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「平家物語」経正都落(その4)

さて経正つねまさ御前を罷り出でられけるに、数輩すはい童形とうぎやう、出世者、坊官ばうくわんさぶらひ僧にいたるまで、経正の名残りをしみ、袂にすがり涙を流し、袖を濡らさぬはなかりけり。中にも幼少えうせうの時、小師こじでおはせし大納言の法印ほふいん行慶ぎやうけいまうししは、葉室はむろの大納言光頼くわうらいきやうの御子なり。あまりに名残りを惜しみまゐらせて、桂川かつらがははたまでうち送り、それよりいとまうてかへられけるが、法印泣く泣くかうぞ思ひ続け給ふ。

あはれなり 老いき若きも 山桜 遅れ先立ち 花は残らじ

経正の返事に、
旅衣 夜な夜な袖を 片敷きて 思へば我は 遠く行きなむ

さて巻いて持たせられたりける赤旗、ざつとさし上げたれば、あそこここに控へ控へ待ち奉るさぶらひども、あはやとて馳せ集まり、その勢百騎ばかりむちを上げ、駒を速めて、ほどなく行幸ぎやうがうに追つ付き奉らる。




経正(平経正。清盛の弟経盛つねもりの嫡男)が後白河院の御前を出ようとすると、たくさんの童形([まだ結髪していない少年])、出世者([持仏堂などの法事を勤める僧])、坊官([院家に仕え、事務に当たった在俗の僧])、侍僧([侍法師]=[院家に仕えて、警固や雑務に当たった法師])にいたるまで、経正との別れを惜しんで、袂にすがり涙を流して、袖を濡らさない者はいませんでした。中でも経正が幼少の頃、小師([まだ師を離れていない僧])であった大納言法師行慶と言う、葉室大納言光頼卿(藤原光頼みつより)の子がいました(行慶は白河院の子でしたが、この時すでに亡くなっています。白河院の子行慶と別人だとして、光頼の子にそれらしき人物は見当たりません。謎です)。行慶はあまりにも別れを惜しんで、桂川(仁和寺を南下したとして、ちょうど平安京の南端あたりでしょうか)の傍まで見送り、そこから別れて帰りましたが、法印は泣く泣くこう思い続けました。

悲しいことです。老いも若き(老い木若木)も山桜が遅れ先立ち花を咲かせ散ってゆくように、平家の者たちも相前後して都を出て、誰もいなくなってしまいました。

経正の返事に、
わたしは旅衣を着て、夜な夜な袖を片敷いて一人寂しく寝ることになりました。都を思い出しては、こんなに遠く離れてしまったものだと思うばかりです。

経正が巻いて持たせた赤旗(赤旗は平家の印)を、さっとさし上げると、ここかしこに控えて待っていた侍たちは、今この時と急ぎ集まって、その勢百騎ばかりで鞭を打ち、馬を速めて、ほどなく行幸(安徳天皇)に追い付きました。


続く


by santalab | 2013-11-15 15:22 | 平家物語

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