かの社には内侍とて、優なる舞ひ姫あまた候ふなれば、珍らしく思ひ参らせて、もてなし参らせ候はんずらん。何事の御祈誓やらんと尋ね申し候はば、ありのままに仰せ候ふべし。さて御下向の時、宗との内侍一両人、都まで召し具せさせ給ひて候はば、定めて西八条の邸へぞ参り候はんずらん。入道何事ぞと尋ね申され候はば、ありのままにぞ申し候はんずらん。入道は極めて物愛でし給ふ人なれば、しかるべき計らひもあんぬと思え候ふ」と申しければ、徳大寺殿、「これこそ思ひよらざりつれ。さらばやがて参らん」とてにはかに精進始めつつ、厳島へぞ参られける。げにも優なる舞ひ姫ども多かりけり。「そもそも当社へは、われらが主の、平家の公達たちこそ、御参り候ふに、これこそ珍しき御参りにて候へ」とて、宗との内侍十余人、夜昼付き添ひ参るらせて、やうやうにもてなし奉る。さて内侍ども、「何事の御祈誓やらん」と尋ね候へば、「大将を人に越えられて、その祈りのためなり」とぞのたまひける。一七日御参籠あつて、神楽を奏し、風俗、催馬楽歌はる。その間に舞楽も三か度までありけり。さて御下向の時、宗との内侍十余人、船をしたてて、一日路送り奉る。徳大寺殿、「あまりに名残り惜しきに、今一日路、今二日路」とのたまひて、都まで召し具せさせ給ひ、徳大寺の邸へ入れさせおはしまし、やうやうにもてなし、さまざまの引き出物賜うで帰されけり。
厳島神社には内侍という、美しい舞姫がおりますので、格別の思いをもって、もてなしてくださいませ。もし内侍が何の祈誓([神仏に祈って誓いを立てること])かと訊ねたら、ありのままにおっしゃってください。そして帰る時に、主だった内侍を一人二人、都まで連れて参れば、きっと西八条の邸(平清盛の宿所)を訪ねるに違いありません。入道(清盛)がどうして参ったのかと訊ねれば、徳大寺殿(徳大寺実定=藤原実定)がおっしゃった通りに申すはずです。清盛はとても感動深い人ですから、それなりの計らいをすると思います」と申すと、実定は、「それは思いもよらなかったことだ。ならばすぐに出かけよう」と言って急ぎ修行姿で、厳島に出かけました。重兼(藤原重兼)が言った通り美しい舞姫たちが多くいました。「そもそも当社は、平家の者たちこそ、お参りしますが、平家以外の方のお参りは珍しいことです」と言いました、実定は主だった内侍十人余りを、夜昼となくそばに付けて、いろいろともてなしをしました。内侍たちが、「何の祈誓ですか」と訊ねたので、「大将を人に越えられたので、大将になれるように祈るのです」と言いました。一七日([七日間])参籠([祈願のため、神社や寺院などに、ある期間こもること])して、神楽([ 神をまつるために奏する舞楽])を催し、風俗歌([宴遊などに歌われた、古代より地方の国々に伝承された歌]、催馬楽([平安初期ごろに成立した歌謡の一つ])も歌わせました。その間に舞楽([舞を伴う雅楽])も三度行いました。帰る時になって、主な内侍を十人余り、船を用意して、一日路の間見送らせました。実定は、「あまりに名残り惜しいので、あと一日、あと二日」と言って、都まで供をさせました。内侍たちを徳大寺の邸へ迎えて、さまざまにもてなし、たくさんの引き出物を与えて帰しました。
(続く)