かかるめでたき聖跡なれども、今は何ならず。顕密須臾に滅びて、伽藍さらに跡もなし。三密道場もなければ、鈴の声も聞こえず。一夏の花もなければ、閼伽の音もせざりけり。宿老碩徳の名師は、行学に怠り、受法相承の弟子は、また経教に別れんだり。寺の長吏円恵法親王は、天王寺の別当をも止められさせ給ふ。そのほか僧綱十三人、欠官せられて、皆検非違使に預けらる。堂衆は筒井の浄妙明秀にいたるまで、三十余人流されけり。「かかる天下の乱れ、国土の騒ぎ、ただごととも思えず、平家の世の末になりぬる先表やらん」とぞ人申しける。
このようにいわれある聖跡([聖人の旧跡])でしたが、今は何も残っていませんでした。顕密([顕教=密教以外の仏教と密教])はたちまち滅んで、伽藍([寺院の建物])は跡方もなくなりました。三密([密教で、身・口・意の三業])道場もなければ、鈴の音も聞こえませんでした。一夏([僧が寺院にこもって修行をする夏の間])の花もなければ、閼伽水([仏に手向ける水])の音もありません。宿老碩徳([年老いて経験を積んだ高徳の僧])の名高い法師たちは、行学([修行と学問])を休み、受法([弟子の僧が師から法を受けること])を相承([弟子が師から、学問・技芸・法などを次々に受け継ぐこと])の弟子たちは、経教([経文に説かれている教え])から離れました。三井寺の長吏([寺の長として、寺務を統轄した役僧])であった円恵法親王(後白河院の第四皇子らしい)は、天王寺の別当([長吏])も止められました。そのほかに僧綱([僧正・僧都・律師])十三人が、欠官([官職を解かれること])させられて、皆検非違使に預けられました。堂衆([下級の僧])は筒井浄妙([浄妙坊の寺法師])明秀にいたるまで、三十人余りが流罪になりました。「このたびの天下の乱れ、国土の騒ぎは、ただごととは思えない、平家の世も末になる前ぶれではないか」と人は申しました。
(続く)