木曽殿のたまひけるは、「平家は大勢であんなれば、戦は定めて掛け合ひの戦にてぞあらんずらん。掛け合ひの戦と言ふは、勢の多少によることなれば、大勢嵩にかけて取り籠められては敵なふべからず。先づ謀に白旗三十流れ先立てて、黒坂の上に打つ立てたらば、平家これを見て、あはや源氏の先陣の向かうたるは。何十万騎かあるらん。取り籠められては敵ふまじ。この山は四方岩石なれば、搦め手よも回らじ。しばらく下り居て馬休めんとて、砺波山にぞ下り居んずらん。その時義仲しばらくあひしらふ体にもてなして、日を待ち暮らし夜に入つて、平家の大勢、後ろの倶利伽羅が谷へ追ひ落とさん」とて、先づ白旗三十流れ、黒坂の上に打つ立てたれば、案のごとく平家これを見て、 「あはや源氏の大勢の向かうたるは。取り籠められては敵ふまじ。ここは馬の草飼ひ、水便共によげなり。しばらく下り居て馬休めん」とて、砺波山の山中、猿の馬場と言ふ所にぞ下り居たる。
木曽殿(木曽義仲)が言うには、「平家は大勢であるから、きっと掛け合い([兵力が互いに攻めかかり合うこと])の戦をしてくるに違いない。掛け合いの戦は、勢の多少によって勝敗が決まるから、平家の大勢に勢いでかかられて取り籠められては敵うまい。まずは計略を立てて白旗(源氏の目印)三十本を先頭に、黒坂(砺波山にある倶利伽羅峠の麓)の上に立てたなら、平家はこれを見て、ああ源氏の先陣が向かってきたぞ。何十万騎いるのだろうか。取り籠められてはどうしようもない。この山は四方を岩石に囲まれているから、搦め手([敵陣の背後を攻める軍])はまさかやって来ないだろう。しばらく馬から下りて馬を休めようと言って、砺波山で休むことだろう。その間義仲はしばらく平家の兵をあしらって、日を待ち夜になってから、平家の大勢を、後ろの倶利伽羅谷([今の富山県小矢部市にある倶利伽羅峠の南斜面の深い谷])へ追い落そう」と言って、まず白旗三十本、黒坂の上に立てると、思った通り平家はこれを見て、「源氏の大勢が向かってきた。取り籠められては敵わない。ここは馬の草飼い([馬に草を与えること])水便([水を確保し、使うのに都合のいいこと])共によい場所だ。しばらく馬から下りて馬を休ませよう」と言って、砺波山の山中、猿の馬場([今の富山県小矢部市の西境。倶利伽羅峠の近く])で馬から下りました。
(続く)