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「平家物語」鼓判官(その3)

また信濃源氏村上の三郎さぶらう判官代、これも木曽を背いて法皇ほふわうへぞまゐりける。木曽の左馬さまかみゐんの御気色きしよくしうなると聞こえしかば、始めは木曽に従うたる五畿内の者ども、皆木曽を背いて、院方へ参る。今井いまゐ四郎しらうまうしけるは、「これこそもつてのほかの御大事にてさふらへ。さればとて十善じふぜんの君に向かひまゐらせて、いかで御合戦候ふべき。ただ兜を脱ぎ弓のつるはづいて、降人かうにんに参らせ給ふべうもや候ふらん」と申しければ、木曽おほきに怒つて、「我信濃を出でしより、小見をみ合田あひだの合戦より始めて、北国にては、砺波となみ、黒坂、塩坂しほさか、篠原、西国にては、福隆寺ふくりうじ縄手なはてささせまり、板倉がじやうを攻めしかども、一度もかたきに後ろを見せず。たとひ十善の君にて渡らせ給ふとも、兜を脱ぎ弓の弦を外いて、降人にはえこそ参るまじけれ」。




また信濃源氏村上三郎判官代(源基国もとくに=源基国)も、また木曽(義仲)に背いて法皇(後白河院)方に参りました。木曽左馬頭(義仲)は、後白河院の評判が悪くなったと聞いて、はじめは木曽(義仲)に従っていた五畿内([山城・大和・河内かはち和泉いづみ・摂津])の者たちも、皆木曽(義仲)に背いて、院方に参りました。今井四郎(今井兼平かねひら)が申すには、「これこそもっての外の一大事でございます。ならばと十善の君([帝王])に向かって、どうして合戦などできましょう。ここは兜を脱ぎ弓の弦を外して、降人として参られるのがよろしいでしょう」と申すと、木曽(義仲)はたいそう怒って、「わしは信濃を出てから、小見の戦い、合田の戦い(ともに長野県東筑摩郡での戦らしい)、北国では、砺波(富山県砺波市)、黒坂(富山県側から倶利伽羅峠に至る道)、塩坂(福井県三方上中郡)、篠原(石川県加賀市)、西国では、福隆寺縄手(福隆寺縄手の戦い。岡山県岡山市)、篠迫(笹ヶ瀬。岡山県岡山市)、板倉の城(板倉川城。岡山県岡山市)を攻めたが、一度も敵に後ろを見せたことなどない。たとえ十善の君とは言えども、兜を脱ぎ弓の弦を外して、降人に参ることなどできぬ」と答えました。


続く


by santalab | 2013-11-17 06:27 | 平家物語

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