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「平家物語」文覚被流(その4)

その後門外もんぐわいへ引き出だいて、ちやうしもべぶ。賜はつて引つぱる。引つぱられて立ちながら、御所の方をにらまへ、大音声おんじやうを上げて、「たとひ奉加ほうがをこそし給はざらめ、あまつさへ文覚もんがくにこれほどまで、辛き目を見せ給ひつれば、ただ今思ひ知らせまうさんずるものを。三界さんがいは皆火宅くわたくなり、王宮わうぐうと言ふとも、いかでかその難をばのがるべき。たとひ十善じふぜん帝位ていゐに誇つたうと言ふとも、黄泉くわうせんの旅に出でなん後は、牛頭馬頭ごづめづの責めをば、まぬかれ給はじものを」と、をどり上がり躍り上がりぞまうしける。「この法師ほふし奇怪きくわいなり。禁獄きんごくせよ」とて禁獄せらる。資行すけゆき判官はうぐわん烏帽子ゑぼし打ち落とされたるはぢがましさにしばしは出仕もせざりけり。安藤武者は文覚組んだる献賞けんじやうに、一臈いちらふを経ずして、当座たうざ右馬うまじようにぞなされける。その頃美福門院びふくもんゐん隠れさせ給ひて、大赦たいしやありしかば、文覚ほどなく赦されけり。しばらくはいづくにても行ふべかりしを、また勧進帳くわんじんちやうささげて、十方じつぱう檀那だんなを勧めありきけるが、さらばただもなくして、「あはれこの世の中は、ただ今乱れて、君も臣も共に亡び失せんずるものを」など、かやうに恐ろしきことをのみ申しありあひだ、「この法師ほふし都に置いては敵ふまじ。遠流をんるせよ」とて、伊豆いづの国へぞ流されける。




その後文覚を院の門外へ引っ張り出して、庁([検非違使庁])の僕([下級の役人])に引渡しました。役人は文覚を引き立てました。文覚は引っ張られて立ちながらも、院御所の方を睨んで、大声を上げて、「奉加([神仏に金品を寄進すること])をしないどころか、わしをこれほどまでに、痛めつけたのだ、ただ今にも思い知らせてやるぞ。三界([過去・現在・未来])は皆火宅([煩悩や苦しみに満ちた世])じゃ、王宮と言えども、どうしてその苦難から逃れられようぞ。たとえ十善([十悪を犯さないこと])の帝位に誇ろうとも、黄泉([冥土])に旅立った後は、牛頭馬頭([頭が牛や馬で、体は人の形をした地獄の獄卒])の責めから、逃れられはしないぞ」と、飛び上がり飛び上がり申しました。「この法師はあまりにも非常識である。禁獄せよ」と言って禁獄の身となりました。資行判官(平資行)は烏帽子を打ち落とされた恥しさでしばらく出仕しませんでした。安藤武者(安藤右宗みぎむね)は文覚を取り押さえた献賞([褒美])として、一臈([ 蔵人や北面の武士などの首席の者])を経ずに、たちまち右馬允となりました。その頃美福門院(藤原得子なりこ。後白河院の父である第七十四代鳥羽院の譲位後の妃で、第七十六代近衛このゑ天皇の生母)がお隠れになって、大赦が行われたので、文覚はしばらくして赦されました。しばらくはどこにでも修行するところを、また勧進帳([寄付を集めるのに使う帳面])を持って、十方([あらゆる所])を訪ねて檀那([布施をする者])を勧誘して歩きましたが、ただそれだけでなく、「ああこの世の中は、今は乱れて、君([天皇])も臣も共に亡び失われようとしておるぞ」などと、恐ろしいことばかり言って歩いていたので、「この法師を都に置いておいてはたまらない。遠流せよ」と、伊豆国(今の静岡県の伊豆半島と東京都の伊豆諸島)に配流しました。


続く


by santalab | 2013-11-11 20:36 | 平家物語

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