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「平家物語」平家山門連署(その4)

よつて一門の公卿くぎやうら、異口同音にらいをなして、祈誓くだんの如し。従三位じゆざんみ行兼ぎやうけん越前ゑちぜんかみたひら朝臣あそん通盛みちもり、従三位行兼右近衛うこんゑ中将ちうじやう平の朝臣資盛すけもり正三位じやうざんみぎやう右近衛うこんゑの中将兼伊予の守平の朝臣維盛これもり、正三位ぎやう左近衛さこんゑごん中将ちうぢやう兼播磨の守平の朝臣重衡しげひら、正三位行衛門ゑもんかみ近江あふみ遠江とほたふみの守平の朝臣清宗きよむね、参議正三位皇太后宮くわうだいこうぐうの権の大夫だいぶ修理しゆりの大夫加賀かが越中ゑつちうの守平の朝臣経盛つねもり従二位じゆにゐ中納言ちうなごん征夷大将軍せいいたいしやうぐん左兵衛さひやうゑかみ平の朝臣知盛とももり、従二位行権中納言ぢうなごん肥前ひぜんの守平の朝臣教盛のりもり、従二位行権大納言兼陸奥みち出羽では按察使あぜつし平の朝臣頼盛よりもり従一位じゆいちゐさきの内大臣平の朝臣宗盛むねもり寿永じゆえい二年七ぐわつ五日の日、敬つてまうす」とぞ書かれたる。貫主くわんじゆこれをあはれみ給ひて、左右さうなう衆徒しゆと披露ひろうもし給はず、十禅師じふぜんじ権現の社壇しやだんに籠め、三日加持かぢして、その後衆徒に披露せらる。初めはありとも見えざりける願書ぐわんじよ上巻うはまきに、歌こそ一首出で来たれ。

平らかに 花咲く宿も 年経れば 西へ傾く 月とこそ見れ

山王大師さんわうだいしこれをあはれみ給ひて、三千の衆徒しゆと力を合はせよとなり。されど年来もとしごろ日来の振る舞ひ神慮しんりよにもたがひ、人望じんばうにも背きぬれば、祈れども叶はず、語らへどもなびかざりけり。大衆だいしゆもまことにさこそはと、事のていをば哀れみけれども、源氏合力がふりよく返牒へんてふを送りぬるうへは、今また軽々かろがろしく、その儀をひるがへすに及ばねば、これを許容する衆徒しゆともなし。




よって平家一門の公卿たち、異口同音に山門(比叡山)に礼拝し、祈誓([神仏にいのって誓いを立てること])は以上の通りです。従三位行兼越前守平朝臣通盛(平通盛。清盛の弟教盛のりもりの嫡男)、従三位行兼右近衛中将平朝臣資盛(平資盛。清盛の嫡男重盛しげもりの次男)、正三位行右近衛中将兼伊予守平の朝臣維盛(平維盛。清盛の嫡男重盛の嫡男)、正三位行左近衛権中将兼播磨守平朝臣重衡(平重衡。清盛の五男)、正三位行衛門督兼近江遠江守平朝臣清宗(平清宗。清盛の三男宗盛の嫡男)、参議正三位皇太后宮権大夫兼修理大夫加賀越中守平朝臣経盛(平経盛。清盛の弟)、従二位行中納言征夷大将軍兼左兵衛督平朝臣知盛(平知盛。清盛の四男)、従二位行権中納言兼肥前守平の朝臣教盛(平教盛。清盛の弟)、従二位行権大納言兼陸奥出羽按察使平朝臣頼盛(平頼盛。清盛の弟)、従一位前内大臣平朝臣宗盛(平宗盛。清盛の三男)。寿永二年(1183)七月五日、敬って申す」と書いてありました。貫主(天台座主。明雲みよううん)は平家を哀れんで、すみやかに衆徒([僧])に披露することなく、十禅師権現([日吉ひえ山王七社権現の一])の社壇([社殿])に籠めて、三日間加持([祈祷])して、その後衆徒に披露しました。はじめはあると見えなかった願書の上巻([書状を上から包む白い紙])に、歌が一首ありました。

平穏で花が咲く宿と思っていた平家ですが、年を経て、西に傾く月になってしまいました。

山王大師([山王権現]=[日吉大社の祭神])もこれを哀れみ、三千人の衆徒に力を合わせよと願う歌でした。けれども年来日来の平家の振る舞いは神慮([神のおぼしめし])に背き、人望([人々から慕い仰がれること])も失っていたので、祈るとも叶わず、語らうとも平家に靡くことはありませんでした。大衆も本当に、平家を哀れに思いましたが、源氏に力を合わせる返牒([返書])を送った上は、今また軽々しく、その決定を翻すわけにはいかなくて、平家に従う衆徒はいませんでした。


続く


by santalab | 2013-11-14 14:47 | 平家物語

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