しかれば先例に任せて、頼政をぞ召されける。頃は五月二十日あまり、まだ宵のことなるに、鵺ただ一声音連れて、二声とも鳴かざりけり。目指すとも知らぬ闇ではあり、姿かたちも見えざりければ、矢壺をいづくとも定め難し。頼政が謀に、先づ大鏑取つて番ひ、鵺の声したりける内裏の上へぞい上げたる。鵺、鏑の音に驚いて、虚空にしばしぞひひめいたる。次に小鏑取つて番ひ、ひいふつと射きつて、鵺と並べて前にぞ落としたる。禁中ざざめき渡つて、頼政に御衣を被けさせおはします。今度は大炊御門の右大臣公能公の賜はり継いで、頼政に被けさせ給ふとて、「昔の養由は、雲の外の雁を射き。今の頼政は、天の内の鵺を射たり」とぞ感ぜられける。
先例によって、頼政(源頼政)が呼ばれました。頃は五月二十日過ぎ、まだ宵のころに、鵺がただ一声だけ鳴いて、二声と鳴きませんでした。鵺がどこにいるのやらわからない闇夜(月末になると月の出が遅くなる)で、姿かたちも見えないので、矢壺([矢を射るときにねらいを定める所])を決めることができませんでした。そこで頼政は計略を練って、先ず大鏑矢([射ると大きな音が鳴る鏑を付けた矢])を取って弓にかけ、鵺の声がした内裏の上に向かって矢を放ちました。鵺は、鏑の音に驚いて、空でしばらく鳴いていました。頼政は次に小鏑矢を取って弓にかけ、ぱっと射って、鵺とともに目の前に落としました。禁中([内裏])は騒ぎになって、二条天皇は御衣を与えました。今度は大炊御門右大臣公能公(徳大寺公能)が賜わり継いで、頼政に与えました、「昔養由(養由基。中国の弓の名人)は雲の向こうの雁を射た。今頼政は、天の鵺を射たぞ」と感心しました。
(続く)