人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Santa Lab's Blog


「平家物語」祗王(その2)

そもそも我がてう白拍子しらびやうしの始まりけることは、昔鳥羽のゐん御宇ぎように、島の千歳せんざい、和歌のまへ、かれら二人ににんが舞ひ出だしたりけるなり。初めは水干すゐかん立烏帽子たてゑぼし、白鞘巻ざやまきを差いて舞ひければ男舞をとこまひとぞまうしける。しかるを中頃より烏帽子刀を退けられて、水干ばかり用ひたり。さてこそ白拍子と名付けけれ。京中きやうぢうの白拍子ども、祗王ぎわうさいはひのめでたきやうを聞いて、羨む者もあり、そねむ者もあり。羨む者どもは、「あなめでたの祗王御前の幸ひや。同じ遊び女とならば、たれも皆あのやうでこそありたけれ。




そもそも我が朝に白拍子([[平安末期から鎌倉時代にかけて流行した歌舞])が始まったのは、昔鳥羽天皇の時代に、島の千歳と、和歌の前の、二人が舞い出したことでした。はじめは水干(簡素な白い着物。公家や上級武家の私服や少年の式服だったそうな)に立て烏帽子姿で、白鞘巻([銀の金具で飾った鞘巻]、[鞘巻]=[腰刀])を腰に差して舞ったので男舞と呼ばれました。中頃よりは烏帽子刀を身に付けず、水干だけになりました。なので白拍子と名付けられたのでした。京中の白拍子([白拍子を舞う遊女])たちは、祗王が清盛に寵愛されて一家が栄えるのを聞いて、羨む者のあり、妬む者もいました。羨む者たちは、「ああめでたい祗王御前の幸せよ。同じ遊び女([管弦・歌舞などで、酒席などの興を取り持つ遊女])ならば、誰でも皆祗王のようになりたいものです。


続く


by santalab | 2013-10-13 08:04 | 平家物語

<< 「平家物語」祗王(その3)      「平家物語」祗王(その1) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧