判官、「各々の船に篝な灯いそ。火数多う見えば、敵も恐れて用心してんずぞ。義経が船を本船として、とも辺の篝を守れ」とて、夜もすがら渡るほどに、三日に渡るところを、ただ三時ばかりにぞ走りける。二月十六日の丑の刻に、津の国渡辺、福島を出でて、明くる卯の刻には、阿波地へこそ吹きつけけれ。
判官(源義経)は、「それぞれの船にかがり火を灯すな。火数が多く見えれば、敵(平家)も恐れて用心するからな。わしの船を本船([親船])として、本船の後ろあたりのかがり火をよく見ろ」と言って、夜通し船を進めました、三日かかるところを、三時(約六時間)ほどで走らせました。二月十六日の丑の刻(午前二時頃)に、津の国([摂津国])の渡辺(今の大阪市中央区の天満橋から天神橋の間辺りにあった港らしい)、福島(今の大阪市福島区)を出て、明くる卯の刻(午前六時前後ですが、六時間かかったということですから、午前一時頃に出発し午前七時頃についたということでしょうか)には、阿波国(今の徳島県)にたどり着きました。
(続く)