義時とき伝へ聞いて、「関東御恩の者が義時に案内を経ずして、左右なく京家奉公の条、はなはだ以つて奇怪なり」とて、盛遠が所領五百余町没収しをはんぬ。盛遠この由を院へ申しければ、還し付くべき由義時に院宣を下さる。御請け文には還すべき由申しながら、すなはち地頭を据ゑられけり。院、奇怪なりと御気色斜めならず。
義時(北条義時)はこれを伝え聞いて、「関東(鎌倉幕府)に恩のある者がわたし義時の案内([取り次ぎ])もなしに、ためらいなく京家(朝廷)に奉公するとは、はなはだ怪しからぬことだ」と言って、盛遠(仁科盛遠)が所領([領有している土地])していた五百町余りを没収してしまいました。盛遠がこれを後鳥羽院に申し上げたので、後鳥羽院はこれを返すよう義時に院宣を下しました。義時は請け文([上司または身分の上の者の仰せに対して承諾したことを書いた文書])に返すと申しながら、すぐにその土地に地頭([土地の管理、租税の徴収、検断などの権限を持つ者])を置きました。後鳥羽院は、怪しからぬこととたいそう立腹したのでした。
(続く)