今はただ中々開けて入れんと思ふなり。それに情けをかけずして、命を失ふ物ならば、年頃頼み奉る弥陀の本願を強く信じて、隙なく名号を唱へ奉るべし。声を尋ねて迎へ給ふなる聖主の来迎にてましませば、などか引摂なかるべき。相構へて念仏怠り給ふな」と互ひに心を戒めて、手に手を取り組み、竹の網戸を開けたれば、魔縁にてはなかりけり。仏御前ぞ出で来たる。祗王、「あれはいかに、仏御前と見参らするは。夢かや現か」と言ひければ、仏御前涙を抑へて、「かやうのこと申せば、すべてこと新しうは候へども、申さずはまた思ひ知らぬ身ともなりぬべければ、始めよりして、細々とありのままに申すなり。もとよりわらはは推参の者にて、すでに出だされ参らせしを、我御前の申し状によつてこそ、召し帰されても候ふに、女の身の言ふ甲斐なきこと、我が身を心に任せずして、我御前を出ださせ参らせて、わらはが押し留められぬること、今に恥づかしう傍ら痛くこそ候へ。
こうなっては網戸を開けて中に入れるほかないでしょう。それに情け無用に、命を取るような物であれば、頼みにしている阿弥陀仏の本願([阿弥陀仏の四十八願])を強く信じて、絶え間なく名号([仏・菩薩の名])を唱えましょう。その声を聞いて聖主([仏・菩薩])が来迎([極楽浄土へ導くため阿弥陀仏や諸菩薩が紫雲に乗って迎えに来ること])されるでしょう、きっと引摂([阿弥陀仏が来迎して極楽浄土に導くこと])があるにちがいありません。全員(祗王、祗女、刀自)で念仏を途絶えることのないように」と互いに気持ちを引き締めて、手に手を組んで、竹の網戸を開けると、そこにいたのは魔縁([悪魔])ではありませんでした。仏御前がいました。祗王は、「どうしたことでしょう、仏御前がいるように見えます。これは夢でしょうか現実なのでしょうか」と言うと、仏御前は涙を抑えて、「このようなことを申すと、まるで初めて会ったように思われるかもしれませんが、申さなければ理解していただけないでしょうから、始めから、細々と本当のことを申します。もとよりわたしは推参([招かれていないのに人を訪問すること])し、清盛殿に追い帰されましたが、あなたの申し状([願い状])によって、戻されたにもかかわらず、女の身の取るに足らなさ故に、わたしの思うがままにはいかず、あなたを追い出すことになって、わたしが留められたことを、今にして思うと恥ずかしく情けなく思うばかりです。
(続く)