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「平家物語」三日平氏(その9)

兵衛ひやうゑすけ殿かやうにし給ふうへは、東国の大名だいみやう小名せうみやう、我も我もと引き出物を奉らる。むまだにも三百騎馬までありけり。池の大納言頼盛よりもりきやうは、命生き給ふのみならず、方々徳付いて都へかへり上られけり。同じき十八じふはち日、肥後のかみ定能さだよし伯父をぢ、平田の入道にふだう定次さだつぐを先として、伊賀伊勢両国りやうこく官兵くわんびやうら、近江あふみの国へ討つて出でたりければ、源氏の末葉ばつえふ発向はつかうして、合戦をいたす。同じき二十日の日、伊賀伊勢両国りやうこくの官兵ら、しばしも堪らず攻め落とさる。平家相伝さうでん家人けにんにて、昔のよしみを忘れぬことはあはれなれども、思ひ立つこそおほけなけれ。三日みつか平氏とはこれなり。




兵衛佐殿がこのようにもてなしたので、東国の大名小名も、我も我もと引き出物を贈りました。馬だけでも三百騎もありました。池大納言頼盛卿(平頼盛。清盛の弟)は、命を助かっただけでなく、たくさんの富を得て都に帰りました。同じ六月十八日、肥後守定能(平定能)の伯父である、平田入道定次を先頭に、伊賀伊勢両国の兵たちが、近江国に討って出ました、源氏の末裔たちも蜂起して、合戦しました。同じ二十日には、伊賀伊勢両国の兵たちは、しばしも防ぐことができずに攻め落とされました。平家相伝([代々])の家人で、昔の恩を忘れずにいることは心を打つものがありましたが、源氏に戦を仕掛けることは無謀なことでした。三日平氏とはこのような者たちでした。


続く


by santalab | 2013-09-29 06:51 | 平家物語

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