我御前の出でられ給ひしを見しにつけても、いつかまた我が身の上ならんと思ひ居たれば、嬉しとはさらに思はず。障子にまた、『いづれか秋にあはで果つべき』と書き置き給ひし筆の跡、げにもと思ひ候ひしぞや。いつぞやまた我御前の召され参らせて、今様を歌ひ給ひしにも、思ひ知られてこそ候へ。その後は在所をいづくとも知らざりしに、このほど聞けば、かやうに様を変へ、一つ所に念仏しておはしつる由、あまりに羨ましくて、常は暇を申ししかども、入道殿さらに御用ひましまさず。つくづく物を案ずるに、娑婆の栄華は夢の夢、楽しみ栄えて何かせん。
あなたが出て行くのを見た時も、いつかは我が身のことになると思って、嬉しいとは思いませんでした。障子に、『いつか秋は粟(飽きて逢わなくなって)終わるのでしょう』とあなたが書き置いた筆の跡を、その通りだと思っていました。いつのことかあなたが清盛殿に呼ばれて、今様([平安中期から鎌倉時代にかけて流行した、新様式の歌謡])を歌った折にも、思い知らされたのです。その後はどちらに居られるのかも知りませんでしたが、このほど聞くと、様を変えて、一つ所で念仏しておられると、あまりにも羨ましくて、いつも暇をお願いしておりましたが、入道殿(平清盛)は許されませんでした。あれこれと思い煩っておりました、娑婆の栄華は夢の中の夢、楽しみ多くて何の意味がございましょう。
(続く)