また異国に先蹤を訪ふに、燕の太子丹、秦の始皇帝に捕はれて、戒めを被ること十二年、ある時燕丹涙を流いて、「我故郷に老母あり。暇を賜つて、今一度かれを見ん」とぞ嘆きける。始皇帝あざ笑つて、「汝に暇賜ばんこと、馬に角生ひ、烏の頭の白くならんを待つべきなり」とぞのたまひける。燕丹天に仰ぎ地に伏して、「願はくは馬に角生ひ、烏の頭を白くなし賜べ。本国へ帰つて今一度母を見ん」とぞ祈りける。かの妙音菩薩は、霊山浄土に詣して、不孝の輩を戒め、孔子顔回は、支那震旦に出でて、忠孝の道を始め給ふ。冥見の三宝、孝行の心ざしを哀れみ給ふことなれば、馬に角生ひて宮中に来たり、烏の頭白くなつて、庭前の木に棲めりけり。始皇帝、烏頭馬角の変に驚き、綸言返らざることを深く信じて、太子丹をなだめつつ、本国へこそ帰されけれ。
また異国(中国)に先蹤([先例])を訪ねると、燕太子丹(燕の王族)が、秦始皇帝(秦の初代皇帝)に捕えられて、監禁されること十二年間、ある時燕丹は涙を流して、「わたしには故郷に老母がおります。暇をいただいて、もう一度母に会いたい」と言って泣き悲しみました。始皇帝はあざ笑って、「お前に暇を与えるなどできぬ、馬に角が生え、烏の頭が白くなるまで待て」と言いました。燕丹は天を仰ぎ地に伏して、「願わくは馬に角生え、烏の頭を白くしてください。本国(燕)に帰ってもう一度母に会いたいのです」と祈りました。妙音菩薩(東方の一切浄光荘厳国に住むという)は、霊山浄土(霊鷲山=釈迦が法華経などを説いた山)に来て、不孝の者たちを戒め、孔子顔回(孔子の弟子)は、支那震旦(中国)に生まれて、忠孝の道(儒教)を始めました。冥見([人々の知らないところで、神仏が衆生を見守っていること])の三宝([仏・法・僧])は、燕丹の孝行を哀れんで、馬に角を生やして宮中に遣り、烏の頭を白くして、庭前の木に棲まわせました。始皇帝は、烏頭馬角の変に驚き、綸言([天子の言葉])は取り消すことができない(綸言汗の如し)と信じていたので、太子丹の罪を赦して、本国に帰しました。
(続く)