女肝魂も身に沿はず、召し具したる十余人の所従ども、喚き叫んで逃げ去りぬ。首上に刺すと思ひし針は、大蛇の喉笛にぞ立つたりける。女帰りてほどなく産をしたりければ、男子にてぞありける。母方の祖父、育ててみんとて育てたれば、いまだ十歳にも満たざるに、背大きう顔長かりけり。七歳にて元服せさせ、母方の祖父を、大太夫と言ふ間、これをば大太とこそ付けたりけれ。夏も冬も手足に隙なくあかがり割れたりければ、あかがり大太とも言はれけり。かの維義は、件の大太には五代の孫なり。かかる恐ろしき者の末なればにや、国司の仰せを院宣と号して、九州二島に廻文をしたりければ、しかるべき者どもも、維義に皆従ひ付く。件の大蛇は、日向の国に崇められさせ給ふ、高千穂の明神の神体なりとぞ承る。
女は肝魂を消して、連れて来た十人余りの所従([召使い])たちは、喚き叫んで逃げ去ってしまいました。首上([袍・狩衣・水干などの盤領の首の周りに沿って取り付けた部分])に刺したと思った針は、大蛇の喉笛に刺さっていました。女が帰ってほどなくして子を産みましたが、男の子でした。母方の祖父が、育てようと思って育てましたが、まだ十歳にもならないうちに、背は大きく顔は長くなりました。そこで七歳で元服させましたが、母方の祖父は、大太夫と呼ばれていたので、この子に大太と名を付けました。夏も冬も手足には間なくあかがり([あかぎれ])が切れていたので、あかがり大太とも呼ばれました。維義(緒方維義)は大太の五代の孫でした。このように恐ろしい者の子孫でしたので、国司の命令を院宣だと偽って、九州二島([九州])に廻文([二人以上の宛名人に順次に回覧して用件を伝える文書])を出すと、九州の兵たちは、皆維義に従い付きました。あの大蛇は、日向国に祀られました、高千穂明神(宮崎県西臼杵郡にある高千穂神社の祭神)の神体([神霊が宿ったもの])と聞いております。
(続く)