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「承久記」頼家実朝昇進並びに薨去の事(その10)

次に官人秦の兼峰かねみね・番の長下毛野の敦秀あつひで。次に御車・同じく車副くるまぞひ四人・牛童一人。次に随兵ずいひやう二行なり。小笠原の次郎兵衛長清ながきよ、小桜縅の鎧をす。武田の五郎信光のぶみつ、黒糸縅の鎧を着す。伊豆の左衛門尉頼定よりさだ萌葱もえぎ糸縅の鎧を着す。隠岐の左衛門のじよう基行もとゆき、緋縅の鎧を着す。大須賀の太郎道信みちのぶ、藤縅の鎧を着す。式部の大夫泰時やすときは、小桜縅の鎧を着す。秋田の城介景盛かげもり、黒糸縅の鎧を着す。三浦の小太郎朝村ともむら、萌葱糸縅の鎧を着す。河越の次郎重時しげとき、緋縅の鎧を着す。荻野をぎのの次郎景員かげかず、藤縅の鎧を着す。




次には官人秦兼峰・番長([諸衛府の下級幹部職員])下毛野敦秀が続きました。次に源実朝さねともの車・同じく車副([牛車の左右について供奉をする従者])四人牛童([牛飼童]=[牛車の牛を使い、牛車を進行させる者])が一人でした。次に随兵が二列で続きました。小笠原の次郎兵衛長清は、小桜縅([小桜革=藍地に、白で小さな桜の花形を数多く染め出したもの。で芯を包んだ緒で縅したもの])の鎧を着ていました。武田五郎信光(武田信光)は、黒糸縅の鎧を着ていました。伊豆守左衛門尉頼定(森頼定)は、萌葱糸縅([萌黄色=黄と青の中間色。の糸で鎧のさねを綴ったもの])の鎧を着ていました。隠岐左衛門尉基行(持明院基行)は、緋縅([緋=紅。に染めた革や組糸を用いた威])の鎧を着ていました。大須賀太郎道信(大須賀道信)は、藤縅の鎧を着ていました。式部大夫泰時(北条泰時)は、小桜縅の鎧を着ていました。秋田城介景盛(安達景盛)は、黒糸縅の鎧を着ていました。三浦小太郎朝村(三浦時村)は、萌葱糸縅の鎧を着ていました。河越次郎重時(河越重時)は、緋縅の鎧を着ていました。荻野次郎景員(萩野景員)は、藤縅の鎧を着ていました。


続く


by santalab | 2013-10-09 07:18 | 承久記

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