木曽殿やがてそこにて諸社へ神領を寄せらる。多太の八幡へは蝶屋の庄、菅生の社へは能美の庄、気比の社へは飯原の庄、白山の社へは横江、宮丸二箇所の庄を寄進す。平泉寺へは藤島七郷をぞ寄せられける。去んぬる治承四年八月石橋山の合戦の時、兵衛佐殿射奉りし武士ども、皆逃げ上つて、平家の御方にぞ候ひける。
木曽殿(木曽義仲)はそこで(石川県鹿島郡)諸社に神領([神社の所有地])を寄進しました。多太の八幡(多太八幡宮。今の石川県小松市にあります)へは蝶屋の庄を、菅生の社(石川県加賀市。今の石川県加賀市にあります)へは能美の庄を、気比の社(気比神宮。今の福井県敦賀市にあります)へは飯原の庄を、白山の社(白山比咩神社。今の石川県白山市にあります)へは横江、宮丸の二箇所の庄を寄進しました。平泉寺(平泉寺白山神社。今の福井県勝山市にあります)へは藤島七郷を寄進しました。去年の治承四年(1180)八月の石橋山の合戦(源頼朝と平家家臣大庭景親の戦い。頼朝が大敗した。石橋山は今の神奈川県小田原市にある山です)の時、兵衛佐殿(頼朝)の防ぎ矢([敵の進撃を阻止するために射る矢])を射た武士たちは、皆逃げ上って、平家の味方になりました。
(続く)