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「平家物語」宮御最期(その7)

御供まうしたる鬼佐渡、荒土佐、くわう大夫だいぶ刑部ぎやうぶ春秀しゆんしうも、命をばいつのためにかしむべきとて、散々に戦ひ、一所いつしよで討ち死にしてげり。その中に乳母子の六でうすけの大夫宗信むねのぶは、新野にひのが池へ飛んで入り、浮き草かほに取りおほひ、震ひたれば、かたきまへをぞ討ちとほりぬ。ややあつて敵四五ひやく騎、ざざめいてかへりける中に、浄衣じやうえ着たる死人の首もなきを、しとみのもとよりかき出だいたるを見れば、宮にてぞおはしましける。「我死なば御棺ごくわんに入れよ」とおほせられし小枝こえだと聞こえし御笛をも、今だ御腰にぞ差させましましける。走り出でて、取り付き奉らばやと思へども、恐ろしければそれも叶はず。敵皆通つて後、池より上がり、濡れたる物ども絞り着て、泣く泣く都へ上つたりけるを、憎まぬ者こそなかりけれ。さるほどに南都の大衆だいしゆ七千余人、兜のを締め、宮の御迎ひにまゐりけるが、先ぢん木津こづに進み、後陣は今だ興福こうぶく寺の南大門にぞゆらへたる。宮ははや光明山くわうみやうせん鳥居とりゐまへにて、討たれさせ給ひぬと聞こえしかば、大衆だいしゆ力及ばず、涙を抑へて留まりぬ。今五十ごじつちやうばかり待ち付けさせ給はで、討たれさせ給ひける、宮の運のほどこそうたてけれ。




高倉宮(後白河院の第三皇子以仁王もちひとわう)の供をしていた鬼佐渡、荒大夫、刑部春秀も、この場に及んで命を惜しむべきにあらずと、散々に戦い、一所で討ち死にしました。その中に乳母子の六条佐大夫宗信がいましたが、新野が池に飛んで入り、浮き草で顔を覆って、震えていましたが、敵が前を通って行きました。しばらく経って敵四五百騎が、騒がしく帰って行く中に、浄衣([僧が着る白い衣服])を着た首のない死人を、蔀([蔀板]=[格子を取り付けた板戸])に乗せて運んでいるのを見れば、高倉宮でした。「わたしが死んだら棺に入れよ」とおっしゃた小枝という笛も、腰に差していました。宗信は今にも走り出して、取り付こうと思いましたが、敵が恐ろしくてできませんでした。敵が皆通り過ぎた後、池から上がって、濡れた着物を絞って着て、泣きながら都に上りましたが、宗信を憎まない者はいませんでした。やがて南都([奈良])の大衆([僧])が七千人余り、兜の緒を締め、高倉宮を迎えに参りましたが、先陣は木津(今の京都府木津川市)まで進んだものの、後陣はまだ興福寺(今の奈良市にある寺院)に留まったままでした。高倉宮はすでに光明山(かつて京都府木津川市にあった寺院らしい)の鳥居の前で、討たれたと聞くと、僧たちの願いも叶いませんでした、五十町(一町は約109mですから約5km)ばかり、間に合わないで、討たれてしまった、高倉宮の運が気の毒に思えました。


続く


by santalab | 2013-11-07 07:05 | 平家物語

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