兵衛の佐殿かやうにし給ふ上は、東国の大名小名、我も我もと引き出物を奉らる。馬だにも三百騎馬までありけり。池の大納言頼盛の卿は、命生き給ふのみならず、方々徳付いて都へ帰り上られけり。同じき十八日、肥後の守定能が伯父、平田の入道定次を先として、伊賀伊勢両国の官兵ら、近江の国へ討つて出でたりければ、源氏の末葉ら発向して、合戦をいたす。同じき二十日の日、伊賀伊勢両国の官兵ら、しばしも堪らず攻め落とさる。平家相伝の家人にて、昔のよしみを忘れぬことはあはれなれども、思ひ立つこそおほけなけれ。三日平氏とはこれなり。
兵衛佐殿がこのようにもてなしたので、東国の大名小名も、我も我もと引き出物を贈りました。馬だけでも三百騎もありました。池大納言頼盛卿(平頼盛。清盛の弟)は、命を助かっただけでなく、たくさんの富を得て都に帰りました。同じ六月十八日、肥後守定能(平定能)の伯父である、平田入道定次を先頭に、伊賀伊勢両国の兵たちが、近江国に討って出ました、源氏の末裔たちも蜂起して、合戦しました。同じ二十日には、伊賀伊勢両国の兵たちは、しばしも防ぐことができずに攻め落とされました。平家相伝([代々])の家人で、昔の恩を忘れずにいることは心を打つものがありましたが、源氏に戦を仕掛けることは無謀なことでした。三日平氏とはこのような者たちでした。
(続く)