のように、頼朝(源頼朝)と通じて、二心あると思うと、いっそう心も安まることもなく、ここまで心引かれて出てきたのだ。わたしはここで出家して、火の中水の底へも、入ろうかと思ったが、熊野に参りたいとの宿願([前々から抱いていた願い])があったので」と言うと、滝口入道が申すには、「夢幻の世の中というのは、何としても住みにくいところです。長い世の闇というのは心苦しいものなのです」と言いました。やがて滝口入道を先達([山伏や一般の信者が修行のために山に入る際の指導者])にして、堂塔を巡礼し、奥の院([開山祖師の霊像や神霊などを祭った所])へ参りました。高野山は帝城([天子の住む城]=[京])を去る事二百里(約800kmとなりますが、そんなに離れていません)、京里を離れて人の声もなし、青嵐([初夏の青葉を揺すって吹き渡るやや強い風])が梢を鳴らして、夕日には静かでした。八方に広がる峰、八つの谷、心が清められる場所でした。花は林霧の下にほころび、鈴(鈴といえば、まずはお遍路さんを思い出しますが、四国八十八か所は弘法大師を訪ねる巡礼です。修行者が手に持って鳴らす鈴を「金剛鈴」といいます。高野山の開祖である弘法大師=空海が手に持っていたそうです)の音が山頂の雲に響き渡りました。


続く


by santalab | 2013-09-02 06:44 | 平家物語

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