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「平家物語」壇ノ浦合戦(その4)

判官の気色を見奉て、伊勢三郎義盛よしもり、奥州の佐藤四郎兵衛忠信ただのぶ、江田の源三げんざう熊井くまゐ太郎たらう武蔵坊むさしばう弁慶など言ふ、一人当千いちにんたうぜんつはものども、梶原を中に取り籠めて、我討つ捕らんとぞ進みける。されども判官には、三浦の介取り付き奉り、梶原には、土肥とひ次郎じらう掴み付いて、両人りやうにん手を摺つてまうしけるは、「これほどの御大事をまへに抱へながら、同士どしいくさし給ひなば、平家に勢付きさふらひなんず。かつうは鎌倉殿のかへり聞こし召されんずるところも、穏便をんびんならず」と申しければ、判官しづまり給ひぬ。梶原進むに及ばず。それよりして、梶原判官を憎み染め奉て、讒言してつひに失ひ奉たりとぞ、後には聞こえし。




判官(源義経)の顔色を見て、伊勢三郎義盛(伊勢義盛)、奥州の佐藤四郎兵衛忠信(佐藤忠信)、江田源三、熊井太郎(熊井忠基ただもと)、武蔵坊弁慶と言う、一人当千([千人力])の兵が、梶原(景時かげとき)を中に取り籠めて、討ち取ろうと前に出ました。けれども判官(義経)には、三浦介(三浦義澄よしずみ)が取り付き、梶原(景時)には、土肥次郎(実平さねひら)が掴み付いて、両人が手を合わせて申すには、「これほどの大戦を目の前にして、同士戦すれば、平家に勢いが付きます。また鎌倉殿(源頼朝)が聞かれたなら、ただでは済みません」と申すと、判官(義経)は怒りを鎮めました。梶原(景時)もこれ以上口を出すことはできませんでした。それより、梶原(景時)は判官(義経)を憎んで、頼朝に讒言([事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと])を申して終に義経を亡ぼしたのだと、後には言われました。


続く


by santalab | 2013-11-14 07:04 | 平家物語

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