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「平家物語」法住寺合戦(その7)

夜を日に継いで鎌倉へ馳せ下り、この由訴へまうされければ、鎌倉殿、「これはつづみ判官はうぐわんが不思議のこと申し出でて、君をも悩まし奉り、rb>多おほく高僧かうそう貴僧きそうをも失ひけることこそ、かへがへすも奇怪きくわいなれ。これらを召し仕はせ給はば、この後も天下てんが騒動さうどうたゆまじうさふらふ」と申されければ、知康ともやすこのこと陳ぜんとて、夜を日に継いで鎌倉へ馳せ下り、梶原かぢはら平蔵へいざう景時かげときに付いて、さまざまに陳じまうしけれども、鎌倉殿、「しやつに目なかけそ。あひ知らひなせそ」とのたまへば、日毎に兵衛ひやうゑすけたちへ向かふ。つひに面目なくして、また都へかへり上り、辛き命生きつつ、稲荷のへんなる所に、かすかなるていにて住まひけるとぞ聞こえし。




昼夜を継いで鎌倉に急ぎ下り、木曽(義仲)の狼藉を訴え申すと、鎌倉殿(源頼朝)は、「鼓判官(平知康ともやすが不思議([人間の認識・理解を越えていること])のことを申し出たために(木曽義仲を追討する由を申したこと)、君(後白河院)もお悩みになり、多くの高僧貴僧を失ったことは、返す返すも奇怪([非常識])なことである。義仲を京に留め置けば、今後も天下の騒動が収まることはないであろう」と申したので、知康(平知康)は釈明するために、昼夜隔てなく鎌倉に急ぎ下り、梶原平蔵景時(梶原景時)に、さまざまに申し述べましたが、鎌倉殿(頼朝)が、「やつの言うことなど放っておけ、話を聞くな」と言ったので、毎日兵衛佐(頼朝)の館を訪ねました。けれども遂に対面を許されないまま、また都に戻って、甲斐なき命を永らえて、稲荷(伏見稲荷。今の京都市伏見区にある神社)のあたりに、ひっそりと暮らしたということです。


by santalab | 2013-11-17 07:34 | 平家物語

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