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「増鏡」新島守(その28)

さても、この度世の有様、げにいとうたて口惜くちをしきわざなり。あるは、父の王を失ふためしだに、一万八千人までありけりとこそ、仏も説き給ひ溜めれ。増して、世下りて後、唐土もろこしにも日のもとにも、国を争ひて戦ひをなす事、数へ尽くすべからず。それも皆、一節二節の寄せはありけむ。もしは、すぢ異なる大臣、さらでも、おほやけともなるべき刻みの、少しのたがひめに、世に隔たりて、その怨みのすゑなどより、事起こるなりけり。今のやうに、無下の民と争ひて、君の亡び給へるためし、この国には、いと数多あまたも聞こえざんめり。されば、承平じようへい将門まさかど天慶てんぎやう純友すみとも康和かうわ義親よしちか、いづれも皆猛かりけれど、宣旨には勝たざりき。保元ほうげんに崇徳院の世を乱り給ひしだに、故院の、御位にてうち勝ち給ひしかば、天照大神あまてるおほむかみも、御裳濯川みもすそがはの同じ流れとまうしながら、
なほ、時の御門を守り給はする事は、強きなんめりとぞ、古き人々も聞こえし。




それにいたしましても、この度の世の有様は、情けなくも残念なことでございました。申すならば、父である王を失った例さえ、一万八千人もあったと、仏(釈迦)も申し残されました。まして、時代が下った後は、唐土(中国)でも日本でも、国を争って戦いをなすこと、とても数え尽くせるものではございません。それも皆一つや二つの寄せ([訳])があってのことでございます。もしくは、家柄の異なる大臣、そうでなくとも、公([天皇])が変わられる折に、わずかの食い違いから、世を厭い、その怨みの結果、争いも起こるのでございます。この時代のように、無下([はなはだしく身分の低いこと])の民と争い、君が亡びたれいは、あまりにも多いと聞いております。ですから、承平の将門(平将門)、天慶の純友(藤原純友)、康和の義親(源義親)、いずれも猛き者ではございましたが、宣旨(天皇)に勝つことはございませんでした。保元に崇徳院(第七十五代天皇)が世を乱された時でさえ、故院(第七十七代後白河天皇)が、位にあって争いに勝たれたのも、天照大神の、御裳濯川([伊勢神宮の内宮神域内を流れる五十鈴川の異称])の同じ流れでは、ございますれど、やはり、時の帝を守ろうとするお力は、強いものであられると、昔の人々も申されておられたのでしょう。


続く


by santalab | 2013-11-13 21:26 | 増鏡

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