判官親家を召して、「ここをばいづくと言ふぞ」と問ひ給へば、「勝浦と申し候ふ」。判官笑つて、「色代な」とのたまへば、「一定勝浦候ふ。下郎の申し安きままに、勝浦とは申せども、文字には勝浦と書いて候ふ」と申しければ、判官斜めならずに喜び給ひて、「あれ聞き給へ殿ばら、戦しに向かふ義経が、勝浦に着くめでたさよ。もしこの辺に平家の後ろ矢射つべき仁は誰かある」とのたまへば、「阿波の民部成良が弟、桜庭の介良遠とて候ふ」と申す。「いざさらば蹴散らして通らん」とて、近藤六が勢の百騎ばかりが中より、馬や人を選つて、三十騎ばかり、我が勢にこそ具せられけれ。良遠が城に押し寄せて見給へば、三方は沼、一方は堀なり。堀の方より押し寄せて、時をどつとぞ作りける。城の内の兵ども、「ただ射捕れや射捕れ」とて、差し詰め引き詰め散々に射けれども、源氏の兵どもこれを事ともせず、堀を越え、兜の錏を傾けて、喚き叫んで攻めければ、良遠敵はじとや思ひけん、家の子郎等どもに防ぎ矢射させ、我が身は屈竟の馬を持つたりければ、それにうち乗り、稀有にして落ちにけり。残り留まつて防ぎ矢射ける兵ども、二十余人が首斬りかけさせ、軍神に祀り、よろこびの時を作り、「門出よし」とぞよろこばれける。
判官(源義経)は親家(近藤親家)を御前に呼んで、「ここは何という所だ」と訊ねると、親家は「勝浦と申すところです」と答えました。判官は笑って「色代([お世辞])を申すな」と申すと、親家は「いいえ本当にかつらというところです」と言ってから、「勝浦と読みますが、文字では勝浦と書きます」と答えると、判官はたいそうよろこんで、「聞いたか殿たちよ、これから戦に打って出るわたし義経が、勝浦に着くというのは何と縁起がよいことであろう。もしやこの辺りに平家に味方する後ろ矢射る者([裏切り者])はいるか」と申すと、親家は「阿波民部成良(田口成良。阿波民部大夫)の弟で、桜庭介良遠(桜庭良遠=田口良遠)と言う者がおります」と答えました。判官は「ならば蹴散らして通るぞ」と申して、近藤六(親家)の勢百騎ばかりの中から、馬や人を選んで、三十騎ばかり連れて行くことにしました。良遠(田口良遠)の城に押し寄せて見ると、三方は沼で、残る一方は堀でした。判官(義経)は堀の方から押し寄せて、時の声をどっと上げました。城の中の兵たちは、「射よ射よ」と言って、ひっきりなしに矢を射ましたが、源氏の兵たちはこれをものともせず、堀を越え、兜の錏([兜の鉢の左右・後方につけて垂らし、首から襟の防御とするもの])でしっかり防御して、喚き叫んで攻めました、良遠(田口良遠)は敵わないと思って、家の子([一族の者])郎等([家来])たちに防ぎ矢([敵の進撃を阻止するために射る矢])を射させて、自分は屈竟([勝れていること])馬を持っていたので、それにまたがり、稀有([非常識なこと])にして逃げてしまいました。判官は残り留まって防ぎ矢を射ていた兵たち、二十人余りの首を斬らせて、軍神([八幡大神])に奉納し、勝利の時の声を上げ、「幸先よし」とよろこびました。
(続く)