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二十年と申す正治しやうぢ元年正月十三日に五十三歳にして卒し給ふ。その御子左衛門の督かみ頼家よりいへ、世を継ぎ給ふ。御母は従二位政子、遠江とほたふみの守かみ平時政ときまさの娘なり。童名は万寿殿と号す。
源頼朝が天下を取ってから二十年目の正治元年(1199)正月十三日(正治元年には一月はなく、正しくは建久けんきう十年一月十三日)に五十三歳で亡くなりました。頼朝の子左衛門督頼家(源頼家)が、世を継ぎました。母は従二位政子(北条政子)、遠江守平時政(北条時政)の娘でした。童名を万寿と言いました。
(続く)
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