その後も、また上りて、東大寺の供養に詣でたりき。かくて新院の御位のはじめつ方、正治元年正月十一日、東にて頭下ろして、同じき十三日、年五十三にて隠れにけり。治承四年より天の下に用ゐられて、二十年ばかりや過ぎぬらん。
その後、頼朝は再度都に上って、東大寺(現奈良県奈良市にある寺)の供養(奈良の大仏の開眼供養。東大寺は平家によって焼滅した)に参詣しました。こうして新院(第八十三代土御門天皇)が帝位に就かれた初め頃、正治元年(1199)の正月十一日に、東国で髪を下ろして、同じ十三日に、五十三歳で亡くなりました。治承四年(1180)より天下に用いられて、二十年ばかり過ぎた時のことでございました。
(続く)