池の大納言頼盛の卿も、池殿に火かけて出でられたるが、鳥羽の南の門にて、忘れたることありとて、鎧につけたる赤印どもかなぐり捨てさせ、その勢三百余騎、都へ返り上られけり。越中の次郎兵衛盛次、弓脇挟み、大臣殿の御前に馳せ参り、急ぎ馬より飛んで下り、畏まつて、「あれ御覧候へ。池殿御止まりによつて、多くの侍ども止まり候が、奇怪に思え候ふ。
池大納言頼盛卿(平頼盛。清盛の異母弟)も、池殿(頼盛の殿)に火をつけて都を出ていきましたが、鳥羽院([今の京都市伏見区鳥羽にかつてあった白河、鳥羽上皇の離宮])の南の門で、忘れ物があるといって、鎧につけた赤印(平家の印)を取って捨て、その勢三百騎余りで、都へ戻っていきました。越中次郎兵衛盛次(平盛次)は、弓を脇にはさみ、大臣殿(平宗盛。清盛の三男)の前へ急ぎやって来て、馬から飛んで下りて、かしこまって、「あれをご覧ください。池殿(頼盛)の勢が止まったので、侍([家臣])たちも進むのを止めましたが、一体どういうことでしょうか。
(続く)