朝敵を平らげ宿望を遂ぐることは、源平いづれ勝劣なかりしかども、今は雲泥交はりを隔てて、主従の例にもなほ劣れり。国は国司に従ひ、庄は預つ所に召し使はれ、公事雑事に駆り立てられて、安い心もし候はず。つらつら当世の体を見候ふに、上には従うたるやうなれども、内々は一向平家を嫉まぬ者や候ふ。君もし思し召し立たせ給ひて、令宣を賜うづるほどならば、国々の源氏ども、夜を日に継いで馳せ上り、平家を滅ぼさんことは、時日を巡らすべからず。その儀にて候はば、入道も歳こそよつて候へども、若き子どもあまた候へば、引き具して参り候ふべし」とぞ申しける。
朝敵を平定し宿願を遂げるのは、源平とも甲乙ありませんが、今は雲泥の差があって、主従の関係にもなお劣ります。国は平家が意のままに決めた国司に従い、預所([荘官の一。年貢徴集や荘地の管理などにあたった職])に召し使われ、公事([租税])雑事に疲弊し、決して心穏やかではありません。当世の様を見てみると、上の者には従っているように見えて、内々はみんな平家を憎んでいるのです。君(高倉宮=以仁王。後白河院の第三皇子)がもし思い立って、令旨([親王の命令])を賜われば、国々の源氏たちは、昼夜通して急ぎ京に上り、平家を滅ぼすに、さほど日数を必要としないでしょう。もしそのつもりがありましたら、わたし(源頼政)は歳をとっていますが、若い子が多くいますので、引き連れて参りましょう」と申しました。
(続く)